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2022.04.14鉄道気動車王国と呼ばれた 四国のDC(ディーゼルカー)急行列車

気動車王国と呼ばれた国鉄時代の四国。1965(昭和40)年代以降に活躍した四国のDC急行列車にスポットを当てて紹介します。

気動車とは?

日本の気動車(ディーゼルカー・DC)とは、動力源に軽油を使用するディーゼルエンジンを使用した鉄道車両です。明治時代末期に登場した蒸気機関を動力とする蒸気動車や、大正時代に登場したガソリンエンジンを動力とするガソリンカーなど、熱機関を搭載する車両全般も含まれますが、現在は安全性と熱効率に優れたディーゼルエンジンのみが使用されています。なお、戦前にも軽油を使用するディーゼルカーの開発は行なわれていましたが、戦時中の燃料事情悪化により本格的な車両の登場は戦後のことになります。

戦後は2両以上の車両を連結した時に総括制御可能な液体式気動車の開発が行なわれ、1953(昭和28)年に国鉄キハ44500形気動車が登場しました。この車両の成功を受けて量産車である片側運転台のキハ45000形(キハ17形)が製造されることになり、国鉄の非電化路線のエースとして活躍するようになりました。

車体サイズは電車や客車よりも小型化し、軽量化することで安定した性能が発揮できるようになっています。足回りにはDMH17B形ディーゼルエンジン(160PS/1,500rpm)と液体変速機を備えたDT19形台車を装備。戦後初の気動車の標準スタイルとして両運転台のキハ48100・48000・48200形(キハ10・11・12形)、二・三等合造車のキロハ47000形(キロハ18形)など、約700両が製造されて日本全国の非電化区間で活躍をすることになりました。

1955(昭和30)年に車体を軽量化した10系客車が登場すると、標準サイズの車体とディーゼルエンジンを組み合わせた新系列の気動車開発が進められました。そして、1956(昭和31)年には客室設備をグレードアップした準急形気動車としてキハ44800形(キハ55形)が登場し、東武鉄道と旅客争奪戦を繰り広げていた日光線直通の準急「日光」でデビューを飾りました。

これを契機に優等列車の気動車化が推進されることになり、1960(昭和35)年には東北本線上野〜青森間の特急「はつかり」用としてキハ80系が登場。さらに1961(昭和36)年から急行形気動車のキハ28・58形が大量増備され、非電化区間における優等列車の運転に貢献しました。


キハ58系4〜5両の冷房編成を使用して土讃線高松〜高知・窪川間を結んでいた急行「土佐」

四国山地を越えて土佐と讃岐を結ぶ土讃線(当時は土讃本線)では、1950(昭和25)年10月1日に高松桟橋〜須崎間の客車準急「南風」が運転を開始。さらに1959(昭和34)年9月22日に高松〜窪川間を結ぶ客車準急「土佐」が新設されましたが、予讃線がDC準急であるのに対し山越え区間がある土讃線は客車列車が中心でした。

1960(昭和35)年2月15日、キハ52形+キハ25形の2両編成で高松〜須崎間にDC準急「土佐」1往復を増発しましたが、気動車運転が好評を博したため、1960(昭和35)年10月1日から増発を含めた3往復の準急「土佐」が新鋭キハ55形気動車で運転を開始。1961(昭和36)年4月15日では1往復増発されましたが、新たに高松〜窪川間の全区間が準急運転となった列車には「足摺」の愛称が付けられました。

  • 写真:キハ58系4〜5両の冷房編成を使用して土讃線高松〜高知・窪川間を結んでいた急行「土佐」

高松〜窪川・中村間の急行「あしずり」

1966(昭和41)年3月5日に急行格上げとなった「土佐」は1968(昭和43)年10月1日改正で5往復となり、キハ58形やキハ65形などの冷房編成が投入されるようになりました。また、窪川方面を結ぶ急行は「あしずり」に名称統一され、7往復という土讃線のエース急行として活躍を開始。1970(昭和45)年10月1日の中村線全通では、急行「あしずり」2往復が高松〜中村間を結ぶようになりました。

このように土讃線の2大DC急行として発展しましたが、1972(昭和47)年3月15日には高松〜中村間を結ぶキハ181系特急「南風」が誕生。その後は特急列車の増発で急行列車が衰退し、1990年11月21日に特急格上げとなって急行「土佐」&「あしずり」の歴史に幕が下ろされました。

