2026.06.25ジパング俱楽部能楽好き・かめうみさん寄稿完全版!私が能を観るようになった理由|“観る”を楽しむ日本の芸能

「難しそう」「ハードルが高い」̶̶ 能にそんな印象を抱いている方も多いのではないでしょうか。
出版を通じて能の魅力を発信している、かめうみさんに、予備知識ゼロで観に行った能に魅せられた、自身の体験を綴(つづ)ってもらいました。
「ジパング倶楽部」2026年7-8月号に寄稿・掲載のコラムを完全版で紹介します。
私が能を観るようになった理由
この世に生まれた人間なら誰しも“自分がいつか死ぬこと”を知った瞬間がある。私の場合は幼少期の夜眠る前だった。
今ある自分がここから消えてなくなる事実におののき、あまりの恐怖に枕につっぷして歯をくいしばり泣いた。
まわりの人たちは家族含め、何食わぬ顔で幸せそうに生きている。
私だけがいつか死ぬという当たり前の事実におびえている、そう思って誰にも言えなかった。
それ以来、死の恐怖は私の心の奥底に影を落としていた。
中学生の時、絵を描くのが好きだった私とMちゃんは美術館や映画館に通った。
そのMちゃんがある日、「やばいのがある」と声をひそめて言ってきた。
当日建物に入ると、屋根付きの神聖な舞台が静かに佇(たたず)んでいた。
予約した正面1 列目、ど真ん中の席に座る。
「舞台の鐘が落ちてきてね、主人公がその中に飛び込むんだけど、鐘で頭打って死んじゃった人もいるんだって」。
Mちゃんからは猟奇的な情報だけ、何もわからないまま能「道成寺(どうじょうじ)」が始まった。
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能「道成寺」の一場面 イラスト/時松はるな
笛の音、鼓のやわらかい音とパキッとわれるような音。
その中から、いわゆる能面をかけた女の人が現れる。
言葉は何ひとつ聞き取れない。
舞台右手のコーラスはうなる嵐のよう。そして能面の彼女がエネルギーを凝縮させ静止した時、私は悟った。
――彼女は死んでいる。
心の奥底にしまっていた「死」と、私はその瞬間対峙(たいじ)した。
「死」は美しい重厚な着物を着て美しい扇を持ち、ぼうっとなるくらいとても美しかった。
後で知ったことだが能「道成寺」の主人公は、ひねくれた恋の末に毒蛇となり、想い人を鐘ごと焼き殺した少女の亡霊だ(年齢もその頃の私と同じ位だろう)。
能面が能面である理由も察した。
どんな人も、どんなものも――たとえ死であっても――映すことができる顔に作られている。
それは先人たちの深い洞察と考察の賜物(たまもの)だった。
私は完全に能にやられてしまったのである。
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今も死の恐怖が消えたわけじゃない。
けれど能のおかけで、私は「死」に遭いに行けるようになった。
能は現行二百曲ほどあり、「道成寺」のように成仏できない死者の亡霊を主人公とする曲が多い。
今を生きる能楽師は死者となって、能舞台に現れる。
また能と同時上演される狂言は、能とは反対に生きる人間の愚かさをおもしろく描く(能と狂言をあわせて能楽と言うくらい二つはセット)。
食べ物の“甘い・しょっぱいループ”のように“生と死のループ”がいろいろな形で生まれているのも能楽の魅力といえる。
このループはどこからきたのか。勝手な妄想を少しだけお話ししてみる。
死を穢(けが)れとして強く忌むようになったのはじつは平安時代頃からとされる(網野善彦著『歴史を考えるヒント』等を参照)。
死が忌むものでなかった遠い昔の縄文時代、村は環状集落を形成した。周囲を住居で囲み、中央には、祭祀を行なう広場と、墓地があった。
想像する。
縄文の人々は中央広場で、夜な夜な、足を踏み、土の下の死者とともに、踊っていたのではないだろうか?
生と死が相舞って、ループする。人間が、自分が、生きる意味、それは永遠にわからなくても、この体で踊り、遊ぶこと。
いつか死んでも、魂はダンスする。その踊りは、ループは、もしかしたら「芸能」の始まりだったのではないか。
古くに成立し今も残る貴重な神楽は、その土地土地の神に捧げられ神とともに遊ぶ芸能で、たまに能の影響も見えるが、弥生時代以降の農耕文化の思想が根底にある。
室町時代に大成した能には「神・男・女・狂・鬼」という分類があるように神様も主人公のひとり。
現代の私たちには、神様を人間の心が生み出した存在と考えるとスムーズで、能はそれを先取りしたと言えるのかもしれない。
人間の複雑な心のありように深く強く焦点をあてた能楽は、死が身近にあった戦国時代の武士たちに愛され、江戸時代に成立した後進芸能の文楽・歌舞伎にもリスペクトされた。
文楽と歌舞伎はオリジナルの演目でも死が如実に絡んでくるがあくまで生者のドラマで、あからさまに「死」を主人公とする芸能は、能以外におそらくない。
縄文時代の“ループ”が飛び火し、能を中心に日本のさまざまな伝統芸能に潜んでいるかもしれないと考える時、ワクワクせずにはいられない。
そんなわけで今日も私は「死」に遭いに、能楽堂へ向かうのである。
文/かめうみ イラスト/時松はるな
かめうみ

