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2022.04.15鉄道流線形を取り入れたスピード感のあるスタイル 栄光のボンネット特急

東海道本線の151系を祖とするボンネットスタイルの特急用電車。昭和30年代から特急列車黄金時代に活躍した足跡を紹介します。

ボンネットスタイルとは?

昭和30年代に入ると電車特急の運転が計画され、新時代の特急列車にふさわしい車両のデザインが検討されました。その結果、高速運転における前面の視界を良好にするため運転台を高い位置に設置し、流線形スタイルのスピード感のあるボンネットを採用した車体が完成しました。

1958(昭和33)年11月、東海道本線東京〜大阪間を6時間50分で結ぶビジネス特急「こだま」が登場。これまでにないスピード感と特急電車の貫禄を備えたボンネットスタイルは一躍人気の的となり、1964(昭和39)年に交流電化の北陸本線用として誕生した交直両用の481系や東北エリア用の483系、信越本線横川〜軽井沢間の協調運転に対応した489系、上越線用の161系、上越線・中央本線・信越本線・山陽本線用の181系など、その後に登場した国鉄の電車特急用車両は151系のボンネットスタイルを継承しました。

一方、1967(昭和42)年に登場した寝台電車特急581系は分割併合を考慮した貫通形となり、151系から続いたボンネットスタイルがモデルチェンジされました。

それまで電車特急は、途中駅での分割併合を行なわない運転形態でしたが、電化の進展に合わせて分割併合も視野に入れる必要があり、1972(昭和47)年に登場した183系のクハ183形や485・489系の増備車となるクハ481形200番台、クハ489形200番台は581系と同じ貫通スタイルで製造されました。

これにより、1972(昭和47)年以降に製造された電車特急用車両は貫通スタイルまたは貫通路を廃止したスタイル(485・489系はクハ481・489形300番台として登場)となり、さらにJR化後は非貫通スタイルを基本とした多彩なデザインの車両が誕生しています。


ボンネットの内部

■ボンネットの内部(特急「こだま」)

ボンネットの中身は、ブレーキなどに必要な圧搾空気を作るコンプレッサー(左)や、低圧電源を供給する電動発電機(右)などが収められている。但し、現存のボンネット車は電動発電機のみ容量増大に伴い、床下に設置している。コンプレッサーはピストンを上下させて空気を圧縮するので非常に音が大きい。このようにボンネットは、騒音の発生源を客室から遠ざける目的で設計された。音が大きいものは客室から隔離させ、少しでも「静かで快適な車内」を実現させたいという特急「こだま」開発当時の設計者の熱意と工夫から生まれた結論であった。

  • 『ニッポン鉄道遺産を旅する』(交通新聞社刊)より転載

華麗に登場した元祖ボンネットスタイル 151系 特急形電車


元祖ボンネットスタイルとなる東海道本線の151系ビジネス特急「こだま」

1958(昭和33)年11月1日、東海道本線東京〜大阪・神戸間を結ぶビジネス特急「こだま」用として登場したのが、華麗なボンネットスタイルで人気を博した151系です。運転台を高い位置に設置し、前面部分をボンネットにするというスタイルは半世紀が過ぎた現在でも高い人気を誇っています。

最初に使用した列車が「こだま」であることから、ボンネットスタイルの151系は「こだま形」と呼ばれ、1964(昭和39)年10月に東海道新幹線が開業するまで東海道本線のエースとして活躍しました。

  • 写真:元祖ボンネットスタイルとなる東海道本線の151系ビジネス特急「こだま」

クロ151形「パーラーカー」の豪華な車内

登場時は三等座席+半室ビュッフェ車2両と二等車(当時は一・二・三等級制で二等車は現在のグリーン車に相当)2両を組み込んだ8両編成でしたが、1960(昭和35)年6月1日から客車特急「つばめ」「はと」の電車化に伴い、大阪寄りの1号車に豪華な「パーラーカー」のクロ151形、2〜5号車に二等座席車、6号車に食堂車のサシ151形、7号車に三等座席+半室ビュッフェ車のモハシ150形を組み込んだ豪華な12両編成になりました。

東京〜大阪・神戸間の「こだま」「つばめ」「はと」に加え、東京〜宇野間の「富士」、東京〜名古屋間の「おおとり」、大阪〜宇野間の「うずしお」などにも運用。東海道新幹線開業後は山陽本線の「つばめ」「はと」「しおじ」「うずしお」「ゆうなぎ」に運用されていましたが、1965(昭和40)年から1966(昭和41)年にかけて181系化改造が実施され、151系の形式は消滅してしまいました。

