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2022.05.24鉄道立食スタイルの軽食堂 ビュッフェ車

1958(昭和33)年11月、151系特急「こだま」に連結されたビュッフェ車。今回は立食スタイルのビュッフェ車にスポットを当てて紹介します。

ビュッフェ車とは?

日本の食堂車の歴史は明治時代に始まりますが、軽食堂のビュッフェ車が登場したのは1958(昭和33)年11月のことです。食堂部分にテーブルを配置してゆっくりと食事を楽しめるスタイルの食堂車に対し、手軽に食事ができる立食スタイルを採用したのがビュッフェ車で、東海道本線東京〜大阪・神戸間の151系ビジネス特急「こだま」に連結されました。軽食と飲み物が楽しめる簡単なカウンター形式となり、食堂や厨房のスペースが食堂車の半分で済むことから、半室が三等座席車の合造車となっています。

1961(昭和36)年3月、東海道本線の準急・急行列車で活躍していた153系に一等車とビュッフェ車を組み込み、東京〜大阪・神戸間の急行列車に本格的に運用することになり、二等座席とビュッフェの合造車となるサハシ153が登場しました。なお、特急「こだま」でデビューを飾った日本初のビュッフェ車となるモハシ150は食堂車の誕生で補助的な役割となり、以後は電車急行用としてビュッフェ車が増備されることになり、交直流急行形電車のサハシ451・455、直流急行形電車のサハシ165・169が登場しています。

国鉄では電車特急・電車急行の供食サービス設備として誕生したビュッフェ車ですが、私鉄でも特急列車の車内サービスとしてビュッフェサービスが行なわれています。私鉄の場合は軽食・飲み物のシートサービスがメインで、小田急ロマンスカー「走る喫茶室」や東武特急1720系DRC「ビュッフェ」、近鉄特急スナックカーなどでサービスが行なわれてきました。しかし、乗車時間が短い私鉄線においては供食サービスもワゴン式の車内販売に移行し、現在は小田急ロマンスカー50000形VSE車で復活したシートサービスや、売店形式で残る東武特急スペーシアがビュッフェのスタイルを残しています。

なお、JRでは鹿児島本線の787系特急「つばめ」で本格的なビュッフェサービスが行なわれていましたが、九州新幹線の開業で廃止となりました。現在は、久大本線の特急「ゆふいんの森」、九州を一周する「36ぷらす3」がビュッフェ設備のある列車になっています。

国鉄初となる軽食堂車を連結した 151系ビジネス特急「こだま」が登場


東海道本線の151系ビジネス特急「こだま」

1958(昭和33)年11月1日、東京〜大阪間を6時間50分で結ぶ151系ビジネス特急「こだま」が登場しました。当時の特急列車に食堂車は必要不可欠な存在でしたが、国鉄初となる電車特急では新しい試みが採用されることになり、軽食堂ビュッフェ車を連結することが決定しました。軽食と飲み物に限定することで本格的な厨房は必要なくなり、さらにテーブルと椅子を配置する食堂も立食カウンターになったため、従来の食堂車の半分のスペースでビュッフェ営業が可能となっています。

これにより、残る半分のスペースは三等座席車(後の二等車)として活用でき、さらに編成中央に二等車(後の一等車)を組み込んで両側にビュッフェ車を連結することで、二等車の通り抜けがなくなり、編成両端からビュッフェまでの距離も短くなるという利点がありました。なお、車窓の風景とあわせて現在の列車速度がわかる速度計が設置され、利用者から好評を得ることになりました。

  • 写真:国鉄初のビュッフェ車となるモハシ150が連結された東海道本線の151系ビジネス特急「こだま」

直流急行形電車のサハシ165の調理室側

1961(昭和36)年3月、東海道本線の153系急行「せっつ」のグレードアップおよび急行「なにわ」の電車化では、リクライニングシートを装備した一等車のサロ152と、半室二等車のビュッフェ車のサハシ153が登場。中間の一等車を挟んで2両のサハシ153が連結されました。調理室側のカウンターには「すしコーナー」が設置され、車内で本格的な寿司が食べられることで好評を博しました。

