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大河ドラマの放送で話題沸騰! 龍馬が遭遇した海難事故の舞台・鞆の浦へ 海援隊といろは丸事件の舞台を訪ねる旅 ~広島県福山市~

宮崎駿監督がその美しさに惚れ、映画『崖の上のポニョ』の舞台イメージにしたともいわれる鞆(とも)の浦。今から約140年前、龍馬は日本初の蒸気船同士の事故に遭い、期せずしてこの地を踏むこととなる。龍馬がどんな事故に遭い、どう事故の交渉に臨んだのか!?

平成いろは丸

定員99名の「平成いろは丸」。全長約22m、19tの船体はなかなかの迫力

いろは丸展示館

桝屋清右衛門宅にあった龍馬の隠れ部屋を見事に再現!

徳川御三家の紀州藩に一歩も引かぬ熱き龍馬たち

 沼隈(ぬまくま)半島の東にある後山(うしろやま)公園展望台から鞆(とも)の浦を望む。眼下には瓦屋根の歴史薫る町並み、沖には濃緑の仙酔島(せんすいじま)、そして瀬戸内の海とかすむ島なみ――名曲『春の海』が本当に聴こえてきそうなこの穏やかな瀬戸内の風景を見ていると、日本初の蒸気船同士の事故「いろは丸事件」やその激しい談判が行なわれた地であるとは、にわかに信じがたい。

 が、慶応3年(1867)4月23日の午後11時頃、その事故は起こった。鞆の浦のすぐ目鼻先にある備中六島の沖で、海援隊が大洲(おおず)藩から借り受けていた「いろは丸」の右舷に紀州藩の「明光丸」が衝突。「明光丸」が再度「いろは丸」にぶつかった後、そこからやや西に離れた宇治島沖で「いろは丸」はついに沈没してしまった。

 同年同月に土佐藩の後援を得て、社中から海援隊へと再出発したばかりの龍馬としては、まさに出鼻をくじかれたかたち。悲しみは強かったに違いない。「明光丸」で鞆の浦に上陸した紀州藩士と海援隊は、この地で4日間、激しい談判を繰り広げることとなる。

 最初の談判は、紀州藩が宿舎とした圓福寺(えんぷくじ)と海援隊が宿舎とした廻船問屋・桝屋清右衛門宅の中間にある魚屋萬蔵宅で行なわれた。しかし、徳川御三家の紀州藩は海援隊をみくびったのか、なかなか非を認めない。龍馬はお龍に宛てた手紙でも「紀州藩の奉行や船将は女性の言い訳のようになり、議論をしてもきりがない」といった意味のことを書いている。交渉の場を時おり福禅寺の対潮楼(たいちょうろう)に変えてさらに激論を交わすも、交渉は決裂。紀州藩士たちは藩命を楯に、龍馬たちを残して「明光丸」で長崎へ向かってしまう。

 その後、談判の場は長崎に移動。龍馬たちは万国公法という国際ルールを持ちだすなどして交渉を優位に運び、ついに8万3000両という賠償金を勝ち取った。

 昭和63年に福山市の沖で「いろは丸」らしき船が発見され、その後の調査で引き揚げた資料の年代からほぼ「いろは丸」と断定された。交渉時、龍馬は最新型のミニエール銃400挺を積んでいたと紀州藩に主張していたが、この引き揚げでは一挺も見つかっていない。恐らく、龍馬のはったりだったと思われる。こうした駆け引きは、龍馬ファンからすると彼の妙味だったりするのだ。

太田家住宅
18世紀中頃築の主屋や保命酒醸造蔵など9棟からなる太田家住宅。三条実美が立ち寄ったことも!
いろは丸展示館
石炭や古伊万里茶碗、滑車など、いろは丸の引き揚げ物も展示されている「いろは丸展示館」
平成いろは丸船内
「平成いろは丸」船内にはレトロ調の照明やハンドル型の舵輪などを設置。当時の雰囲気を味わえる

鞆の浦 龍馬 スポットガイド・福山・鞆の浦に来たら必ず押さえておきたい龍馬ゆかりの地や歴史薫るスポットへご案内。町歩きの参考にするぜよ!