■Data:151系 特急形電車の主な列車
特急「こだま」、「つばめ」、「はと」、「富士」、「おおとり」、「うずしお」、「しおじ」、「ゆうなぎ」など

  • 写真:客車特急「つばめ」「はと」電車化で誕生したクロ151形「パーラーカー」の豪華な車内

上越線の特急「とき」用として開発された 161系・181系 特急形電車


151系のボンネットに帯を巻いた塗色の161系が使用された特急「とき」

1962(昭和37)年6月の信越本線長岡〜新潟間の直流電化幹線により、上野〜新潟間に上越線経由の電車特急の運転が計画されました。そこで151系を上越線で試運転したところ、平坦線用に開発された151系では上越線の連続勾配区間でモーターの温度上昇が激しく、途中で試運転を中止。日光準急用に登場した157系では問題が無かったため、157系の走行機器と151系の車体を組み合わせた161系が新製されることになりました。

1962(昭和37)年6月10日から161系を使用した特急「とき」が運転を開始し、華麗なボンネットスタイルが上野駅でも見られるようになったのです。

  • 写真:151系のボンネットに帯を巻いた塗色の161系が使用された特急「とき」。写真は1964(昭和39)年の鎌倉駅。同年6月の新潟地震で運休していた「とき」が駅の側線に置かれていた

上越線経由で上野と新潟を結ぶエースとして活躍した181系特急「とき」

1964(昭和39)年10月1日に東海道新幹線が開業すると、東海道本線を担当していた田町電車区の151系は大半が山陽本線を担当する向日町(むこうまち)運転所へと移り、上越線用として残った28両はモーターの出力増強やブレーキの増強などの改造工事を実施。1965(昭和40)年には151系・161系の走行性能を同一仕様とした181系化が行なわれ、以後の新製車両は181系となりました。

上越線用として登場した161系でしたが、何とわずか3年ほどで形式消滅してしまいました。その後は181系の増備が行なわれて、中央本線の「あずさ」や信越本線の「あさま」で活躍。リゾート地への季節列車として「そよかぜ」や「くろいそ」、冬のスキー列車として「新雪」「あさま銀嶺」「あずさ銀嶺」などにも運用されました。

■Data:161系・181系 特急形電車の主な列車
特急「とき」、「あずさ」、「あさま」、「そよかぜ」、「くろいそ」、臨時特急「新雪」、「あさま銀嶺」、「あずさ銀嶺」など

  • 写真:上越線経由で上野と新潟を結ぶエースとして活躍した181系特急「とき」

交流電化区間にも進出したボンネット車 481・483系 特急形電車


鹿児島本線の特急「有明」や日豊本線の特急「にちりん」など九州内でも活躍

1964(昭和39)年12月、北陸本線富山交流電化に合わせて、大阪・名古屋〜富山間で電車特急の運転が計画されました。151系は直流専用で交流区間を走れないため、151系の増備車では東海道新幹線開業後に交直流両用タイプに改造する計画がありました。

ところが、当時は非電化であった幹線の交流電化が推進され、将来的に交流区間を走ることができる電車特急が必要となることから、すでに実績のある471系交直流急行用電車の走行機器と151系の車体を組み合わせた481系が製造されることになりました。

まずは大阪〜富山間の「雷鳥」および名古屋〜富山間の「しらさぎ」用として60Hzの交流電源に対応した481系が製造され、1965(昭和40)年には50Hzの東北本線に対応した483系が登場。モーターが搭載されていない先頭車両はクハ481形と共通で、中間の電動車ユニットがモハ481+モハ480またはモハ483+モハ482となっています。

  • 写真:鹿児島本線の特急「有明」や日豊本線の特急「にちりん」など九州内でも活躍

交流50Hz区間に対応した483系が投入された上野〜仙台間の特急「ひばり」

東北特急では、上野〜仙台間の「ひばり」や上野〜盛岡間の「やまびこ」に運用され、さらに上野〜山形間の「やまばと」、上野〜会津若松間の「あいづ」も登場。先頭車両がグリーン車のクロ481形も増備され、クハ481形0番台・100番台、クロ481形0番台・50番台・100番台がボンネット車となりました。

東北新幹線開業後の晩年は常磐線の「ひたち」で活躍しましたが、九州エリアで活躍していた60Hz用の電動車に組み込まれていたクハ481形が転属し、車両前面のスカートの色が違う車両を見ることができました。