  • 写真:土讃・中村線を全線走破するエースとして活躍した高松〜窪川・中村間の急行「あしずり」

徳島駅発着で運転されていた 急行「阿波」&急行「よしの川」


高徳・牟岐線高松〜徳島・牟岐間を結んでいた急行「阿波」

1959(昭和34)年9月22日、四国の玄関口である高松と徳島を結ぶ高徳線(当時は高徳本線)の優等列車として、新製配置されたキハ26形2両編成で準急「阿波」が登場しました。この時代の気動車は快適さで好評を博し、半年後の1960(昭和35)年3月には3往復になるという出世ぶりでした。さらに1961(昭和36)年4月15日改正では5往復に増強され、高徳線のエースとして活躍することになりました。

当時の四国の準急列車は本州側の優等列車と接続していたため、1961(昭和36)年10月1日改正では特急「富士」と接続する列車を「なると」、急行「瀬戸」と接続する列車を「眉山」に愛称を変更。しかし、1962(昭和37)年7月18日に高松〜牟岐間を結ぶ準急「むろと」が誕生したのに合わせ、高松〜徳島間に4往復残った準急は「阿波」に愛称を統一。1968(昭和43)年10月1日改正では急行列車に格上げされ、1986(昭和61)年11月15日改正では10往復にまで発展しました。

  • 写真:1990年11月21日の廃止まで高徳・牟岐線高松〜徳島・牟岐間を結んでいた急行「阿波」

徳島線経由で徳島〜阿波池田〜高知間を結んだ急行「よしの川」

なお、1988(昭和63)年4月10日には特急「うずしお」の登場により「阿波」の愛称は高松〜牟岐間の急行列車に付けられましたが、1990年11月21日の特急化で老舗の愛称は消滅することになりました。

同じく徳島駅を発着する徳島線(当時は徳島本線)の優等列車としては準急「阿佐」2往復がありましたが、1963(昭和38)年10月1日改正で徳島〜高知間を結ぶ準急「よしの川」1往復が登場。この列車が出世したのは1968(昭和43)年10月1日改正のことで、「阿佐」などを統一して急行「よしの川」6往復となりました。

その後は7往復に増発されたものの、1980(昭和55)年10月1日改正では高知直通列車の廃止で徳島〜阿波池田間の運転となりました。1996年3月16日には特急「剣山」3往復が運転を開始したため、残った1往復が最後の活躍を続けていましたが、1999年3月13日に特急化されて愛称は廃止となりました。

  • 写真:最盛期には7往復の列車が徳島線経由で徳島〜阿波池田〜高知間を結んだ急行「よしの川」

予讃線のエースとして活躍した 急行「うわじま」&特急「しおかぜ」


予讃線のエースとして高松〜宇和島間を結んでいた急行「うわじま」

高松と松山の2大都市を結ぶ予讃線(当時は予讃本線)では、1950(昭和25)年10月1日に登場した客車準急「せと」、1956(昭和31)年11月19日に登場した客車準急「いよ」が高松桟橋〜宇和島間を結んでいました。四国として最初の気動車準急が登場したのは、待望のキハ26形が配置された1958(昭和33)年11月1日のことでした。この列車は高松桟橋〜松山間の準急「やしま」で、四国のDC急行のルーツとなるものでしたが、1960(昭和35)年2月15日改正で準急「いよ」に統合されてしまいました。

1960(昭和35)年10月1日にはDC準急「いよ」が増発されて4往復となり、さらに1961(昭和36)年4月15日改正では松山〜宇和島間も含め6往復となりました。このうち、1961(昭和36)年10月1日改正では松山〜宇和島間の区間列車は「うわじま」に愛称が変更されました。1963(昭和38)年2月1日改正では列車名の統一を図るため、高松〜松山間を準急「いよ」、高松・松山〜宇和島間を準急「うわじま」とし、高松〜宇和島間の急行「せと」とともに予讃線の優等列車3本柱になりました。

