『トレたび』は、交通新聞社が企画・制作・運営する鉄道・旅行情報満載のウェブマガジンです。

  • mixiチェック

歴女のための 鉄道でめぐる 戦国武将 ゆかりの城

歴女のアナタは見逃せない! 憧れの戦国武将ゆかりの城に、いざ出陣!

伊達政宗

独眼竜。母に疎まれたトラウマをもち、母と共謀し自身の毒殺を図った実弟を処刑!

父・輝宗の死後、奥州を次々と制覇し江戸にもその名を轟かした。秀吉の小田原攻めに白衣の死装束で遅参しながらも切腹を免れたことは有名。関ヶ原の戦いでは東軍(徳川方)に加勢し、戦後は外様大名として栄えた。南蛮貿易のため支倉常長をスペインに派遣。

仙台城址(宮城県仙台市(JR仙台駅からバス20分))

関ヶ原の戦い直後に伊達政宗が築城。雅称・青葉城。現在、城跡一帯は青葉山公園。伊達政宗騎馬像は日没から23時までライトアップされ、そこから仙台市街を一望できる。

ポイント:本丸会館には、政宗が採用し伊達臣下に広まった「鉄黒漆五枚銅具足」が展示されている。

おトクなきっぷ情報:仙台まるごとパス

真田幸村

家康をも恐れさせた豪傑!猿飛佐助や霧隠才蔵ら真田十勇士の物語も人気。

武田信玄の家臣だった真田幸隆の孫。父は昌幸。実名は「信繁」だが物語上では天才軍師「幸村」として広く知られる。関ヶ原の戦い時には、兄・信之と袂を分かち西軍(豊臣方)につき上田城で徳川秀忠と抗戦。大坂夏の陣では家康の本陣に切り込み大活躍を遂げた。

上田城(長野県上田市(JR上田駅から徒歩10分))

幸村の父・昌幸により天正11年(1583)に築城された。天正13年(1585)と慶長5年(1600)の二度にわたり、徳川の大軍を撃退した。現在は上田城址公園として愛される。

ポイント:真田井戸と呼ばれる大井戸は隠れ通路になっており、戦の期間中、人や物資が出入りした。

織田信長

天下統一のさきがけ。鉄砲を使いビロードのマントをなびかせたモダン派。

安土桃山時代を代表する武将。少年期は「大うつけ」の異名をとり、父の位牌に灰を投げつけたエピソードも。若くして尾張国を統一、軍政両面で圧倒的な力量を発揮した。「天下布武」を掲げ天下統一に迫ったが、目前で明智光秀の謀反に遭い本能寺で討死。

安土城址(滋賀県蒲生郡安土町(JR安土駅から徒歩20分))

信長が天正4年(1576)から約3年の歳月をかけて完成させ、朱・青・白の外壁に、最上階が金色の豪華絢爛な城郭としてそびえた。本能寺の変後に焼失し、現在は石垣のみが残っている。

ポイント:重要文化財の指定を受けている創建当時の總見寺(そうけんじ)三重塔の、祀り神は信長自身だったという。

上杉謙信

越後の虎。「神将」と呼ばれる武運とまっすぐな正義感はピカイチ!

若くして越後を統一し、同時代の武田信玄との「川中島の合戦」などを繰り広げながら、国を繁栄に導いた。長尾氏の出身で「景虎」と名乗り、上杉家を継いだ後は「輝虎」と称した。謙信は出家後の名。自身を毘沙門天の化身と信じ、生涯妻帯せず信仰と戦乱の世の平定につとめた。

春日山城址(新潟県上越市(JR春日山駅から徒歩30分))

謙信が誕生し、生涯本拠とした城。別名・鉢ヶ峰城。謙信の父・為景の時代及び謙信死後の相続争いの舞台となった。中世五大山城のひとつに数えられる一大要塞。

ポイント:城の周囲には、若き日の謙信が修行をした林泉寺や、謙信を祀った春日山神社、謙信ゆかりの武具や書を展示した宝物館などが点在する。

おトクなきっぷ情報:えちご往復きっぷ 

明智光秀

文武に優れたプライド高き武将。信長との確執には様々な説が残る!?

織田信長家臣。はじめ母方の若狭武田氏、後に越前の朝倉氏に仕える。朝倉氏の元に身を寄せた室町幕府15代将軍・足利義昭と信長との間を連絡した。家柄・知略ともに秀で、比叡山焼討ちで手柄。本能寺の変で信長に謀反を起こすも、羽柴軍の返り討ちに遭い最期を遂げた。

亀山城址(京都府亀岡市(JR亀岡駅から徒歩10分))

かつての光秀の居城。天正5年(1577)頃、信長に丹波平定の命を受け光秀が築城。塔層型の五層の天守閣と三層の堀をめぐらす威容を誇った。

ポイント:天守台は現在立ち入り禁止。近くには光秀が植えたと伝えられる銀杏の大木が立っている。

おトクなきっぷ情報:京都観光フリーきっぷ

徳川家康

好機を待ち、勝利を手にする現実主義者。関ヶ原で勝利し、江戸幕府初代将軍へ!

