トレたび JRグループ協力

2022.04.19鉄道東北初の特急列車として活躍した 栄光の「はつかり」物語

2010年12月4日に東北新幹線東京~新青森間が全線開業。今回は東北初の特急列車として活躍した「はつかり」にスポットを当てて紹介します。

日本鉄道とは?

1872(明治5)年10月14日、新橋〜横浜間を結ぶ日本初の官設鉄道が開業しました。明治政府は全国の主要都市間を結ぶ鉄道建設を計画しましたが、西南戦争の多大な出費により政府の財政が窮乏して鉄道建設は中断してしまいました。当時の産業の発展に鉄道建設は必要不可欠なもので、民間資本による早期の鉄道建設を求める動きがあり、1881(明治14)年11月11日に私鉄の日本鉄道が設立されました。

日本初の私鉄として創立された日本鉄道は、東京から高崎までと、途中駅から分岐して青森までの路線を計画。国有地の無償貸与・払下げなど政府からの便宜も図られ、着々と工事が進められることになりました。

まずは官設鉄道が計画していた東京〜高崎間の開業を目指し、1881(明治16)年7月28日に上野〜熊谷間が開業しました。1884(明治17)年8月20日には前橋(利根川の西岸で現在地とは異なる)まで延伸開業され、さらに横浜までの官設鉄道に接続する品川から赤羽までの支線も開業。当時、日本の輸出産業の主力であった生糸製品が、群馬県の製糸工場から横浜港まで鉄道輸送できるようになりました。

また、大宮から分岐して青森に至る路線の建設も順調に進み、1891(明治24)年9月1日に上野〜青森間が全通し、さらに1898(明治31)年8月23日には水戸経由の海岸線も開通しました。

明治政府の資金難から日本初の私鉄として設立された日本鉄道に続き、神戸〜下関間を結ぶ山陽鉄道や門司〜八代・長崎間を結ぶ九州鉄道など、私鉄による幹線の建設が行なわれました。

しかし、1906(明治39)年に公布された「鉄道国有法」によって同年11月1日に日本鉄道は国有化され、1909(明治42)年10月12日には鉄道院が線路名称を定め、正式に「東北本線」と「常磐線」と命名されました。

なお、日本鉄道という日本を代表するような会社名が付けられたのは、東京〜高崎・青森間以外にも高崎から中山道を通し東京〜京都間、中山道の途中から新潟を経由して秋田方面、門司から長崎・熊本を目指す路線を計画していたためでした。同社は水戸鉄道(後の水戸線)や両毛鉄道(後の両毛線)を買収し、東北本線・常磐線・高崎線・山手線とそれを結ぶ路線で営業。日本の鉄道史に大きな足跡を残すことになりました。

東北初の特急列車となる 上野~青森間の「はつかり」誕生


東北初の特急列車として上野〜青森間で運転を開始した特急「はつかり」

1958(昭和33)年10月1日、首都圏対北海道連絡の重要な役割を担う東北本線で初の特急列車の運転が計画されました。同改正から運転を開始する予定でしたが、台風22号の被害により運転開始日を10月10日に変更。

車両は山陽本線の特急「かもめ」や東海道本線の不定期特急「さくら」に使用されていたスハ44形やマシ35形など非冷房の旧形客車および軽量客車のナロ10形でしたが、同改正で登場した20系ブルートレイン「あさかぜ」と同様の青15号にクリーム1号の帯を2本入れた塗色に変更され、上野〜青森間を結ぶ特急「はつかり」運転の歴史がスタートしました。

  • 写真:1958(昭和33)年10月10日、東北初の特急列車として上野〜青森間で運転を開始した特急「はつかり」

お色直しをした旧形客車を使用して上野〜青森間を常磐線経由で結んだ特急「はつかり」

当初は宇都宮や福島からの乗客の利便性を図るため、東北本線経由が検討されていました。しかし、勾配区間でスピードが落ちる蒸気機関車が牽引するため、勾配の少ない平坦線区の常磐線経由となりました。

運転時刻は下りが上野発12時20分〜仙台発17時48分〜青森着0時20分、上りは青森発5時〜仙台発11時35分〜上野着17時で、青函航路の夜行11・12便を介して対北海道連絡を行なうため、道内では急行1・2列車「大雪」が接続。これにより上野〜札幌間の所要時間は23時間24分となり、従来の最速列車と比べると約1時間のスピードアップが図られました。車両は非冷房の旧形客車でしたが、東北初の特急列車は好評を博し、指定席特急券はプラチナチケットとなりました。

