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2022.04.15鉄道一世を風靡したブルートレイン「20系客車」

1958(昭和33)年に活躍したブルートレインって?

1958(昭和33)年10月1日、颯爽とデビューした20系ブルートレイン。一世を風靡した20系客車の歴史にスポットを当てて紹介します。

列車の愛称とは?

日本全国の鉄道には、愛称が付けられている列車が数多くあります。今では当たり前のような列車の愛称ですが、そのルーツは東海道本線の特急列車にあります。関東大震災以後の経済不況の中で利用客が減少していた国鉄(当時は鉄道省)では、1929(昭和4)年9月に列車利用のPRも兼ねて東京〜下関間の特別急行1・2・3・4列車に愛称を付けることをしました。

愛称は広く一般から公募され、「富士」「燕(つばめ)」「櫻」「旭」「隼(はやぶさ)」「鳩」「大和」「鴎(かもめ)」「千鳥」「疾風」の順位で愛称候補が出揃いました。1・2等特別急行列車には1位の「富士」、2・3等特別急行列車には3位の「櫻」が付けられました。2位の「燕」は1930(昭和5)年10月に運転開始が予定されていた東京〜大阪間の「超特急」に使用されることになり、公募ベスト3が東海道本線の特別急行列車として活躍しました。

私鉄でも近畿日本鉄道の前身となる大阪電気軌道・参宮急行電鉄が「いすず」、京阪電気鉄道が「びわこ」などの愛称を使用していたほか、当時日本が統治していた大陸の一部や満州国を走る列車にも「ひかり」「あかつき」「あじあ」などの愛称を付けた特急・急行列車が運転されており、列車に対する親しみが増すものとなっていました。

国鉄の愛称付き特別急行列車は、第二次世界大戦の戦況悪化によって列車の運行中止となりましたが、戦後は1949(昭和24)年9月に東京〜大阪間に復活した特急列車に「へいわ」の愛称が付けられました。1950(昭和25)年1月には一般公募によって「へいわ」を「つばめ」に改称し、さらに同年6月には同区間の特急列車に「はと」の愛称が付けられました。また、1949(昭和24)年9月に国鉄の急行列車で初となる「銀河」、10月には準急列車で初となる「いでゆ」の愛称が登場するなど、特急列車から快速列車まで愛称が付けられる時代となりました。

昭和30年代の国鉄は列車毎に愛称を付けていたため、地名や山河名、花の名など多種多様な愛称付き列車が運転されていました。指定席券の発売時にも余計な手間がかかり、利用者からもわかりにくいという問題点があったため、1968(昭和43)年10月改正では大幅に愛称を整理。同一区間を走る列車には同じ愛称を付け、1号・2号と列車毎に号数を付けることになりました。1978(昭和53)年10月改正からは号数を下りは奇数、上りを偶数とし、現在もそのスタイルが続いています。

颯爽とデビューを飾った 20系寝台特急「あさかぜ」


東京〜博多間の寝台特急「あさかぜ」でデビューを飾った全車冷房完備の20系客車

1958(昭和33)年10月1日、東京〜博多間を結ぶ20系客車を使用した寝台特急「あさかぜ」が登場しました。当時の東京〜九州間の特急列車には非冷房の客車が使用されていましたが、颯爽とデビューを飾った20系客車は全車冷房完備という当時としては豪華なもので、「動くホテル」として好評を博すことになりました。青い車体にクリーム色の帯を3本巻いたデザインも夜行列車にふさわしいもので、後に「ブルートレイン」の愛称が付けられるポイントになっています。

列車は、荷物車のマニ20形を先頭として、1号車に国鉄初となる1人用個室寝台「ルーメット」10室と2人用個室寝台「コンパートメント」4室を備えた2等寝台車のナロネ20形、2・3号車に2等寝台車のナロネ21形、4号車に2等座席車のナロ20形、5号車に食堂車のナシ20形、6〜11号車に3等寝台車のナハネ20形、12・13号車には3等座席車のナハ20形・ナハフ21形を連結した13両の固定編成になりました。

