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さよなら0系新幹線
ビュッフェ車と食堂車

 開業当時の在来線の特急列車には食堂車が連結されていたが、東海道新幹線では12両編成の5・9号車の半室に軽食が楽しめるビュッフェのみを連結。列車の乗車時間が短いことから軽食の提供に留めたものだが、1975(昭和50)年3月10日の山陽新幹線博多開業では東京〜博多間の乗車時間が6時間を超えるため、1974(昭和49)年9月5日から16両の「ひかり」編成の8号車への食堂車の連結を開始。その後、通路を挟んだ壁に窓を付けて富士山を眺めながら食事ができるように改良。約20年間に渡って食堂サービスが続けられたが、豪華なステーキ列車なども登場して話題を集めた華やかな時代もあった。

 しかし、100系「ひかり」や300系「のぞみ」が主役に移り変わると、0系は食堂車を廃止して「こだま」やカフェテリアを新設した「ウエストひかり」に変身。ビュッフェ車を改造したシネマカーや遊具がある「こどもサロン」も登場して人気を博したが、現在は2&2シートに改造された普通車のみが残っている。

最後の活躍をする0系車両

 1964(昭和39)年から1986(昭和61)年までの22年間に渡って計3,216両が製造された0系車両。1976(昭和51)年には最大の2,338両が在籍したが、これだけ長期に渡って製造されたのは高速鉄道車両として完成度の高い車両であった証しだ。

 小型窓やリクライニングシートの採用などマイナーチャンジが繰り返されたが、普通車の最初の座席はリクライニング機能のない転換クロスシートを採用。1981(昭和56)年にリクライニング機能が付けられたが、3席側の座席は回転できずに中央を境にした向き固定となった。その後、100系は全座席が回転式リクライニングシートで登場となったが、0系はゆったりと座れる2&2シートに順次交換。次世代新幹線車両とのサービス格差を補うため、車内のリニューアルも行われており、現在運用されている0系では車内の天井にある空調ダクトに登場時の面影を残すのみとなっている。

 世界初の高速鉄道車両となった0系の活躍もあと僅かになったが、この列車に乗車すると44年間の歴史が脳裏を駆け抜けて行くような気がする。

富士山をバックに走る0系「ひかり」。長年に渡って東海道・山陽新幹線のエースとして活躍した。

車窓風景を楽しみながら食事ができる食堂車。レストランのような豪華なメニューも登場した。

ビュッフェ車を改造したカフェテリア。山陽新幹線の「ウエストひかり」で活躍した。

登場当時から使用された普通車の転換クロスシート。

現在も昔の面影を残す天井の空調ダクトと吹出し口。

最後の活躍をする0系の2&2シート。今はなき0系の1等車に乗っているような気分になれる。

写真協力:結解喜幸/(株)交通新聞サービス

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