  • 写真:お色直しをした旧形客車を使用して上野〜青森間を常磐線経由で結んだ特急「はつかり」

日本初の気動車特急として キハ80系の「はつかり」が登場


日本初の気動車特急としてデビューを飾ったキハ80系特急「はつかり」

1960(昭和35)年10月に「第2回アジア鉄道首脳者懇談会(ARC)」が開催されることになり、日本の鉄道車両技術を各国に披露し、さらに特急「はつかり」のスピードアップとサービス向上を図るためにキハ80系特急形気動車が製造されることになりました。1960(昭和35)年9月に完成した車両は151系と同等の車内サービスを備えたボンネットスタイルで、同年10月14日に来日したARC関係者を乗せた特別列車として東京〜日光間を往復。快適な乗り心地とサービス設備が好評を博しました。

1960(昭和35)年12月10日、客車特急「はつかり」は最新鋭のキハ80系特急形気動車に置き換えられて、新たなスタートを切ることになりました。颯爽とデビューした独特なボンネットスタイルのDC特急「はつかり」は快適さが格段に向上し、東海道線の151系に負けない名車として活躍を始めました。

  • 写真:日本初の気動車特急として華々しくデビューを飾ったキハ80系特急「はつかり」

車内サービス設備が好評を博したキハ80系気動車

ところが、長距離を高速運転することで過酷な負荷を強いられるエンジンのトラブルなどが続出し、マスコミでは「はつかりがっかり事故ばっかり」などと揶揄されることになってしまいました。とはいえ、東北エリアで唯一となる全車冷房完備の特急「はつかり」人気は批判に反して衰えることはなく、国鉄関係者の努力によって初期故障を克服。この時に集められた各種データは1961(昭和36)年10月改正でデビューするキハ80系(キハ82形)の製造に反映されました。

なお、初期故障を克服した1961(昭和36)年3月1日改正では、上野の発着時刻を変更して45分スピードアップし、本来の性能と快適なサービスを発揮するようになりました。

  • 写真:東海道本線の151系特急「こだま」と同様の車内サービス設備が好評を博したキハ80系気動車

東北本線全線複線電化で 昼夜兼行で活躍する583系が登場


東北本線全線複線電化に合わせて登場した583系特急「はつかり」

1968(昭和43)年10月1日、戦後5回目となる国鉄の白紙ダイヤ改正が行なわれることになりました。これは同年8月22日に完成した東北本線全線複線電化に伴うもので、後に「ヨン・サン・トオ」と呼ばれる国鉄の歴史に残る改正のひとつとなっています。

首都圏と東北・北海道を結ぶ幹線の割には、昼行特急「はつかり」1往復と寝台特急「はくつる」「ゆうづる」各1往復の寂しい陣容でしたが、全線電化を待って昼夜兼行の583系寝台特急形電車を投入することが決定。1968(昭和43)年9月9日の下り1D特急「はつかり」が青森運転所に配置された583系13両編成に置き換えられ、まずは常磐線経由で運転を開始しました。

  • 写真:1968(昭和43)年10月1日、東北本線全線複線電化に合わせて登場した583系特急「はつかり」

昼行特急の「はつかり」「みちのく」、夜行特急の「はくつる」「ゆうづる」で活躍した583系

営業運転開始はキハ80系特急「はつかり」と同じ時刻での運転でしたが、ダイヤ改正が実施された10月1日からは東北本線経由の1M「はつかり2号」と2M「はつかり1号」として運転がスタート。停車駅は宇都宮・福島・仙台・盛岡の途中4駅のみで、上野〜青森間の所要時間は8時間30分運転となり、約2時間のスピードアップが図られました。

また、20系ブルートレインの583系電車化が行なわれ、3M・4M「ゆうづる1・2号」および5M・6M「はくつる」が運転され、「はつかり」と共通運用を組むことになりました。

1970(昭和45)年10月1日には上野〜青森間の特急「はつかり」1往復が増発され、583系13両編成を使用した同列車は3往復になり、東北・北海道方面への利便性が向上しています。

