トレたび JRグループ協力

2023.04.03鉄道非電化区間の急行列車で活躍した キハ28・58系 急行形気動車

北海道から九州までの幅広いエリアにおいて、幹線やローカル線の急行列車として活躍したキハ28・58系急行形気動車の足跡を紹介します。

急行形気動車とは?


動力用エンジンを2台搭載した強力型のキハ58形を先頭に走るローカル線の急行列車

1960(昭和35)年12月、新登場のキハ80系特急形気動車を使用した特急「はつかり」が上野〜青森駅間に登場し、非電化区間においても東海道本線の151系特急電車と同様のサービスが図られるようになりました。これに合わせ、急行形気動車も東海道本線の153系急行形電車と同様の客室設備を備えた車両にすることとなり、キハ28・58系が開発されることが決定。北海道から九州まで幅広いエリアで使用するため、エリアごとの気象条件や線路状況に応じた形式で製造されることになりました。

普通車(当時は二等車)はキハ、グリーン車(当時は一等車)はキロで、エンジンを1台搭載した車両は20番台、エンジンを2台搭載した車両は50番台の形式となっています。寒冷地の北海道向けにはキハ27・56形とキロ26形、本州・四国・九州用にはキハ28・58形とキロ28・58形、信越本線横川〜軽井沢駅間のアプト区間に対応したキハ57形とキロ27形が製造されました。

これまでの車両と比較するとより快適になった客室設備が好評を博し、8年間で約1800両が製造され、全国各地で急行列車から普通列車まで幅広く活躍。電化の進展により幹線から退いた後も、ローカル線の急行列車や普通列車の主力として運転されてきましたが、2020年を最後に運転を終了しました。

  • 写真:動力用エンジンを2台搭載した強力型のキハ58形を先頭に走るローカル線の急行列車

北海道の厳しい寒さに対応した専用車両 キハ27・56形&キロ26形


札幌〜稚内駅間を天北線経由で結んでいた急行「天北」

北海道の厳しい寒さや雪に対応するため、客室窓を二重構造の窓とし、出入口ドアのレールにヒータ ーを取り付けるなど、耐寒耐雪構造を強化した車両。このグループでは一番 早く誕生した車両で、1961(  昭和36)年4月から根室本線札幌〜釧路駅間の急行「狩勝」に使用。その後は函館本線函館〜札幌駅間の急行「すずらん」をはじめ、道内各地 を結ぶ急行列車として幅広 く活躍しました。 

1969(昭和44)年10月改正で函館〜  川駅間の特急「北斗」1往復が増発されましたが、車両の落成が間に合わず、1970(   和45)年2月28日までキハ56形7両編成がピンチヒッターとして登場。ヘッドマーク付きの特急列車として運転されたこともありました。  

  • 写真:札幌〜稚内駅間を天北線経由で結んでいた急行「天北」。晩年はキハ400形編成の増結車として活躍した

寒冷地仕様のキハ27・56形

しかし、幹線の特急列車化によって活躍の場が少なくなり、1986(昭和61)年3月改正から片側に運転台を増設・改造したキハ53形500番台が誕生。根室本線釧路〜根室駅間の急行「ノサップ」などに使用されましたが、JR化後はキハ27・56形の老朽化が進んだため新型車両へと置き換えられています。

  • 写真:北海道内各地の急行列車からローカル列車まで幅広く活躍していた寒冷地仕様のキハ27・56形

信越本線横川~軽井沢駅間のアプト区間対応車両 キハ57形&キロ27形


信越本線上野〜長野駅間を結んでいた急行「丸池」

今は廃止となった当時の信越本線横川〜軽井沢駅間は、急勾配を克服するためアプト式電気機関車が連結されるアプト区間でした。このため、同区間を通過する列車の車両はアプト式に対応する必要があり、線路に敷かれたラックレールとブレーキ機器が接触しないようにするため、ディスクブレーキおよび空気バネ台車を採用したキハ57形&キロ27形が製造されました。

  • 写真:信越本線上野〜長野駅間を結んでいた急行「丸池」。アプト式に対応したキハ57形のみが使用されていた

空気バネ台車とディスクブレーキを採用したキハ57形

まずは1961(昭和36)年7月から上野〜長野・湯田中駅間の急行「志賀」「丸池」に使用。同年10月改正から上野〜長野駅間の急行「とがくし」や大阪〜長野駅間の急行「ちくま」にも使用されました。

しかし、1963(昭和38)年6月に長野までの電化が完成し、さらに同年9月にはアプト式が廃止となったため、キハ57形の本来の目的は失われてしまいました。上野〜長野駅間の急行は電車化され、その後は中央本線名古屋〜長野駅間の急行「きそ」や飯山線、小海線、中央本線の急行からローカル列車まで幅広く使用。初期製造の車両で老朽化が進んでいたため、ほとんどの車両が国鉄時代に廃車となり、今ではその姿を見ることができなくなっています。

