『トレたび』は、交通新聞社が企画・制作・運営する鉄道・旅行情報満載のウェブマガジンです。

『時刻表でふりかえる 新幹線とニッポンあのころ』一見すれば、運転時刻を淡々ととどめ、数十年変わらぬたたずまいかのように思える時刻表。でも、新幹線誕生の時代にさかのぼり、時代の変遷とともにそのページをめくっていくと、そこには、知っているようで知らなかった、日本の発展と常に共に歩み続けている愛すべき新幹線の姿がみえてきた。

VOL.1 “超特急”の登場と1960年代

列島縦断への道のりは開業当初から

 1964(昭和39)年10月1日、東海道新幹線が東京―新大阪間を開業。

 弘済出版社(現・交通新聞社)の『大時刻表』(現『JR時刻表』)は当時180円、10月号の表紙には「東海道新幹線開通!」とある。ページをめくると、世界に冠たる新幹線の時刻表が、トクベツ扱いで! 華々しく! 巻頭を飾っているのかと思いきや、そうしたきらびやかさはいっさいない。モノクロページに、「超特急ひかり」は毎時00分に、「特急こだま」は毎時30分に、ほぼ1時間に1本の間隔で規則正しくダイヤが組まれている。この物静かな朴訥さがいい。当初は、「新幹線」なのに列車名に「特急」や「超特急」が付されているのも、新鮮な驚きがある。

 今でこそ新幹線の時刻表だけで48ページ、東海道山陽新幹線だけでも24ページもあるが(JR時刻表2010年11月号)、当時は、東海道新幹線上り下りは各見開きで計4ページで終わっている。

 だが驚くのは、東京から新大阪までの新幹線のダイヤだけでなく、その下に山陽本線、鹿児島本線、長崎本線、日豊本線と続き、九州各地までの連絡が掲載されていることだ。たとえば、東京を6時00分に出発する新幹線「超特急ひかり1号」に乗ると新大阪に10時00分着、続いて10時30分発の「特急みどり」に乗ると、大分に21時10分着、というぐあい。1200km超の鉄路を、あっさり1行で表現している。

 以降、東京発が遅くなれば当然、九州に上陸するのは深夜になり、寝台列車に接続し、日をまたいで翌日15時すぎに都城へ到着したりする。トワイライトエクスプレス並みの長旅だ。ページを繰って列車のダイヤをたどるのも心躍るが、こうもシンプルに、あっさりと書かれているのもまた、別の趣がある。すぐにでも列車に飛び乗りたい気持ちになる。

「夢の超特急」は、本当に夢のようだった

 新幹線が開通した1964年は、10月10日開催のアジア初の「東京オリンピック」に向けて、全国各地で空港や道路がつくられた。新幹線のほかにも、東京モノレールが9月に開業している。とくに東京は、いつもどこかが工事中で、オリンピック前と後では、明らかに風景が変わっていた。

 岸信介の後を継いで1960年7月に総理大臣となった池田勇人は「所得倍増」のスローガンを掲げ、60年安保の民衆の高ぶりを経済活動へと向けさせた。日本は高度経済成長期に入り、新幹線はその結実のひとつともいえる。

 東京―大阪間は在来線特急で6時間50分かかっていたのが、新幹線が開通した一夜にして4時間に短縮されたのだ。一晩で2時間50分を飛び越えた、まさに時空を超える勢いの変化である。 「ひかり」は東京―新大阪を4時間、「こだま」は5時間でつないだ。料金は2等車(現在の普通車)の場合、「ひかり」が2480円(運賃:1180、特急料金:1300)、「こだま」は2280円(運賃:1180、特急料金:1100)。ハガキ5円、かけそば50円、大卒初任給が平均約2万円の時代である。

 なかなかの贅沢列車ではあるが、注目と人気は集まった。開通に先立つ8月にはNHKが試運転の様子を4時間にわたって生中継したという。東京から大阪を日帰り出張できることで、ビジネスマンの利用が多かったが、日帰りで京都旅行というツアーも組まれた。朝7時発の「ひかり」に乗って京都の名園・寺院を回り、開通したばかりの名神高速道路をドライブして、新大阪17時発の「ひかり」で東京に21時着。大人7800円。何をさしおいても参加すべきツアーだったと思う。

着実に存在感を増してゆく新幹線

 そんな時代の寵児も、建設が発表されたときには、「世界の三バカ、万里の長城、戦艦大和、新幹線」という人もいたという。そのセレクトに何か言いたい気もするが、それはともかく、当時は新しく鉄道をつくるよりも、高速道路や航空路線に力をそそぐべきという風潮だった。そして、国鉄の内情は火の車だった。ローカル線の赤字がかさんだり、新幹線建設費が予算を大幅に上回ったりしていたのだ。何の因果か、新幹線開通というめでたいはずのこの年度から国鉄は赤字に転落する。そうしたマイナス要素を吹き飛ばす勢いで、希望の「ひかり」となって、新幹線はデビューしている。

