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2025.05.26ジパング俱楽部「絵手紙」は絵と文字と言葉で、想いを表現する小さなアート|定年後が楽しくなる新しい趣味

定年後が楽しくなる新しい趣味を紹介するこの連載。第10回のテーマは「絵手紙」です。

ハガキなどのかぎられたスペースにみずからの筆で絵を描き、送りたい相手を想って短い言葉を添える、この小さな芸術。 旅行シーズンに向けて嗜(たしな)めば、旅の思い出も自分だけのかたちにできそうです。

「絵手紙夢工房」の主宰・吉水咲子さんに、その魅力や楽しみ方について話を聞きました。


吉水咲子さん

1949年、栃木県生まれ。40代後半から絵手紙を始め、1998年に「絵手紙夢工房」を創設。2004年、ニューヨークで桜をテーマにした作品展を開催。

2011年と2012年にはピースボート「地球一周の船旅」に絵手紙講師として乗船。老人ホームなどで講師を務めるほか、現在は阿佐ヶ谷(東京)、小金井(東京)、宇都宮(栃木)、名古屋(愛知)の教室で指導にあたる。2025年6月30日~7月4日に東京都杉並区役所2階にて作品展を開催予定。

https://e-etegami.jp/

絵手紙って、どんな趣味?

絵と文字と想いを届ける、小さな芸術


自分の作品を解説する吉水さん 自分の作品を解説する吉水さん

絵と文字と言葉、3つの要素を合わせたのが絵手紙です。

基本的には墨、筆(筆ペン)、色付けには水で溶かして使う顔彩(がんさい)と呼ばれる固形絵の具を使用し、花や野菜など身近にあるものをハガキに描き、読んでほしい相手を想って伝えたい気持ちを短い言葉にして添えるというものです。

独特なのは、普通の絵画などと違って下書きをしないことです。


鮮やかな発色の顔彩。水で溶かしてそのまま使えます 鮮やかな発色の顔彩。水で溶かしてそのまま使えます

吉水さん 下書きをすると勢いがなくなってしまうんですよね。一発勝負だと思うと緊張感が生まれるし、集中できるので、いい作品となるのではないでしょうか。

そもそも絵手紙って失敗はないものなんです。うまく描けなくても色を塗ればきれいに見えますし、たとえば、墨をぼとっと垂らしてしまったりと、万が一失敗してもそれを生かしてリフォームする方法はいくらでもあります。紙も作品も無駄にはしません。

絵手紙を始めてから人生が変わった


「絵手紙はもらう人が気軽に喜べるのがよさ」と吉水さん 「絵手紙はもらう人が気軽に喜べるのがよさ」と吉水さん

吉水さんが絵手紙を初めて描いたのは、26年ほど前。故郷である栃木県の高校の授業の一環で、ひとり暮らしの高齢者へ手紙を送る取り組みがあり、実家で暮らすお母様のもとに高校生から手紙が届きました。

吉水さん 母は当時病気療養中でしたので、返信の代筆を頼まれたんです。その際、文章だけよりは何か気の利いたものを描きたいと思い、庭の花をハガキに描いたのですが、もう見るに堪えない絵で……(笑)。それをきっかけに、もっとうまく描きたいと思うようになり、母の安否確認を兼ねて描いては送り続けました。

当時40代だった私は主婦で、なにも夢がなく、人生これでいいのかなと悩んでいました。絵手紙はまったくの独学でしたが、楽しくてのめり込みましたね。「継続は力なり」で、だんだんと上達して自分なりの表現をつかめるようになりました。

絵手紙と出合ってから自分の世界がつくり上げられ、確実に人生が変わりました。

絵手紙の魅力とうまく描くコツ


生徒さんの作品を見てアドバイスする吉水さん 生徒さんの作品を見てアドバイスする吉水さん

――吉水さんにとって絵手紙の楽しさとは?

吉水さん 今咲いている桜を、咲いてる瞬間に描けること。旬のものを旬の時期に描けることがうれしいです。

ものを見る目も変わりますね。花や野菜などをよく観察するうちに、自然の中には“曲がり”があることを知ります。ピシッと真っすぐなものよりも、ちょっと曲がったもののほうが色気を感じて、いいなと思えるようになりました。

――絵手紙をうまく描くコツはありますか?