  • 写真:信越本線横川〜軽井沢駅間のアプト式に対応した空気バネ台車とディスクブレーキを採用したキハ57形

本州・四国・九州で幅広く活躍した標準タイプ車両 キハ28・58形&キロ28・58形


東北エリアで活躍したキハ58形

1961(昭和36)年10月改正に向けて製造された本州・四国・九州向けのキハ28・58形が、このグループの標準タイプになります。当時は非電化であった幹線のDC急行列車のサービス向上を図るため、東北本線や中央本線、北陸本線、山陰本線、四国内各線、鹿児島本線、長崎本線などの長距離列車に使用。勾配区間が続く中央本線ではキハ55形で運転されていた新宿〜松本駅間の急行「アルプス」に投入し、スピードアップと快適性が図られました。

最小の編成単位が2両となるため、幹線の電化後も非電化のローカル線などに直通する多層建て列車(行き先の異なる列車を3本以上併結・途中駅で分割)として、1975(昭和50)年代頃まで活躍を続けていました。しかし、幹線の特急列車化が推進されると、次第にローカル線の急行列車や普通列車に運用されるようになりましたが、JR化後は新型気動車の投入により活躍の場を失ってしまいました。

  • 写真:仙台〜新潟駅間を仙山線・米坂線経由で結ぶ急行「べにばな」など、東北エリアで活躍したキハ58形

ヘッドマーク付きの急行列車が似合うキハ28・58系

なお、車両の基本は0番台ですが、1962(昭和37)年に修学旅行用としてキハ28・58形の800番台(列車の愛称は東北発が「おもいで」、九州発は「とびうめ」)が登場。また、ブレーキ制御の関係から最大11両編成に制限されていましたが、1963(昭和38)年度以降の車両は15両編成まで連結可能な制御回路などを装備。このため、キハ28形は301〜、キハ58形は401〜・1001〜、キロ28形は101〜と番台区分が分かれることになりました。ただし、中央本線の急行列車連結用として同時期に登場したキロ58形は1〜の基本番号のみです。

さらに1968(昭和43)〜1969(昭和44)年にかけて製造された最終グループでは、暖地向けのキハ28形は1001〜、キハ58形は1101〜、キロ28形は301〜、寒地向けのキハ28形は501〜、キハ58形は1501〜、キロ28形は501〜となり、すぐに冷房化ができるように準備工事が行なわれていました。特に先頭車両の運転台窓がパノラミックウインドウになり、ほかの番台の車両とひと目で違いが分かります。

  • 写真:ヘッドマーク付きの急行列車が似合うキハ28・58系。本州・四国・九州の幅広いエリアで活躍した

冷房用のエンジンを搭載した新車&改造車 キハ65形&キハ28形2000番台


冷房用エンジンを搭載したキハ28形2000番台(先頭の車両)とコンビを組んで走るキハ58形

1955(昭和30)年代の冷房車は特急列車や一等車などの特別車両に限られていましたが、1969(昭和44)年から普通車の冷房化が本格的にスタートしました。

気動車で問題になるのは冷房用の電源を確保することで、1エンジン車の場合は電源用エンジンを積むことができますが、2エンジン車では搭載スペースが確保できず、冷房化の支障となっていました。

  • 写真:冷房用エンジンを搭載したキハ28形2000番台(先頭の車両)とコンビを組んで走るキハ58形

側面の客室窓に2段式ユニット窓を採用したキハ65形

そこで、中央本線などキハ58形がメインとなる勾配線区を走る急行列車用として、2エンジンで360PSのキハ58形よりも大出力の500PSエンジンと、自車を含めて3両に給電できる冷房用電源エンジンを搭載したキハ65形が製造されることになりました。1969(昭和44)〜1971(昭和46)年にかけて暖地用の0番台と寒地用の500番台が製造され、キハ58形とユニットを組んで運行。これにより、キハ65+キハ58+キハ58の冷房編成が組めるようになり、勾配区間の線区で活躍するようになりました。

また、1エンジンのキハ28形やキロ28形(自車用の冷房電源エンジンは搭載)には、ほかの車両にも給電できる冷房電源用エンジンを搭載するスペースがあるため、冷房化にあわせてエンジンを搭載するとともに、元の車両番号に2000をプラスした2000番台となりました。

なお、キハ28形1505〜1510およびキロ28形2309〜2314・2508〜2518は新製時から自車を含めて3両に給電できる冷房用電源エンジンを搭載。当初は+1000で登場したキハ28形は、後に2505〜2510に改番されています。