三河国松平家の子として生まれ、19歳まで駿府の今川氏の元で過ごす。信長、秀吉らと手を結び次第に勢力を拡大。秀吉の命で関東に移り、江戸を本拠と定めた。秀吉の没後、関ヶ原の戦いで豊臣勢を滅ぼし江戸幕府を開幕、260年続く徳川時代の礎を築いた。

名古屋城(愛知県名古屋市(JR名古屋駅から徒歩30分))

徳川家康が九男・義直の居城として、慶長15年(1610)、信長生誕の城・那古野城の跡地に築城。平成21年から本丸御殿の復元工事が進行中。

ポイント:第二次世界大戦で焼失した「金の鯱(しゃちほこ)」には、1万8千両の金が使用されたという。天守一階の障壁画や、国宝『源氏物語絵巻』がある徳川美術館は必見。

おトクなきっぷ情報:ハッピー名古屋往復きっぷ

前田利家

加賀百万石の前田氏の祖。長身痩躯の美貌に、若い頃はかぶき者とも。

信長に小姓として仕え、「槍の又左(またざ)」の異名をとる。秀吉とは藤吉郎(とうきちろう)時代からの親友。信長亡き後、豊臣家五大老の一人として豊臣政権を支えた。秀吉の死後も各氏の権力争いに仲裁役として尽力するが、秀吉の8ヵ月後に病没。

金沢城(石川県金沢市(JR金沢駅から徒歩30分))

天文15年(1546)建立された「尾山御坊(金沢御堂)」は加賀一向一揆の本拠となり、信長に攻め落とされた。後に前田利家が入城し、高山右近に指示を仰ぎ本格的な築城・整備を行なった。

ポイント:度重なる火災で、現存するのは石川門と復元された三十間長屋のみ。三十間長屋の石垣となまこ塀は美しく、重要文化財に指定されている。

おトクなきっぷ情報:北陸フリーきっぷ

直江兼続

大河ドラマでも注目された「義と愛」の人。上杉景勝の忠臣。

上杉謙信の養子となった上杉景勝の小姓として春日山城に入城。謙信の死後の家督争いで景勝に味方し、直江家を継ぐ。生涯景勝に忠誠を尽くし、家老として内政・外交の大部を担った。関ヶ原の戦いでは西軍につき、後に移封された米沢藩の整備にも尽力した。

米沢城址(山形県米沢市(JR米沢駅から徒歩30分))

暦仁元年(1238)の築城と伝えられる。別名・松岬城。伊達政宗の出生した城でもあり、上杉氏が会津に入封後は直江兼続が城主となった。関ヶ原の後、上杉景勝が初代米沢藩主として入城。

ポイント:現在本丸跡を取り囲む堀と土塁は見事なつくり。宝物殿には兼続の兜飾り「愛兜」や、兼続ゆかりの美術品や武具が展示されている。

おトクなきっぷ情報:土・日きっぷ※「土・日きっぷ」はご利用は平成22年3月28日(日)までの連続する土・日曜のみ

長宗我部元親

わずか10年で四国を制覇! 「土佐の出来人」

長宗我部氏第21代当主。少年時代は色白で人見知りが激しく「姫若子(姫のような若君)」と呼ばれたが、初陣から勇気と武技を発揮する。父・国親の死後、土佐を平定、四国全土へ勢力を拡大。秀吉の四国征伐に降伏し、小田原征伐では水軍を率いて活躍した。

浦戸城址(高知県高知市(JR高知駅からバス「桂浜」下車))

もとは鎌倉から室町の頃の山城(砦)とされる。元親の父・国親が永禄3年(1560)に土佐の豪族・本山氏から攻略し、元親が天正19年(1591)本格的な城郭に改築し居城とした。

ポイント:関ヶ原の戦いで長宗我部氏は改易となった。遺臣団は新しい土佐藩主の山内一豊に抵抗し、浦戸城で「浦戸一揆」を起こしたが、最後には降伏した。

おトクなきっぷ情報:徳島・室戸・高知きっぷ

加藤清正 

長烏帽子兜に片鎌槍がトレードマークの勇将。土木技術はこんなにスゴイ!

尾張国に鍛冶屋の子として生まれる。秀吉の遠戚(母が秀吉の母と従姉妹)であったことから出世し、生涯秀吉に忠義を尽くした。朝鮮出兵中に虎退治をした逸話も残る。築城の名手として知られ、熊本城をはじめ江戸城、名古屋城などの築城に関わった。

熊本城(熊本県熊本市(JR熊本駅からバス10分))

中世に築かれた千葉城・隈本城跡に、清正が天正19年(1591)から本格的に築城。別名・銀杏城。石垣の上に、御殿、天守、櫓などが詰め込むように建てられ、名城として定評が高い。

ポイント:「武者返し」と呼ばれる高石垣や優雅な櫓群など見所が多い。清正が掘ったといわれる17の井戸が残る。平成19年には本丸御殿が復元され、「本丸御膳」(3000円・要予約)も味わえる。

おトクなきっぷ情報:天草・熊本2枚きっぷ

写真提供:藤波イズム、ザ・登城
イラスト:熊谷江身子

このページのトップへ