吉水さん 自由に描きたいものを描くことと、あまり深く考えすぎないことでしょうか。添えたい言葉も、描いた絵のスペースを見てから考えればいい。

最初から「ここに〇〇という言葉を書く」と決めて臨むと、なんというか、つくられたような感じになってしまいます。思いのままに浮かんだ言葉を即興でポンと入れるほうが、瞬間の思いを切り取ったようなみずみずしさがあると思うんです。

ただ、たとえば、がつんと強くて重い言葉に、ふわっとやさしいお花の絵は合わないので、描くモチーフと言葉・文字の雰囲気を合わせることは大事にしています。


旬にも意識が向くようになります 旬にも意識が向くようになります

絵手紙は絵心いらず! 家事の合間に楽しめる気軽なアート

仕事に生かして営業成績が伸びた!?


テーブルを囲んで集中する生徒さん テーブルを囲んで集中する生徒さん

「絵手紙夢工房」の阿佐ヶ谷教室(東京都杉並区)を訪れると、そこはマンションの一室。 リビングルームに大きなテーブルが置かれ、その中央には題材として用意された旬の花や野菜が並びます。 アットホームな雰囲気のなか、生徒さんは思いおもいのペースでモチーフと向き合います。

吉水さん 私の教室は長く続く方が多いです。20代から始めた方、10年以上通ってくれる方、なかには96歳の男性もいます。


話を聞かせてくれたトモミさん(左)と藤岡さん 話を聞かせてくれた丹沢さん(左)と藤岡さん

この日の教室に参加されていた丹沢智美さん、藤岡晴子さん、國岡美保子さんにも話を聞きました。

丹沢さん 3年ほど前、友人の誘いで始めました。友人は仕事でお客様に送るニュースレターを絵封筒(絵を描いた封筒)で送って営業成績も伸びているそうです。私も仕事にも生かせたらいいなと思っています。

――絵手紙を続けることで自分が変わったなと思うことはありますか?

丹沢さん 四季や自然に対する感性が変わりましたね。ただぼーっと歩いていた道でも風景やお花や生物を意識するようになりました。 旅行の時にささっと絵手紙が描ければ、写真に収めるのとはまた違ういい思い出にできると思うので、旅行したら実践してみたいです。


紙だけでなく立体的な木箱も“キャンバス”になります 紙だけでなく立体的な木箱も“キャンバス”になります

絵手紙の楽しさは「自由」にあり! 上手に描こうとしなくてOK

藤岡さん ただ楽しいから続いています。油絵を描くとなるとキャンバスなどの道具を用意しないとできませんが、絵手紙は食卓の隅っこでちょこちょこっと、家事の合間を縫って気軽に描けるのがいいなと思います。おかげで暇な時間がなくなりました。

――昔から絵はよく描いていたのですか?

藤岡さん いいえ。小学校以来、描いたことはないと言っても過言ではありません。絵手紙は絵心がなくてもできます。 男性の生徒さんは、女性とはまったく違うタッチの絵を描かれるので素晴らしいなあって。絵も文字も男性はやはり力強さを感じますね。そんなふうに、絵手紙は人それぞれの個性が出るのがおもしろいです。だから真似はしなくていい。好きに描くことが楽しむ秘訣です。


生徒さんが描いた作品。ハガキのほか封筒や大きな紙も使います 生徒さんが描いた作品。ハガキのほか封筒や大きな紙も使います

言葉選びに悩む時間も楽しむ。それが絵手紙のおもしろさ


話を聞かせてくれた國岡さん 話を聞かせてくれた國岡さん

國岡さん 吉水先生の作品展を見て感激して、教室に通い続けて16年になります。 1本のお花を描くにも、正面から描き、横から描き……と、花の向きを変えて何回も描けるのが楽しいです。だから、ハガキがどんどんなくなっちゃいます(笑)。 でも、見たままを描く写生とは違うので、自分のセンスでアレンジできるのもやりがいのあるポイントです。

――シニア世代にもおすすめですか?

國岡さん ばっちりです! 絵手紙は「6割が文章」とも言われますから、言葉はちょっとひねって書くように工夫しています。「どう書こうかな」と考えても簡単には出てこないのですが、考えること自体が大事だし、うんと頭を使うのね。そこもおもしろいです。 それに、生徒のみなさんと会っておしゃべりしながら描くでしょ。これがボケ防止にとてもいいみたいですよ。

ひとりでも、動けなくても、誰かとつながれる趣味

脳が活性化して認知症予防にも

描くものを細部までじっくり見ることで観察力が養われる、色を考えてきれいに塗ることで美的センスが磨かれる、完成させることで達成感や満足感が味わえ、幸福感につながる……などとメリットの多い絵手紙。
シニア世代にはさらにどんなメリットがあるのでしょうか。