  • 写真:運転台の窓にパノラミックウィンドウ、側面の客室窓に2段式ユニット窓を採用したキハ65形

懐かしの列車旅 キハ28・58系 急行形気動車

キハ28・58系を改造して誕生した ジョイフルトレイン


キハ56形・キロ26形の改造車

幹線電化の進展に伴ってローカル線へ転用されたキハ28・58系ですが、2〜3両の短い編成で非電化区間も走れるという気動車の特徴を生かし、余剰となった車両をジョイフルトレインに改造する工事が全国各地で行なわれました。

最初の改造となったのは1973(昭和48)年に北海道で登場したお座敷列車「くつろぎ」で、キハ27形の車内をお座敷グリーン車にしてキロ29形に改番されました。1975(昭和50)年代後半になるとキハ28・58系気動車を改造した欧風気動車や洋風お座敷気動車なども登場し、団体旅行の主役となるジョイフルトレインが人気の的になりました。

  • 写真:北海道初のリゾート気動車「アルファ・コンチネンタル・エクスプレス」はキハ56形・キロ26形の改造車

キハ28・58形を改造した和洋折衷のお座敷気動車として米子エリアに登場した「ほのぼのSUN-IN」

1985(昭和60)年12月には、北海道でキハ56形とキロ26形を改造した3両編成のリゾート列車「アルファ・コンチネンタル・エクスプレス」が登場。先頭車両はハイデッカータイプの展望席になるなど、種車となったキハ56形のスタイルとは異なる斬新な車両として注目を集めました。

キハ28・58形の改造ジョイフルトレインで活躍したのは、JR東日本の「リゾートこがね」や「kenji」、JR西日本の「ほのぼのSUN-IN(サンイン)」の3編成。このうち、山陰本線エリアで活躍してきた「ほのぼのSUN-IN」は2009年11月29日に引退し、11月22日までの土・日曜に快速「ありがとうお座敷ほのぼのSUN-IN」、11月28・29日には快速「さよならお座敷ほのぼのSUN-IN」として、山陰本線出雲市→三保三隅、三保三隅→江津、浜田→出雲市駅間で運転されました。

  • 写真:キハ28・58形を改造した和洋折衷のお座敷気動車として米子エリアに登場した「ほのぼのSUN-IN」

JR東日本&JR西日本で最後の活躍を見せた キハ28・58系国鉄色気動車


近年は国鉄色に戻された車両が活躍した

全国各地で活躍したキハ28・58系急行形気動車ですが、2009年10月時点で現役で残っていた車両はキハ58形が6両、キハ28形が5両、キハ65形が1両の計12両。

JR東日本では新津運輸区に国鉄色のキハ581022+キハ282371、JR西日本では富山運転センターに国鉄色のキハ58477+キハ282360および高岡色のキハ581114+キハ282346、岡山電車区気動車センターに国鉄色のキハ58563+キハ282329、JR九州では熊本運輸センターの「あそ1962」のキハ58139+キハ282401、大分車両センターの「トロQ」の両端に連結されるキハ58569+トロッコ3両+キハ6536が現役車両でした。

  • 写真:JR各社ではエリア別にオリジナル塗色が採用されていたが、近年は国鉄色に戻された車両が活躍した

JR西日本の北陸エリアのオリジナル塗色「高岡色」で残るキハ28・58形の2両編成

このうち、3本6両が懐かしい国鉄急行色の気動車で、JR東日本の2両は新潟デスティネーションキャンペーン「うまさぎっしり新潟」のイベント列車(団体列車)として運転し、同キャンペーンが終了する2009年12月には引退しました。

  • 写真:JR西日本の北陸エリアのオリジナル塗色「高岡色」で残るキハ28・58形の2両編成。塗色が違うと雰囲気が異なる

豊肥本線熊本〜宮地駅間を結ぶ観光列車「あそ1962」

JR西日本の富山運転センターの2本は高山本線越中八尾(えっちゅうやつお)〜富山駅間の普通列車に活躍した最後の定期列車運用で、大糸線南小谷(みなみおたり)〜糸魚川(いといがわ)駅間の車両が検査時などに同区間で運転されることもありました。

  • 写真:豊肥本線熊本〜宮地駅間を結ぶ観光列車「あそ1962」。1962年製造のキハ28形とキハ58形を使用している

久大本線由布院〜南由布駅間のトロッコ列車「トロQ」

岡山電車区気動車センターの車両は山陰本線の快速「マリンあまるべ」などの臨時列車に使用。JR九州の車両は豊肥本線の「あそ1962」と久大本線の「トロQ」「トロッコ列車」に使用され、いずれもその役割を終えています。

  • 写真:久大本線由布院〜南由布駅間のトロッコ列車「トロQ」の両端にはキハ58形とキハ65形が連結されていた
  • 文:結解 喜幸
  • 写真:結解 学
  • 写真協力:羽片日出夫(急行「丸池」)、Kazuma(キハ57形)
  • 本記事は2009年10月初出のものを再構成しました
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