■Data:481系・483系 特急形電車の主な列車
特急「雷鳥」、「しらさぎ」、「ひばり」、「やまびこ」、「やまばと」、「あいづ」、「ひたち」など

  • 写真:交流50Hz区間に対応した483系が投入された上野〜仙台間の特急「ひばり」

日本全国の電化区間に対応した 485系 特急形電車


大阪〜青森間の特急「白鳥」に運用された新潟エリアのオリジナル塗色の車両

日本列島は東日本が50Hz、西日本は60Hzと交流電源の周波数が異なります。明治時代に東京の電力会社が50Hzの発電機、大阪の電力会社が60Hzの発電機を採用したためで、国鉄の交流電化でもエリアによって周波数が異なっています。

ちなみに東海道新幹線は交流電化ですが、東京エリアの50Hzを60Hzに変換して全線60Hzに統一。長野新幹線では北陸エリアへの延長計画があるため、軽井沢〜佐久平間で50Hzと60Hzが切り替わるようになっています。

  • 写真:大阪〜青森間の特急「白鳥」に運用された新潟エリアのオリジナル塗色の車両

北陸本線の485系特急「雷鳥」

481系が登場した当時は50Hzと60Hzを共用できる変圧器が開発途中であったため、50Hz用は483系として登場しましたが、1968(昭和43)年に実用化されることになり、50Hzと60Hz共用の485系が誕生しました。電動車がモハ485+モハ484のユニットになった車両で、先頭車はボンネットスタイルを含むクハ481形が使用されています。

ボンネット車は東北本線の「ひばり」「やまびこ」「やまばと」「あいづ」、常磐線の「ひたち」、日本海縦貫線(北陸本線)の「白鳥」「雷鳥」「しらさぎ」、山陽本線の「つばめ」「はと」、鹿児島本線の「有明」、日豊本線の「にちりん」、長崎本線の「かもめ」など、交流区間も走る特急列車で活躍しましたが、特急「雷鳥」の運用を最後に引退。ボンネットスタイルのクハ481形は姿を消してしまいました。

■Data:485系 特急形電車の主な列車
特急「ひばり」、「やまびこ」、「やまばと」、「あいづ」、「ひたち」、「白鳥」、「雷鳥」、「しらさぎ」、「つばめ」、「はと」、「有明」、「にちりん」、「かもめ」など

  • 写真:北陸本線の485系特急「雷鳥」。交直流車を区別するため「ひげ」が描かれている

信越本線(横川~軽井沢間)の協調運転に対応 489系 特急形電車


白山専用のオリジナルデザインで運転されていた上野〜金沢間の489系特急「白山」

今は廃止となった信越本線横川〜軽井沢間では、急勾配を克服するため碓氷(うすい)峠を通過する全列車にEF63形電気機関車が連結されていました。信越本線を経由して北陸方面を結ぶ特急列車はキハ82形特急用気動車で運転されてしましたが、スピードアップと輸送力増強を目指して電気機関車と協調運転できる交直両用の特急形電車の製造が計画されました。

北陸本線の「雷鳥」と共通運用できることを前提としたため、485系に協調運転に必要な機器類を搭載した489系が開発され、1972(昭和47)年3月から上野〜金沢間の「白山」で本格的なデビュー。基本仕様は485系という汎用性の高い車両で、「雷鳥」や「しらさぎ」にも運用され、本来の力を発揮する信越本線の「あさま」「そよかぜ」、さらに日本海縦貫線の「北越」や上越線経由の「はくたか」、山陽本線の「つばめ」「はと」、臨時列車の「新雪」などにも運用されていました。

  • 写真:白山専用のオリジナルデザインで運転されていた上野〜金沢間の489系特急「白山」

489系のボンネット車両で運転される唯一の定期列車となった急行「能登」

485系のクハ481形と区別が付かないほどですが、489系は上野寄りにEF63形電気機関車を連結するため、上野寄りのクハ489形500番台は協調運転用の総括制御用ジャンパ栓があり、ひと目でクハ489形であることがわかります。

最後のボンネットスタイルの特急形電車として、2009年12月時点で金沢総合車両所に9両編成が3本、7両編成が1本の計4本が在籍し、定期列車としては上野〜金沢間の夜行急行「能登」や、北陸エリアの団体列車や臨時列車に使用されました。

■Data:489系 特急形電車の主な列車
特急「白山」、「雷鳥」、「しらさぎ」、「あさま」、「そよかぜ」、「北越」、「はくたか」、「つばめ」、「はと」、臨時特急「新雪」、夜行急行「能登」など

  • 写真:489系のボンネット車両で運転されていた急行「能登」
  • 文:結解 喜幸
  • 写真:結解 学、(株)交通新聞クリエイト、ハマちゃんのがらくた箱
  • 本記事は2009年12月初出のものを再構成しました
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