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2022.04.12鉄道首都圏エリアで活躍した デッキ付き電気機関車

首都圏の旅客・貨物列車の牽引に活躍したデッキ付き直流電気機関車。今回は国鉄時代の懐かしい姿にスポットを当てて紹介します。

国産電機機関車とは?

大正時代になると東海道本線などの電化が推進され、本線用の大型電気機関車が必要になってきました。当時は欧米から輸入した電気機関車を使用していましたが、国産の電気機関車を開発する技術力が備わったため、本格的な大型電気機関車の開発・製造が行なわれることになりました。

まずはアメリカ製の電気機関車をベースにして国産の技術を盛り込んだEF52形直流電気機関車を開発し、1928(昭和3)年に製造した試作機で実用化の目処が立ったため、1931(昭和6)年までに9両が製造されました。

もちろん、当時の国内の技術では性能や信頼面で多くの問題点を抱えており、これらの問題点を地道に解決する努力が続けられました。EF52形8・9号機の2両は歯車比を小さくして高速性能を引き上げる試みが施されており、1932(昭和7)年には別形式となるEF54形1・2号機(後に貨物機改造によりEF14形に形式変更)になっています。EF52形で得られた問題点を改良して1932(昭和7)年に登場したのがEF53形直流電気機関車で、国産電気機関車のベースとなる性能と信頼性を確保しました。

1936(昭和11)年、世界の流線形ブームに合わせてEF55形電気機関車が誕生しました。東海道本線の特急列車の牽引機として活躍することになりましたが、スタイル優先の車両であったこともあり3両で製造は中止されました。その後は初めて暖房用の蒸気発生装置を搭載したEF56形や戦前の名機となるEF57形が続々と誕生し、東海道本線をはじめとする幹線の優等列車牽引に活躍。特にEF57形電気機関車は戦前に日本を代表する高性能電気機関車として、晩年まで優等列車牽引に活躍することになりました。

大正時代は欧米から多種多様な電気機関車を輸入していましたが、国内の技術者の絶え間ない努力によって国産化が実現。その後は世界をリードする技術を搭載した電気機関車の開発が続けられています。

関門トンネルでも活躍した EF10系電気機関車


貨物列車牽引用のEF10形

東海道本線の旅客用として登場したEF53形をベースとして、貨物列車牽引用に適した軸配置と歯車比を採用したのがEF10形直流電気機関車です。東海道本線の貨物列車の牽引をメインに上越線・中央線の勾配区間の旅客列車にも運用され、戦前を代表する貨物用機として活躍することになりました。

当初はEF53形と同じスタイルで製造されましたが、EF11形4号機の登場に合わせて17号機から24号機までは同じ丸味を帯びた車体となり、さらに25号機から41号機はEF56形7号機以降と同様の車体になっています。

写真:旅客用大型電気機関車のEF53形をベースに開発された貨物列車牽引用のEF10形


3タイプの車体を持つEF10形

1942(昭和17)年7月に開通した山陽本線下関〜門司間の関門トンネル用として使用されることになりましたが、当時の車体は海水の影響による塩害対策が不十分であり、現場では車両の保守に追われることになりました。塩害に強いステンレス材を車体に使用することが防錆対策に有効であることから、1953(昭和28)年に一部車体のステンレス化を実施。外板をステンレス材に張り替える改造が行なわれ、24・27・35・37・41号機がステンレス車体となっています。

1962(昭和37)年10月の鹿児島本線交流電化により関門トンネルはEF30形交直流電気機関車に置き換えられ、EF10形は首都圏や東海道本線の貨物列車用として活躍。晩年は飯田線や身延線の貨物列車に運用されていましたが、ED62形の増備により全機廃車となりました。