  • 写真:昼行特急の「はつかり」「みちのく」、夜行特急の「はくつる」「ゆうづる」で活躍した583系

全国各地で活躍した 485系特急形電車も投入


上野〜青森間を結ぶ特急「はつかり」

直流区間と交流50/60Hz区間で運転できる485系特急形電車は、全国各地の電化区間を走行できる万能選手として増備が続けられていました。583系は昼夜兼行で運用できる利便性がありましたが、昼行特急では4人用ボックス席が敬遠されることもあり、2人掛けクロスシートの485系投入が検討されました。

1973(昭和48)年3月1日、青森運転所に配置された485系12両編成を使用し、上野〜青森間の特急「はつかり」1往復が増発されることになりました。車両落成の関係から3月24日の上りからの運転となりましたが、これまで4人用ボックスシートの583系のみであった同列車に2人掛けクロスシートの車両が加わり、好評を博すことになりました。

  • 写真:1973(昭和48)年3月24日から485系が運用されるようになった上野〜青森間を結ぶ特急「はつかり」

絵入りヘッドマークが付いた485系特急「はつかり」

1978(昭和53)年10月2日改正では、特急「はつかり」が1往復増発されるとともに、北海道連絡のエースとして活躍してきた1M「はつかり5号」の485系化が行なわれました。

1982(昭和57)年11月15日、東北新幹線の本格的な営業運転に合わせて上野〜青森間の特急「はつかり」は廃止となり、新たに東北新幹線連絡の盛岡〜青森間11往復のエル特急列車に転身しました。

1988(昭和63)年3月13日には青函トンネル開業に伴うダイヤ改正が実施され、盛岡〜青森間の特急「はつかり」のうち485系使用の2往復が函館まで延長運転となり、青函トンネルを抜けて北の大地に顔を出すようになりました。

なお、1990年7月1日には函館直通の「はつかり」が1往復増発されて3往復となっています。

  • 写真:絵入りヘッドマークが付いた485系特急「はつかり」。晩年は盛岡〜青森・函館間で活躍した

JR東日本の新系列車両 E751系特急「スーパーはつかり」登場


1996(平成8)年4月21日に外観・車内サービス設備をリニューアルして登場した485系3000番台

1993(平成5)年12月1日、ヨン・サン・トオ改正の主役として昼夜兼行の活躍をしてきた583系が「はつかり」運用から引退し、14往復すべてが青森運転所の485系6両編成に統一されました。

しかし、国鉄時代からの車両はサービス設備が見劣りすることからリニューアルが行なわれることになり、1996(平成8)年4月21日にJR東日本の新系列車両に準じたサービス設備と外観デザインを採用した485系3000番台として登場。従来の車両と比べると快適になった乗り心地が好評を博すことになりました。

東北新幹線と接続する特急「はつかり」は青森・函館エリアへの重要な足となるため、常磐線で好評の「フレッシュひたち」用のE653系をベースとした新型車両を投入することになり、交流専用のE751系特急形電車6両編成3本が製造されました。同車両は2000(平成12)年3月11日から盛岡〜青森間の特急「スーパーはつかり」として運転を開始し、快適な乗り心地と最新の車内サービス設備が話題となりました。

  • 写真:1996(平成8)年4月21日に外観・車内サービス設備をリニューアルして登場した485系3000番台

2000(平成12)年3月11日改正で登場したE751系6両編成の特急「スーパーはつかり」

2002(平成14)年12月1日、東北新幹線は八戸まで延伸開業し、八戸〜青森〜函館間を結ぶ連絡特急は「スーパー白鳥」「白鳥」、八戸〜青森〜弘前間を結ぶ連絡特急は「つがる」として新たなスタートを切ることになりました。これにより、1958(昭和33)年10月の登場から東北特急のエースとして輝き続けてきた「はつかり」の愛称が44年目にして廃止となってしまいました。(※「スーパー白鳥」「白鳥」は2016年に運行終了。「つがる」は2023年4月現在青森ー秋田間に走路を変更して、運行しています)

東北新幹線の新列車の愛称も「はやぶさ」と決定しましたが、「はつかり」の愛称は東北本線の歴史に輝かしい足跡を残したものとなるでしょう。

  • 写真:2000(平成12)年3月11日改正で登場したE751系6両編成の特急「スーパーはつかり」
  • 文:結解 喜幸
  • 写真:結解 学、交通新聞クリエイト
  • 本記事は2011年1月初出のものを再構成しました
トレたび公式SNS
  • X
  • Fasebook