  • 写真:2つの明かり窓と業務用ドアが設置されている直流急行形電車のサハシ165の調理室側

電車急行の軽食サービスに活躍した サハシ451・455・165・169形が登場


交直流急行形電車のサハシ451のカウンター席側

元祖電車ビュッフェ車となる151系のモハシ150ですが、1960(昭和35)年6月に客車特急「つばめ」「はと」の電車化では本格的な食堂車が登場しました。これにより、ビュッフェ車は編成中の食堂車を補完する役割となり、「電車特急=食堂車」、「電車急行=ビュッフェ車」というスタイルが定着しました。

東海道本線の電車急行用としてサハシ153が増備されましたが、1961(昭和36)年12月にはサハシ153-23に電子レンジを搭載して営業運転を開始。この結果は良好で以後に登場するビュッフェ車に採用され、これまで以上に温かい食事のメニューが充実することになりました。

  • 写真:立食スタイルに合わせた窓が設置されている交直流急行形電車のサハシ451のカウンター席側

交直流急行形電車455系の増備車のカウンター

また、151系のビュッフェ車の設計思想を引き継いだサハシ153に引き続き、交直流急行形電車のサハシ451・455、直流急行形電車のサハシ165・169(サハシ153から改造)が登場しました。東北・北陸急行用のサハシ451では「すしコーナー」ではなく「そばコーナー」が設置され、車内で温かいそば・うどんが食べられるようになりました。

急行列車に冷房が普及していない時代でしたが、ビュッフェ車は冷房完備でしたので、暑い夏の季節は軽食と涼をとる利用客で賑わっていました。なお、立食スタイルのビュッフェでしたが、最後に登場したサハシ455-21〜26の6両はビュッフェの窓側カウンターに椅子が設置され、座って食事を楽しめるようになっています。

  • 写真:交直流急行形電車455系の増備車のカウンターには、座って飲食が楽しめる椅子が設置された

1964(昭和39)年10月、東海道新幹線が開業 「ひかり」「こだま」用の35形が登場


1964(昭和39)年10月開業の東海道新幹線には、編成中に0系35形ビュッフェ車が2台連結された

1964(昭和39)年1日に開業した東海道新幹線東京〜新大阪間では、乗車時間が短いことから食堂車の連結は見送られ、ビュッフェ車の35形が登場しました。

車体幅の広い新幹線車両ということもあり、窓側のカウンターには椅子を設置。富士山側の車窓の風景を楽しみながら、椅子に座って軽食をとることができたため好評を博しました。151系特急「こだま」と同様に中間の一等車の両側にビュッフェ車が組み込まれ、一等車の車内通り抜けを防ぐとともに1〜12号車の各客室からビュッフェまでの移動が楽にできるように配置されていました。

  • 写真:1964(昭和39)年10月開業の東海道新幹線には、編成中に0系35形ビュッフェ車が2台連結された

0系新幹線の増備車となる37形ビュッフェ車内

1972(昭和47)年3月15日には山陽新幹線新大阪〜岡山間が開業しましたが、残念ながら食堂車の連結は見送られ、さらに35形の窓側のカウンターに設置された椅子を撤去し、立食スタイルとなった37形ビュッフェ車が登場。この後の増備車はすべて37形となり、老朽化に伴う35形の廃車に伴って東海道・山陽新幹線のビュッフェ車は立食スタイルに統一されました。

さらに1975(昭和50)年3月10日の山陽新幹線岡山〜博多間の開業では、東京〜博多間の乗車時間が6時間以上となるため、新幹線初となる36形食堂車が登場。16両編成の列車にビュッフェ車2両と食堂車1両が連結されましたが、それにあわせて1両を売店車として使用する列車も登場するなど、ビュッフェとしての機能が失われてきました。