鞆の浦
映画『崖の上のポニョ』の舞台にもなったとされる、風光明媚な町。龍馬が乗っていた「いろは丸」と紀州藩の船が衝突した「いろは丸事件」は鞆の浦周辺の沖合で起きた。仙酔島には国民宿舎があり、市営渡船「平成いろは丸」で渡れる。
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福禅寺 対潮楼
龍馬たち海援隊と紀州藩が「いろは丸事件」の賠償交渉を行なったのが、江戸時代の元禄年間(1690年頃)に創建された対潮楼。眺めが素晴らしく、大きな窓で切り取られた鞆の浦の風景は一幅の画のよう。TEL.084-982-2705。8:00~17:00、無休。200円(小学生以上)
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旧魚屋萬蔵宅(御舟宿いろは)
対潮楼での賠償交渉の前に、交渉が行なわれていた場所。平成20年には「御舟宿いろは」として再生。宿のデザイン案は映画監督・宮崎駿氏で、新しい物好きだった龍馬の性格を考え、ステンドグラスなどが採用された。TEL.084-982-1920。大人1泊2食で1万7500円
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いろは丸展示館
常夜燈の手前にある江戸時代の浜蔵を利用し、龍馬や「いろは丸事件」に関するさまざまな資料を展示。海底から引き上げられた「いろは丸」の遺品や、再現された龍馬の隠れ部屋など見どころが多い。TEL.084-982-1681。10:00~17:00、無休。200円(小学生以上)
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圓福寺
対潮楼から南に100mも離れていないこの寺は、「いろは丸事件」の際に、紀州藩の宿舎として利用された。慶長年間(1600年頃)に鞆城を築いたとき、大可島(たいがしま)が陸続きとなって圓福寺が建てられたという。TEL.084-982-2508
桝屋清右衛門宅
龍馬たち海援隊が鞆の浦に上陸した直後、宿舎にした場所。龍馬は階段のない2階の隠し部屋に寝泊まりしたと伝えられており、暗殺の危機も顧みず談判に臨んだことが推察できる。隠し部屋は「いろは丸展示館」にて復元。
平成いろは丸
黒い船体や3本のマストなど「いろは丸」を模した「平成いろは丸」は、鞆港~仙酔島の間を運航。船内には龍馬の手紙や古い舵輪(だりん)、コンパスなどが展示されレトロな雰囲気。TEL.084-982-2115。運行本数1日40本。大人240円、子ども120円
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雁木
潮の干満の差が大きい鞆の浦で、積荷の揚げ下ろしがしやすいよう造られた階段状の船着場。雁木(がんぎ)と呼ばれ、荷船から石造りの雁木に足場板を渡し、中仕と呼ばれた港湾労働者が重い荷物を運んだ。これだけ大規模な雁木が残るのは、全国的に見ても鞆だけ。
常夜燈
船の出入りを誘導する燈台。西町の大雁木先端に立つ常夜燈は、高さが5m以上もある雄大な石造りだ。航海安全の願いを込め、竿柱南面には「金毘羅大権現」、北面には「当所祇園宮」の石額が掲げられる。見学は、灯りが点り一層風情が増す夕方頃がおすすめ。
波止
陸から海へ細長く突き出すよう築いた堤を波止(はと)と呼ぶ。鞆の波止は、文化8年(1811)に播州高砂の工楽松右衛門によって修理・延長が行なわれ、現在の約144mの長さに。弘化4年(1847)には玉津島の波止も築かれ、ほぼ現在の鞆港の姿となった。
太田家住宅(鞆七卿落遺跡)
江戸中期から明治にかけ酒造業で栄えた商家。三条実美(さねとみ)ら7人の公家が鞆の浦に寄港した際、立ち寄ったことから七卿落(しちきょうおち)遺跡としても有名。 TEL.084-982-3553。10:00~17:00、火曜休(祝日の場合翌日)。400円(中学生以上)、200円(小学生以上)
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アクセス&インフォメーション

地図
※クリックで大きなマップが見られます

アクセス

山陽新幹線・山陽本線福山駅下車。新幹線のぞみ利用で、東京から約3時間40分、名古屋から約2時間、京都から約1時間20分、新大阪から約1時間、広島から約30分、博多から約1時間30分。鞆の浦へは、福山駅から鞆港行きバス約30分の鞆の浦下車。

鞆港発 船で行く龍馬の旅
「いろは丸沈没海域と仁尾・八朔(はっさく)人形まつりを訪ねる旅」

慶応3年4月、紀州藩船「明光丸」と衝突し、沈没した龍馬率いる海援隊の「いろは丸」。GPSで取得した正確な衝突地点と沈没地点を船で訪れるツアーだ。約50分の船旅の後は、三豊市仁尾町で行なわれる「八朔人形まつり」を見学する。

日時
平成22年9月18日(土)~20日(月・祝)/第1便は鞆9:00発-16:20頃帰着、第2便は鞆11:00発-18:00頃帰着
集合場所
鞆港(鞆の浦漁協桟橋)
募集人数
各便40名(最少催行人数各便30名)
旅行代金
大人3,800円、子ども3,700円
申込み・問合せ
トヨタトラベルサービスTEL.0875-62-2607、ツアーネットTEL.0875-83-8321
鞆の浦に行くなら、このきっぷ!
鞆の浦・尾道ぐるりんパス

福山・尾道までの往復のJR乗車券・特急券がセットになっているうえ、福山~尾道の自由周遊区間内の普通列車や路線バスが乗り放題! 「いろは丸展示館」など主な観光施設の入場券や千光寺山ロープウェイの乗車券、平成いろは丸の乗船券もセットという、至れり尽くせりのトクトクきっぷ。

発売期間
平成23年3月29日まで
利用期間
平成23年3月31日までの連続する2日間
※12月28日(火)~平成23年1月3日(月)出発の設定はありません。
有効期間
2日間
ねだん
おとな1万5500円、こども7750円(大阪市内発着の場合)

※このほかにも各種設定があります。

文=鈴木健太 写真協力=福山市観光課、福山市観光協会
※掲載されているデータは平成22年8月現在のものです。

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