森田芳光監督 鉄愛エッセイ 鉄道が「少し好きです。」

楽しすぎる生涯イチの修学旅行専用電車、ひので号 ~僕らだけの電車の旅に大興奮 ~

 小学校の高学年のある授業のとき、担任の先生が「今日はそれぞれの好きな絵を描いていいわよ」。要は美術の自由課題というわけです。僕は、あまり絵がうまくありません。今でも絵コンテなんか描きますがひどいもの。スタッフが代わりに描いてくれることもしばしば。そう、コンプレックスかもしれません。

 そんな僕が当時、興味あったのは電車。特に急行以上のデザインに興味を持っていました。その頃は自分なりに、湘南電車はミカンの産地に行くから、オレンジと緑。横須賀線は海沿いを走るから空と海の色。四角い顔があったり、少し曲がった顔があったり、路線と電車の個性は大事だなと思っていた時代でした。

 授業の時間は1時間弱。その間に、僕は10種以上のオリジナル電車を考えました。すべて正面からのデザインですが、路線や名前まで指定して、楽しく描けました。今思うと水玉の模様の電車もあったり、正面展望車という大胆なものもあった気がします。そして点数は5重まる、僕の最高点の絵画となりました。それが家に残っていたら面白かったのにと残念です。僕ら鉄道ファンは、こうして色や形に自分なりの認識を持っているのです。

 そんなとき、僕らの世代にピッタリの電車がスタートしました。修学旅行専用電車「ひので号」です。色はどういうわけかオレンジとイエロー、形はおとなしい四角な感じ。問題はそのひので号で僕らが行かれるかということ。僕らは渋谷の学校ですから京都に行くのですが、さて? 普段、あまり先生には質問とかしないのに、「先生、修学旅行はひので号で行かれるのですか」「そうなると思うよ」「やった!」

 ひので号が僕らの学年だけの電車になる、こんなうれしいことはない。他のクラスの友達やちょっと気になった子なんかが同じ車両で時を過ごす。すごすぎる。それまでカメラなんか持っていなかった僕がカメラを買って、もうウキウキ。友達と富士山が一緒に見られたり、相模湾を渡れたり。そうそう、茅ヶ崎までは母の実家があって毎年夏休みに行っているから、車窓風景は誰より詳しく楽しく語れる。そう、東京駅から1時間が勝負だ。このときに僕は、席に落ち着き、話を聞かせたい相手を隣にしなければいけない。茅ヶ崎をすぎたら、他のクラスの車両に移り、はしゃぐのは自由なんて自分だけで勝手なスケジュール。

 カメラ片手にうろうろしていると、みんな話に夢中で車窓風景なんか見ていない。おいおい、電車に乗っているんだぞ。

 ひので号は、あっというまに京都につきました。たった1度の団体専用電車に乗った記憶、本当に忘れられません。

湘南電車

通称「湘南電車」こと東海道本線を走った国鉄80系(写真は昭和20年代後半)


初の修学旅行電車

昭和34年、品川駅から初の修学旅行電車として運行開始した155系「ひので」号

脚本・監督 森田 芳光

1950年1月25日東京都生まれ。81年『の・ようなもの』で映画監督デビュー。『家族ゲーム』(83)で数々の映画賞を受賞し脚光を浴びる。 『それから』(85)はキネマ旬報ベストワンをはじめ、各賞を受賞。『ハル』(96)で第6回日本映画批評家大賞監督賞、第20回日本アカデミー優秀脚本賞ほか、数々の賞を受賞した。禁断の愛を描いた渡辺淳一の同名ベストセラー小説『失楽園』(97)を映画化し、大きな話題となる。以後も『模倣犯』(02)、『阿修羅のごとく』(03)、『間宮兄弟』(06)、『椿三十郎』(07)と精力的に様々なジャンルにわたり作品を世に送り続ける。オリジナル脚本として手掛けた『わたし出すわ』(09)、新しい時代劇を描いた『武士の家計簿』(10)が公開された。

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