  • 写真:0系新幹線の増備車となる37形ビュッフェ車内。椅子を省略した立食スタイルに変更された

1982(昭和57)年6月、東北新幹線が開業 「やまびこ」「あおば」用の237形が登場


1982(昭和57)開業の東北・上越新幹線200系には、立食スタイルの237形ビュッフェ車が連結された

1982(昭和57)年6月23日、東北新幹線大宮〜盛岡間の開業に伴い、東北・上越新幹線用の200系が登場。乗車時間が短いことから食堂車の連結は見送られ、東海道・山陽新幹線の37形ビュッフェ車の東北版となる237形が連結されることになりました。基本的なスタイルは37形と同じ立食スタイルのビュッフェ車ですが、現在の列車速度を表示する速度計が35・37形のアナログからデジタルに変更されています。

  • 写真:1982(昭和57)年開業の東北・上越新幹線200系には、立食スタイルの237形ビュッフェ車が連結された

東北・上越新幹線の237形ビュッフェ車内

新幹線のビュッフェ車のメニューは、電子レンジで調理できるものやお湯で温めて提供できるレトルト食品に限られていたため利用客は減少。一部の車両は弁当やお土産物を販売する売店および車内販売の準備室として使用されるようになりました。

200系の増備車には2階建て車両もありましたが、2階席はグリーン車、1階部分はグリーン・普通個室またはカフェテリアとなり、供食サービスを行なうビュッフェは次第に姿を消し、東北・上越新幹線も開業20周年を迎えた2002年までに営業を終了。同年6月と11月に運転された「20周年記念列車」ではビュッフェの復活営業が行なわれ、最後の花道を飾りました。

  • 写真:東北・上越新幹線の237形ビュッフェ車内。列車の速度がわかるデジタル式速度計が設置された

JR時代の新サービス 多彩なタイプのビュッフェ車が登場


鹿児島本線の787系特急「つばめ」に連結されたビュッフェ車

かつては列車内の食事が旅の楽しみのひとつでしたが、駅構内に多彩な飲食設備ができ、駅弁も旅客のニーズに合わせた品揃えとなり、食堂車やビュッフェで食事をする人の数は年々減少してきました。

そのような厳しい状況の中で、1988(昭和63)年3月に運転を開始した山陽新幹線の「ウエストひかり」は、0系37形のビュッフェ車を改造してテーブルと椅子を並べた食堂車スタイルの新しいビュッフェを連結。関西〜九州間では新幹線と航空機が激しい旅客争奪競争を繰り広げていたため、その対抗策としてデラックスなビュッフェの登場となりました。2000年3月の700系「ひかりレールスター」の投入により、0系37形のビュッフェ車の営業運転は終了しています。

  • 写真:鹿児島本線の787系特急「つばめ」に連結されたビュッフェ車。現在は普通車に改造されている

久大本線のキハ71・72系特急「ゆふいんの森」

1992年7月、鹿児島本線に登場した787系特急「つばめ」では、ビュッフェ車を連結して供食サービスを開始しました。洗練された車内サービスとあわせて好評を博しましたが、九州新幹線新八代〜鹿児島中央間の開業に伴って運転区間が縮小。このため、787系のビュッフェ車は普通車に改造されたため、短い期間ながら本格的に行なわれたビュッフェサービスが終了しました。

なお、久大本線博多〜由布院・別府間を結ぶキハ71・72系特急「ゆふいんの森」には、観光特急にふさわしいビュッフェが設置されており、車窓の風景を眺めながら地ビールやおつまみなどを楽しむことができます。由布院・別府エリアへ向かう観光客の列車旅の楽しみのひとつになっています。


  • 写真:久大本線のキハ71・72系特急「ゆふいんの森」では、地ビールやおつまみ、軽食を提供している
  • 文:結解 喜幸
  • 写真:結解 学、交通新聞サービス
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