「絵手紙を送るとコミュニケーションが生まれます」と吉水さん 「絵手紙を送るとコミュニケーションが生まれます」と吉水さん

吉水さん 以前見たテレビ番組で、絵手紙を描く人、読書する人、散歩する人、書道する人の脳の反応を比べたところ、前頭葉も後頭葉も使っているのが絵手紙だったんです。絵手紙は、見るし考えるし色も扱うし手先も使います。 それに、ひとりでできること、誰かを喜ばせられることも大きいと思います。

年を取ると体の不調で外に出られなくなることが増えてきますよね。教室に通えなくなった方はご自宅で絵手紙を描かれる方も多いのですが、「どこにも出かけられないけど絵手紙をやっててよかった」とおっしゃってくれる。 「これがなければなにも趣味がないし、世間とのつながりもなくなってひとりぼっちになっちゃうから」と聞くと、絵手紙を続けてきてよかったなと思います。

現代はスマホがあればつながる時代。郵便受けに自分だけのために書かれた手紙が届くことはなかなかない。だからこそ、うれしいことですし、大切にしていきたいですよね。

たった一枚で誰かを元気に、社会の役にも立てる

吉水さん自身も、遠く離れた家族や親しい友人や教室の生徒さん、行きつけのお店など、あらゆる人に絵手紙を送っています。 近年では、コロナ禍の過酷な現場で働く医療従事者の励みになればと、教室の生徒さんにも協力を呼びかけ絵手紙作品を集め、いくつもの病院へ送り届けたそうです。

吉水さん すごく喜ばれましたし、生徒のみなさんも社会参加できた実感があると思います。自分が描いた絵手紙が85円で北海道から沖縄まで日本中飛び回れて、そのたった一枚で誰かを元気にできる。たとえ自分は動けなくても、社会の役に立つことができる。絵手紙ならそんなことも叶(かな)えてくれるのです。


桜の開花と重ね合わせ、想いを綴(つづ)った生徒さんの作品 桜の開花と重ね合わせ、想いを綴(つづ)った生徒さんの作品

旅行での楽しみにもなる

――旅の思い出を絵手紙にして誰かに送るのも楽しそうですね。

吉水さん そうですね。そんな時は、水で溶かすと水彩のように色が塗れる「水彩色鉛筆」や、かさばらない小さな水彩絵の具が便利です。でも、その場で描けなくても鉛筆やペンでスケッチしておいて、帰宅後に色を塗ればいい。私はビニール袋を持参して、モチーフになりそうなものがあれば拾ってくるんです。

――今後の目標はありますか?

吉水さん 過去に2回ピースボートで世界旅行に出たのですが、もう1度船に乗りたいです。そこでまた、さまざまな国の人たちに絵手紙を教えたいですね。


生徒さんと同じ目線で見守る吉水さん 生徒さんと同じ目線で見守る吉水さん(写真提供/絵手紙夢工房)

吉水さんの考える、「絵手紙を始めたい人への3ステップ」

① 道具よりも行動!
 

とにかく一歩踏み出しましょう。そうしないとその先の風景は見えません。 道具を完璧に揃えてからとなると腰が重くなるので、初めはお金をかけず、コピー用紙やお子さんが残した絵の具、クレヨン、お手持ちの筆ペンなど、身の回りの物を活用すればいいでしょう。色も三原色だけで十分です。

描くモチーフも、茶碗でもリンゴでもピーマンでもなんでもいい。周りを見渡せばなにかしら描きたいと思うものがあるはずです。描き方も丸と線から始めればOK。丸を描いて真っすぐ何本か線を描けばカブになるし、丸を長く伸ばせば大根になるでしょう?そんなふうに難しく考えないで描き出してみること。


② 恥ずかしがらない!
 

こんな言葉を書いたらカッコ悪いかな……などと考えるのは無用。思ったことを恥ずかしがらずに書くことが大事です。人と比べるから恥ずかしさを感じるのであって、人は人、自分は自分という気持ちで取り組みましょう。

もしも何を書けばいいか分からなかったら、たとえば、「こんにちは、こんにちは」だけでもいい。今日のことを日記に1行書くとしたら?を考えて書いてみるのでもいい。絵を見れば分かることをただ言葉にするよりも、想像を搔き立てるというか、ハガキ一枚の世界にぐんと広がりが出ると思いませんか。


③ 日頃からメモやスケッチをしてみよう
 

ひらめいた言葉やいいなと思った言葉と出合ったら、メモを取ってみて。書きとめておくと言葉の引き出しを増やすことができ、絵手紙を描く時のヒントになるでしょう。

私は普段から手帳を持ち歩き、印象的なモチーフや風景は忘れないようにスケッチをしています。手を動かすことで脳を刺激してより記憶に残すことができるのです。


文/下里康子 写真/田中仁志