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夜行列車の快適な旅を演出する『581・583・285系寝台電車』 世界初の寝台電車として登場した581・583系電車と、新時代にふさわしい個室中心のA・B寝台を取り揃えた285系電車を紹介します。(文=結解喜幸 写真=結解学)

九州で顔を合わせる583系と485系

座席車として使用できる583系

世界初の寝台電車?

 昭和30年代後半から国鉄の輸送力増強に伴う車両の増備を行なっていましたが、車両増備や車両基地拡充にかかる費用など、解決しないといけない問題点がありました。そこで考えられたのが、昼間は座席車、夜間は寝台車として使用できる「昼夜兼行スタイル」の電車でした。
 電車は床下のモーター音や振動などが客車に比べて大きいため、世界各国の寝台列車では客車の使用が常識でした。しかし、客車列車よりもスピードが速いという電車の特性や、昼間は特急列車として運用できる利便性が当時の国鉄にとって必要不可欠であり、昭和42年9月、世界初となる本格的な寝台電車581系が誕生しました。
 先頭車両のクハネ581、中間車両は電動車のモハネ580+モハネ581と付随車のサハネ581、食堂車のサシ581が製造され、12両編成で運用。これまで客車のB寝台(当時は二等寝台)は車内の片側に通路を配置し、ベッドは枕木方向に設置されていました。581系電車では昼間の座席使用を考慮して中央に通路を配置し、左右のボックスにベッドが進行方向を向いた三段式寝台を設置することになりました。従来の客車の寝台幅が52cmであるに対し、581系の下段はA寝台車(当時は一等寝台)と同等の寝台幅106cm、上・中段でも寝台幅70cmとなり、寝台電車はゆったり利用できると好評を博したのです。
 昭和43年の増備車から583系になりましたが、これは581系が直流および西日本の交流60Hz専用車であったため、東北エリアでも使用できるよう50/60Hz供用となったものです。また、昼間の特急列車に必要不可欠なグリーン車のサロ581が製造され、関西?九州間および首都圏?東北間において昼夜兼行で活躍するようになりました。


関西と九州を結んで昼夜兼行の活躍 寝台特急「月光」&特急「みどり」

 昭和42年10月1日、世界初となる寝台電車581系12両編成を使用し、新大阪?博多間の寝台特急「月光」、新大阪?大分間の特急「みどり」が誕生。車両は九州の南福岡電車区に配置され、博多駅発の寝台特急「月光」が新大阪駅に翌朝到着後、寝台を解体・座席をセットして大分行きの特急「みどり」に使用。翌日は大分発の特急「みどり」が新大阪駅に到着後、寝台をセットして博多行きの寝台特急「月光」になるという運用でした。

 これにより、従来の寝台列車は昼間は大阪に滞在していましたが、すぐに昼間の特急列車として運用できるため、大阪滞在中の車両基地の確保が不要(寝台の解体・セットは通勤時間帯で車両が出払っている車両基地を利用)になりました。

 従来の寝台車よりも寝台幅が広く、通路を中央に挟んだ両側に進行方向を向いたベッドが配置される581系は好評を博し、翌年の昭和43年10月1日改正では大量に増備されました。

 関西?九州間では、名古屋?博多間の寝台特急「金星」&名古屋?熊本間の特急「つばめ」、新大阪?博多間の寝台特急「月光1・2号」&特急「はと1・2号」&新大阪?熊本間の寝台特急「明星」が昼夜のペアを組んで活躍。その後は、京都?西鹿児島間の寝台特急「きりしま」や寝台特急「なは」、鹿児島本線博多?西鹿児島間の特急「有明」などにも運用されましたが、昭和50年3月10日の山陽新幹線博多開業で山陽本線の昼間の特急列車が廃止となり、昼夜兼行スタイルから寝台専門・昼間はアルバイト(短中距離の特急列車)という運用になりました。なお、関西?九州間の583系を使用した寝台列車は、昭和59年2月1日改正で消えてしまいました。

新大阪と博多を結んだ寝台特急「月光」

座席を前に出してB寝台下段をセット

上野と青森を結んだ老舗の寝台特急 寝台特急「はくつる」&「ゆうづる」

 東北本線の全線複線電化完成などに伴う昭和43年10月1日ダイヤ改正では、東北エリアの交流50Hzに対応した583系が誕生し、電動車はモハネ582+モハネ583となりました。東北本線上野?青森間の寝台特急「はくつる」、常磐線経由の寝台特急「ゆうづる(下り1号・上り2号)」、昼間は特急「はつかり1・2号」の2往復が583系13両編成で運転され、青函航路を介した北海道方面への旅も快適さが大幅にアップしました。

 特に寝台幅が106cmの下段は小さな子ども連れの乗客に人気があり、寝台券の発売と同時に売り切れるという人気ぶりでした。このため、15両編成に増強することも検討され、昭和45年にはクハネ581形の電動発電機の容量をアップし、客室の拡充(座席8人・寝台6人分増加)が図られたクハネ583形が登場。15両化は実現しませんでしたが、両端で座席16人分・寝台12人分が多いクハネ583系は輸送力増強に貢献しました。

 昭和47年3月15日改正では、上野?青森間の寝台特急「ゆうづる」3往復、寝台特急「はくつる」1往復、そして特急「はつかり」3往復、常磐線経由の特急「みちのく」1往復、さらに上野?仙台間の特急「ひばり」1往復にも運用されるようになり、昼夜兼行の特性を生かした効率的な運転が行なわれていました。

 昭和57年11月15日の東北新幹線大宮本格開業で昼間の特急列車は盛岡?青森間に短縮されましたが、寝台特急「ゆうづる」3往復&「はくつる」2往復が健在。しかし、平成5年12月1日改正で「ゆうづる」が廃止となり、寝台特急「はくつる」2往復が残りましたが、B寝台は二段式客車の時代になっていました。このため、平成6年12月3日改正で三段式の583系を使用した寝台特急「はくつる」は24系客車に置き換えられ、583系を使用した寝台特急は消滅しました。

東北本線経由の寝台特急「はくつる」

常磐線経由の寝台特急「ゆうづる」



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