  • 写真:東京〜博多間の寝台特急「あさかぜ」でデビューを飾った全車冷房完備の20系客車

日本一豪華な個室寝台設備を持つ寝台特急列車として一世を風靡した20系「あさかぜ」

運転時刻は下り7列車は東京発18時30分〜博多着11時40分、上り8列車は博多発16時50分〜東京着10時で、車内で夕食と朝食が楽しめる時間帯でした。夕暮れ時の時間帯に東京駅を発車する列車の華麗な姿は憧れの的であり、列車の窓には全車冷房完備の快適な列車の旅を楽しむ人の笑顔が映し出されていました。 

  • 写真:日本一豪華な個室寝台設備を持つ寝台特急列車として一世を風靡した20系「あさかぜ」

待望の20系客車を増備 寝台特急「さくら」「はやぶさ」誕生


1959(昭和34)年7月の運転から20系客車に置き換えられて好評を博した寝台特急「さくら」

当時としては最高のサービスを提供する20系寝台特急「あさかぜ」の人気は高く、九州各県から20系客車運転の要望が出されるようになりました。当時、東京〜長崎間に特急「平和」や東京〜鹿児島間に特急「はやぶさ」が運転されていましたが、いずれも旧形客車を中心とした非冷房客車が使用されていました。

そこで、1959(昭和34)年7月20日の運転を目指して20系客車が増備されることになり、まずは東京〜長崎間の特急「平和」が20系化され、愛称を「さくら」に変更。新たに1人用寝台個室「ルーメット」6室と開放式2段ベッドを設置したナロネ22形が登場し、「あさかぜ」のナロネ20形に代わって1号車に連結されました。

  • 写真:1959(昭和34)年7月の運転から20系客車に置き換えられて好評を博した寝台特急「さくら」

3番目に20系化された寝台特急「はやぶさ」

列車は、荷物車のカニ21形を先頭として、1号車にナロネ20形、2号車にナロ20形、3号車にナシ20形、4・5号車にナハネ20形、6号車にナハフ21形を組み込んだ7両編成で、東京〜博多間では7〜11号車にナハネ20形、12号車にナハフ21形の6両編成を増結した13両編成で運転されることになりました。

長崎発着の特急列車も全車冷房完備の20系客車となって好評を博しましたが、残る鹿児島発着とはサービス格差が大きく、国鉄では翌年度の予算で20系客車をさらに増備。1960(昭和35)年7月20日から特急「はやぶさ」にも20系客車を投入することにし、東京〜九州間の3本の特急列車の20系化が完了しました。

また、20系客車の増備にあわせて「あさかぜ」にナロネ21形、「さくら」の基本編成にナハネ20形が組み込まれて14両編成に増強。新設の「はやぶさ」も「さくら」と同じ編成が使用されることになりました。

  • 写真:3番目に20系化された寝台特急「はやぶさ」。夏の九州では冷房完備が人気の的であった

第4・第5の20系特急誕生 寝台特急「みずほ」「富士」が登場


20系運転当初は熊本発着の基本編成と大分発着の付属編成を併結していた寝台特急「みずほ」

1962(昭和37)年10月1日改正では、東京〜熊本間の不定期特急「みずほ」が定期化され、東京と九州を結ぶ特急列車は4本体制となりました。どの列車も鹿児島本線博多駅を経由して長崎・熊本・鹿児島方面を結ぶため、大分をはじめとする日豊本線沿いの市町村からは東京直通の特急列車運転が強く要望されるようになっていました。そこで、「みずほ」の20系化と日豊本線大分発着の特急列車の運転が検討されるようになり、20系客車が増備されることになりました。