  • 写真:製造年度によりEF53形スタイルやEF56形スタイルなど3タイプの車体を持つEF10形

首都圏エリアで活躍した EF11系・EF12系電気機関車


EF11形

国産の大型貨物用電気機関車として成功を収めたEF10形をベースに、上越線や中央線の勾配区間で運用することを考慮して、初の電力回生ブレーキを装備して登場したのがEF11形直流電気機関車です。1935(昭和10)年から12年にかけて4両が製造されただけの少数派ですが、最後に登場した4号機は丸みを帯びた車体となり、その後に登場するEF10形17〜24号機、EF56形1〜6号機も同じスタイルを継承しています。

上越線や中央線の勾配区間で使用するために回生ブレーキを装備したものの、その機能を活用するに至らずに装備を撤去。EF10形と同様に貨物列車や上越線・中央線の旅客列車牽引用として活躍しました。晩年は八王子機関区に配置されていましたが、1974(昭和49)年には全機廃車となっています。

  • 写真:EF10形に電力回生ブレーキを装備して上越線や中央線の勾配区間に対応したEF11形

EF10形の出力アップ機となるEF12形

また、EF10形の出力アップを目的に新開発の主電動機を搭載したのが、1941(昭和16)年から1944(昭和19)年にかけて17両が製造されたEF12形直流電気機関車です。この時期には関門トンネル用としてEF10形も増備されており、EF10形の後期車と同じスタイルになっています。

東海道本線の貨物列車や上越線の勾配区間で活躍していましたが、晩年は高崎第二機関区に配置され、1982(昭和57)年に全機廃車となるまで高崎線・上越線・両毛線・吾妻線などで活躍していました。

  • 写真:晩年は両毛線や吾妻線を中心に運用されたEF10形の出力アップ機となるEF12形

貨物列車牽引に活躍した EF13系・EF15系電気機関車


EF58形の旧車体を再利用して箱型車体に変更となったEF13形

1944(昭和19)年の戦時下に資材を節約した戦時設計車として登場したのが、EF13形直流電気機関車です。EF12形の性能と資材の簡素化・節約を両立させるため、車体は使用する鋼材を節約した凸形スタイルとなりました。1947(昭和22)年まで31両が製造されましたが、戦時設計の車両は故障も多く問題となっていました。

1953(昭和28)年から1957(昭和32)年にかけてデッキ付きのEF58形旅客用電気機関車の初期車に半流線型の新しい車体を載せることになり、31両分の旧車体が余剰となりました。これにより、EF58形の車体に載せ替えて整備した新スタイルのEF13形となり、EF12形と同等の性能を生かした車両に生まれ変わりました。EF10形とともに首都圏エリアで活躍を続けていましたが、1979(昭和54)年までに全車廃車となっています。

  • 写真:半流線型の車体に載せ替えたEF58形の旧車体を再利用して箱型車体に変更となったEF13形

202両が製造された貨物列車牽引用のEF15形

戦後も戦時設計のEF13形が増備されましたが、1947(昭和22)年に新開発のEF15形直流電気機関車が誕生しました。旅客用のEF58形と共通の電気機器や台車を使用する標準形として1958(昭和33)年までに202両が製造され、直流電化区間の貨物列車牽引機の主役として活躍することになりました。新系列のEF60形やEF65形などの登場後も活躍していましたが、    1987(昭和62)年までに定期運用が終了しています。

なお、EF15形の一部車両は回生ブレーキを装備した勾配区間用に改造され、奥羽本線板谷峠用のEF16形1〜12号機および上越線水上〜石打間用のEF16形20〜31号機になっています。

  • 写真:戦後の貨物輸送の増加に対応するため202両が製造された貨物列車牽引用のEF15形

東北本線の旅客列車に活躍した EF56形・EF57系電気機関車


暖房用の蒸気発生装置を初めて搭載したEF56形

国産の大型旅客用直流電気機関車として登場したEF53形をベースに、客車暖房用の蒸気発生装置を搭載したのがEF56形直流電気機関車です。冬期の旅客列車牽引では機関車と客車の間に暖房車を連結していましたが、EF56形では暖房車の連結が不要となり、運用効率が向上することになりました。