 1年後の1965(昭和40)年には、よりスピードアップして、「ひかり」は東京―新大阪間を3時間10分で走るようになる。開業当初から3時間を想定していたが、短期間の工事だったために路盤が安定していない箇所では運転速度を落としていたため、ようやく本領発揮できる運びとなったのだ。

 この「10分」がどうにかならないのかと思うところだが、これは京都停車のためである。「ひかり」の停車駅は当初、名古屋だけを予定していたが、京都から反対の声があがり、開業2カ月前になって決まったという。今では京都を通過するなど、考えられない話ではある。とかくビジネス仕様ということで、観光目的の考えがなかったのかもしれない。

 本来のスピードになったことで、特急料金も若干の値上げをしている。「ひかり」が1300円から1600円に、「こだま」が1100円から1300円に。在来線特急時代は6時間50分で特急料金800円だったから、時間が半分になれば料金は2倍、という見事な設定だ。

 ちなみに当時の時刻表の巻末には、今と同様、航空機の時刻表も掲載されていて、東京―新大阪間を1時間20~50分で結び、片道6000円(日本航空線)。時間は半分、料金は2倍強。まだまだ高価ではあるが、後の熾烈な競争を思うと、すでに闘いは始まっていたといえなくもない。

 3年後の1967(昭和42)年には、列車本数が大幅に増発され、朝夕に限り20分間隔で運転されるようになる。さらに2年後、1969(昭和44)年12月には、それまで12両編成だった「ひかり」が、16両編成での運転を始める。翌年1970年3月開催の大阪万博へ向けて、日本中が沸き立ちはじめていた。

「vol.2 70年代」へつづく)


「大時刻表」1965年10月号。新幹線×富士山という「ザ・日本」な写真。オリンピックマークも誇らしげ。

「大時刻表」1965年11月号~1966年4月号。開業してから約1年間は新幹線が表紙を飾った。あらゆる場所の、あらゆる角度からの新幹線写真には、どれも憧れと旅情があふれている。

ページをめくって振り返る新幹線とあのころ

60年代クロニクル

1960
ジャイアント馬場とアントニオ猪木がデビュー
1961
国民皆保険・皆年金制度がはじまる
国内線初のジェット旅客機が就航(東京~札幌間)
*「上を向いて歩こう」がヒット
1962
マリリン・モンロー死去
キューバ危機
1963
「鉄腕アトム」放映開始
アメリカ・ケネディ大統領暗殺
力道山が刺され、後日、死亡
*「高校三年生」がヒット
1964
日本人の海外渡航が自由化
「平凡パンチ」創刊
東京オリンピック開催
1965
アメリカ、ベトナムにおいて北爆を開始
朝永振一郎がノーベル物理学賞を受賞
「11PM」放映開始
1966
日本の総人口が1億人を突破
中華人民共和国で毛沢東による文化大革命開始
ビートルズ来日、武道館でコンサート
「ウルトラマン」シリーズが放映開始
トヨタ「カローラ」発売
1967
リカちゃん人形が発売
「オールナイトニッポン」放送開始
「あしたのジョー」連載開始
1968
「週刊少年ジャンプ」創刊
小笠原諸島が日本に復帰
川端康成がノーベル文学賞を受賞
3億円事件
1969
東大安田講堂を学生が占拠、機動隊が出動
東名高速道路が全線開通
アポロ11号が人類初の月面着陸
「サザエさん」放映開始

JR時刻表

2010年11月号

12月4日(土)JR北海道・JR東日本ダイヤ改正
開業 東北新幹線 八戸~新青森間!!
冬の臨時列車初掲載 ほか
☆付録☆
新幹線ポストカード(700系のぞみ・ひかりレールスター)

詳しくはコチラ

文:屋敷直子

参考文献
『昭和三十九年の鉄道旅行 (鉄道タイムトラベルシリーズvol. 3』ネコ・パブリッシング
『鉄道黄金時代~「ディスカバー・ジャパン」の光と影~(図説日本の鉄道クロニクル7巻)』講談社
『新幹線誕生~超特急「ひかり」~(図説日本の鉄道クロニクル6巻)』講談社
『時刻表でたどる鉄道史』編著・宮脇俊三、企画執筆・原口隆行/JTBキャンブックス
『東海道新幹線パーフェクトガイド』JTB交通ムック
『昭和の鉄道〈30年代〉』JTB交通ムック
『図説 新幹線全史1・2』学習研究社
『復刻版 さらば日本国有鉄道』世界文化社
『東京人「特集 新幹線と東京」 2010年5月号』
『「ディスカバー・ジャパン」の時代 新しい旅を想像した、史上最大のキャンペーン』森彰英/交通新聞社

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