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2024.06.20ジパング俱楽部民俗学者・赤坂憲雄さんのコラム「北の夏祭りは 狂おしく、さみしい」|北東北の祭り

北の夏祭りは 狂おしく、さみしい

思えば、30年も前の夏のことだ。 8月のはじめ、青森・弘前から秋田・能代(のしろ)へと「ねぶた」や「竿燈」などの北東北の夏祭りを見て歩いた。それらは民俗学的にいえば、「眠り流し」系の祭りの一群である。

秋田の「竿燈」はかつて眠り流しの名で呼ばれていたし、「青森ねぶた」や「弘前ねぷた」も原型は眠り流しであったと想像される。「眠り流し」とは、とくに夏場に眠気をもたらす睡魔や穢(けが)れを体から追い出し、健康を祈る行事のことだ。

その一週間ほどの旅のなかで私は、北秋田の阿仁(あに)地方の「ネブ流し」を訪ねている。灯籠の上に付けたカヤの穂を、最後に川に流す。 「ケガチ(飢饉)を祓(はら)って豊作を祈るものだ」と村の女性が教えてくれた。

秋田の「竿燈」でも、いただきには紙と麻で作られた御幣が付いている。この御幣に穢れや災厄を移して、川に流し棄(す)てるところに、古くからの「眠り流し」としての意義があった。

旅の終わり、8月7日の夕暮れに、私は能代の米代川(よねしろがわ)のほとりにいた。夕闇が深くなる頃、城郭をかたどり鯱(しゃち)を取り付けた舟形のねぶたが、笛や太鼓、はやし唄の若者たちを従えて現われた。

それから、草の筏(いかだ)に移されたねぶたは、松明(たいまつ)をかざす男によって火がつけられ、燃やされたのだった。その幻想と哀愁に満たされた情景は、今も記憶に鮮やかだ。

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江戸時代から続く城郭型の大型灯籠がきらびやかな「能代役七夕」 江戸時代から続く城郭型の大型灯籠がきらびやかな「能代役七夕」

能代の「ネブ流し」の起源には、はるかな昔の蝦夷(えみし)征討にかかわる伝承がからんでいる。「青森ねぶた」についても、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)よる蝦夷征討の伝承が語られてきた。

こうした伝承は、すでに江戸時代には流布していたらしい。灯籠を作り、笛や太鼓とはやし唄でマツロワヌ(従属しない)ものたちを誘いだし、退治した、と語られてきたのだ。ねぶた絵の題材が、どれも雄々しい勇者による鬼や異族の征伐という構図を持つのは、偶然ではない。

「眠り流し」の本義は、穢れや災厄を祓い棄てることだったが、それが祭りとして演出されるときに、見えない穢れが鬼や異族として可視化され、それを征伐する姿が定着していったのだ。

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「眠り流し」は日本各地にある行事だが、なぜ東北ではこれほど華やかな祭礼へと成長を遂げてきたのだろうか。

東北の夏はとても短く、儚く、いつだってケガチ(飢饉)の不安から逃れることができなかった。だからこそ、夏が過ぎ去ろうとする季節に、もっともにぎやかに厄流しの華麗なる祭礼が催されてきたのではなかったか。

青森出身の芸術家、棟方志功(むなかたしこう)が❝ねぶたのさみしさ❞を語ったことを思い出す。ねぶたが果てると、秋がそこにある。
狂おしく、さみしい夏祭りなのだ。


赤坂憲雄

民俗学者。「東北学」の提唱者。東京大学文学部卒業。元学習院大学教授。著書に、『東北学/忘れられた東北』(講談社)など多数。


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