1963(昭和38)年6月1日、東京〜熊本間の特急「みずほ」が20系客車化されるとともに、門司駅で付属編成の8〜13号車を分割し、大分発着として運転されることになりました。また、九州特急の全列車が15両編成に増強されることになりましたが、中でも1963(昭和38)年12月20日から1両増結された寝台特急「あさかざ」は、1号車にナロネ20形、2号車にナロネ22形、3〜5号車にナロネ21形、6号車にナロネ20形、7号車にナロ20形、8号車にナシ20形、9〜12号車にナハネ20形、13・14号車にナハ20形・ナハフ20形を連結した1等寝台中心のデラックスな編成となりました。

  • 写真:20系運転当初は熊本発着の基本編成と大分発着の付属編成を併結していた寝台特急「みずほ」

東京〜西鹿児島間を結ぶ寝台特急「富士」。日本一の長距離を走るブルートレイン

1964(昭和39)年10月1日には寝台特急「みずほ」の大分編成が独立することになり、東京〜大分間に20系寝台特急「富士」が誕生しました。これにより、東京〜博多・長崎・熊本・西鹿児島・大分の5方面を結ぶ20系寝台特急が顔を揃えることになり、東海道新幹線開業で賑わう東京駅で5本のブルートレインが続々と発車する姿が見られるようになりました。なお、「みずほ」の大分編成は東京〜博多間の増結車となり、「富士」の付属編成は東京〜下関間の増結車となっています。

  • 写真:東京〜西鹿児島間を結ぶ寝台特急「富士」。日本一の長距離を走るブルートレインであった

東北方面へ20系客車投入 寝台特急「はくつる」「ゆうづる」登場


上野〜青森間を結ぶ寝台特急は東北本線経由が「はくつる」、常磐線経由「ゆうづる」

東京〜九州間の5列車が出揃った1964(昭和39)年10月1日改正では、上野〜青森間を結ぶ20系寝台特急「はくつる」も登場しました。東北本線は対北海道輸送も担う主要幹線ですが、優等列車はキハ80系特急「はつかり」「ひばり」の2往復のみで、後は寝台車を連結した急行列車が主役として活躍していました。東北方面の人にとって特急列車は憧れの存在でしたが、今改正では20系客車の投入により上野〜青森〜函館〜札幌〜網走・釧路間を結ぶ特急列車ルートが誕生することになりました。

1965(昭和40)年10月1日改正では常磐線経由の寝台特急「ゆうづる」も登場し、上野〜青森間を結ぶ寝台特急列車は「はくつる」「ゆうづる」のコンビとなりました。20系客車の快適さは人気の的となり、2列車の寝台券はプラチナペーパーとなっています。さらに増発を望む声はありましたが、1967(昭和43)年10月の東北本線全線複線電化完成に伴うダイヤ改正で寝台電車583系の投入も計画されており、同改正までは「はつかり」「はくつる」「ゆうづる」の3列車体制で運転されていました。

  • 写真:上野〜青森間を結ぶ寝台特急は東北本線経由が「はくつる」、常磐線経由は「ゆうづる」となった

1967(昭和43)年10月改正で登場した20系寝台特急「彗星」

また、同改正では新大阪〜西鹿児島・長崎間に寝台特急「あかつき」が登場。途中の鳥栖駅で分割して基本編成は西鹿児島発着、付属編成は長崎発着となる列車です。このほか、寝台特急「さくら」は東京〜博多間の付属編成を佐世保まで延長し、寝台特急「富士」は大分から西鹿児島まで延長運転するようになり、九州各地の主要駅でブルートレインの姿を見ることができるようになりました。

さらに「あけぼの」「瀬戸」「出雲」「日本海」など、20系客車を使用したブルートレインが活躍するようになりました。しかし、14系や24系など新系列のブルートレインが登場すると急行用に格下げとなりましたが、1986(昭和61)年11月には急行列車からも撤退。JR化後は臨時列車に使用されていましたが、1997年11月のイベント列車を最後に全車両が引退しています。

  • 写真:1967(昭和43)年10月改正で登場した20系寝台特急「彗星」。新大阪と宮崎・都城間を結んでいた
  • 文:結解 喜幸
  • 写真:結解 学
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