1937(昭和12)年製造の1〜7号機は丸みを帯びたスタイルで、1940(昭和15)年製造の8〜12号機は角張ったスタイルとなりました。この時代に製造された電気機関車は製造年度によりスタイルに差異があり、他形式で同様のスタイルを見ることができます。

  • 写真:パンタグラフを車体中央寄りに設置し、暖房用の蒸気発生装置を初めて搭載したEF56形

東北本線上野〜黒磯間の旅客列車牽引に活躍したEF57形

1940(昭和15)年に製造された13号機は主電動機の出力をアップしたため、後継機となるEF57形の1号機に形式変更されました。EF56形は車体中央寄りにパンタグラフを設置しているのが特徴ですが、EF57形1号機はその特徴を引き継いだスタイルとなっています。

EF56形の主電動機の出力をアップして登場したEF57形は、1941(昭和16)年登場の2号機から15号機までパンタグラフを両端に配したスタイルに変更。    1949(昭和24)年の東海道本線浜松電化ではパンタグラフの高さを低くする必要があったため、さらにパンタグラフを車体前面に付き出したスタイルとなり、ほかの形式には見られない独特なものとなっています。

晩年はEF56形とともに宇都宮機関区に配置され、東北本線上野〜黒磯間の旅客列車や荷物列車の牽引に活躍。1975(昭和50)年にEF56形、1978(昭和53)年までにEF57形が全機廃車となっています。

  • 写真:晩年は宇都宮機関区に配置され、東北本線上野〜黒磯間の旅客列車牽引に活躍したEF57形

山陽本線セノハチ越えの補機 EF59形・EF61形電気機関車


EF53・EF56形を改造したEF59形

山陽本線瀬野〜八本松間(通称:セノハチ)には22.6‰(パーミル)の急勾配が連続するため、蒸気機関車時代から補機が連結されていました。昭和38年度末に貨物列車の電気機関車牽引が実施されるのに合わせ、同区間の補機もD52形蒸気機関車から電気機関車に置き換えられることになり、EF53形を補助機関車仕様に改造してEF59形直流電気機関車が誕生。

1968(昭和43)年までにEF53形19両全機がEF59形に改造され、さらにEF56形を改造した5機のEF59形が登場しました。丸みを帯びたスタイルのEF56形初期車から改造されたEF59形20〜23号機以外は角張った箱型スタイルで、一目で違いがわかる外観になっていました。

同区間では1200tクラスの貨物列車がEF59形の重連、荷の軽い貨物列車や旅客・荷物列車は単機で補機の任務に就いていましたが、ブルートレインなどは広島駅で後部にEF59形を連結し、勾配区間を越えた八本松駅の手前で走行開放を行なっていました。

  • 写真:EF53・EF56形を改造したEF59形は山陽本線瀬野〜八本松間の勾配区間の補機として使用

新系列の電気機関車で唯一デッキが付けられているEF60形改造のEF61形200番台

昭和50年代に入ると戦前のEF53形やEF56形の老朽化を考慮し、新系列の電気機関車を補機仕様に改造した後継機が計画されました。EF60形の初期車1〜14号機を補機仕様に改造してEF61形200番台(元のEF60形の車番に+200)とすることが決定し、新系列の電気機関車では唯一となるデッキ付き電気機関車が誕生。EF59形を置き換えることになりましたが、重連にすると押上げ力が強くて脱線の可能性も出たため、8両で改造計画は中止になりました。このため、改造中止となった6両(202・205・208・212〜214)が欠番となっています。

なお、1982(昭和57)年にEF60形100番台を補機仕様に改造したEF67形が登場し、1986(昭和61)年までにEF59形が定期運用から離脱。EF61形200番台もEF67形200番台に置き換えられて、1991年までに全機廃車となっています。

  • 写真:新系列の電気機関車で唯一デッキが付けられているEF60形改造のEF61形200番台
  • 文:結解 喜幸
  • 写真:結解 学
  • 本記事は2010年10月初出のものを再構成しました
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