  • 写真:特急「しおかぜ」登場後も予讃線のエースとして高松〜宇和島間を結んでいた急行「うわじま」

予讃線高松〜松山・宇和島間のキハ181系特急「しおかぜ」

1968(昭和43)年10月1日改正では、高松〜宇和島間の急行列車の愛称は「うわじま」に統一され、増発列車を含めて9往復の大所帯に発展しました。1972(昭和47)年3月15日改正ではキハ181系特急「しおかぜ」3往復が登場しましたが、この改正では9往復を維持してエースの座を守りました。

その後は1986(昭和61)年11月1日改正のキハ185系の登場で特急「しおかぜ」が増発され、最後は松山〜宇和島間の区間列車として活躍していましたが、1991年11月21日改正では特急「宇和海」に役目を引き継いで歴史に終止符を打ちました。

  • 写真:1972(昭和47)年3月15日に登場した予讃線高松〜松山・宇和島間のキハ181系特急「しおかぜ」

気動車急行時代の終焉 晩年はローカル列車で活躍


JR四国オリジナルの白地に青色のツートンカラーに塗色変更されて活躍していたキハ58形

気動車王国・四国の花形車両として各路線の急行列車で活躍したキハ58形やキハ65形ですが、1986(昭和61)年11月1日改正でキハ185系気動車特急が増発されると、予讃線や土讃線での急行列車としての活躍の場が失われるようになってきました。さらにJR化後はキハ185系の増備や振り子式の2000系気動車が投入され、四国の各路線には特急化の波が押し寄せてきました。

このため、急行列車としての活躍の場を失ったキハ58形はローカル列車として第2の人生を歩むことになり、車内の座席を一部ロングシート化するなどローカル用車両への改造が行なわれました。

  • 写真:JR四国オリジナルの白地に青色のツートンカラーに塗色変更されて活躍していたキハ58形

ローカル列車用に改造されたキハ58形の車内

1988(昭和63)年8月、JR四国では国鉄色から白色と水色を組み合わせたオリジナルカラーに塗り替え、当初は急行から普通までに運用して各路線で活躍を続けていましたが、1998年3月14日改正での急行「よしの川」の廃止で急行運用が消滅。

ローカル列車用改造を受けたキハ58形と急行用のスタイルを残したキハ65形がコンビを組んで普通列車に運用されていましたが、それも2008年10月15日で定期運用が終了しました。

  • 写真:特急列車の増発により急行運用から退き、ローカル列車用に改造されたキハ58形の車内

懐かしい国鉄色で最後を飾った キハ65形+キハ58形気動車


キハ65 34+キハ58 293の2両は懐かしい国鉄色に戻されて同系列の最後の花道を飾った

JR四国の急行形気動車の国鉄色への復元は平成17年度から行なわれました。折からのリバイバル塗装ブームに合わせたもので、キハ65形とキハ58形の1ユニットはクリーム色と赤色のツートンカラーを採用した国鉄時代の塗色に戻されました。最後まで急行用としての活躍もあったキハ65形は、カラフルなバケットシートタイプの座席となり、快適な乗り心地で好評を博しました。

  • 写真:キハ65 34+キハ58 293の2両は懐かしい国鉄色に戻されて同系列の最後の花道を飾った

JR四国の急行用としてバケットタイプの座席にリニューアルしたキハ65形の車内

2008年まで、JR四国にキハ28形2両、キハ58形6両、キハ65形3両が在籍していましたが、同年10月15日に定期運用を終了。最後は松山運転所の国鉄色のキハ58形293+キハ65形34の2両編成を使用して、同年10月18日から11月2日にかけて「リバイバル列車」として四国各線で運転。10月18日に急行「阿波」「よしの川」「土佐」、10月19日に急行「土佐」「あしずり」、11月1日に急行「うわじま」、11月2日には急行「いよ」が懐かしいヘッドマークを掲げて最後の運転を行ないました。

現在、JR四国の急行形気動車は全車両が廃車となりましたが、2009年10月10日および2010年10月9日に開催されたJR四国多度津工場の「きしゃぽっぽまつり」では、最後を飾ったキハ58形+キハ65形の2両が工場内で展示・走行され、同工場を訪れたレールファンを魅了しました。

  • 写真:JR四国の急行用としてバケットタイプの座席にリニューアルしたキハ65形の車内
  • 文:結解 喜幸
  • 写真:結解 学
  • 本記事は2010年11月初出のものを再構成しました
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