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2021.05.25ジパング俱楽部考古学者・松木武彦先生に聞く! 出土品から分かる、古代の食事 【御茶ノ水編集室より】

縄文・弥生・古墳時代って何を食べていたの?

「ジパング倶楽部」会員誌を作っている、東京・御茶ノ水の編集室から、誌面では紹介しきれなかった専門家のお話や、取材のこぼれ話など、ここでしか見られない情報を発信していくコーナーです。

今回は6月号特集「謎解き⁉ 古代ふしぎ探訪」で登場いただいた、考古学者・松木武彦先生による、古代の食についてのお話。

古代の食べ物は、文字による史料はないけれど、遺跡や出土品から、何を食べていたのかが分かるのだそう。それぞれの時代、いったいどんな食べ物を食べていたのか、さっそく教えていただきましょう!


【教えてくれたのはこの方!】考古学者・松木武彦(まつぎたけひこ)先生

1961(昭和36)年、愛媛県生まれ。国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学教授。モノの分析を通して人の心の現象と進化を解明、科学としての歴史学の再構築を目指す。著書に『考古学から学ぶ古墳入門』(講談社)、『旧石器・縄文・弥生・古墳時代 列島創世記』(小学館)、『美の考古学』(新潮社)など。

【縄文時代】縄文土器で、魚や貝をぐつぐつ鍋に


曽利遺跡出土 水煙渦巻文深鉢(長野県宝)

松木先生のコメント

縄文時代の食べ物といえば、鍋です。縄文時代に使われた縄文土器は、現代でいうボイル鍋。狩猟・採集により得た、自然の恵みを煮炊きする鍋料理は、ほぼ自然発生的に発明された、縄文時代からの伝統料理といえるでしょう。

地域によってとれたもの、入れていたものは異なり、たとえば三陸海岸の辺りでは、貝塚に捨てられた魚の骨などを分析するとマグロやカツオといった大型魚を食べたことが分かっていて、ぜいたくな切り身を鍋で煮ていたと考えられます。

瀬戸内などあまり大きな魚がとれない地域では、魚は尾頭付きで鍋に入れていたかもしれませんね。縄文時代は主食がない時代でしたが、ほかにも肉を燻製したり魚を干したり、思った以上にバラエティ豊かな食べ方があったんですよ。

縄文人は、ワインを嗜んでいた⁉


藤内遺跡出土 半人半蛙文有孔鍔付土器(国の重要文化財)

松木先生のコメント

日本の伝統的なお酒といえば日本酒をイメージしますが、縄文時代には、じつはワインが飲まれていたことが分かっています。

長野県の藤内(とうない)遺跡から出土した「半人半蛙文有孔鍔付土器(はんじんはんあもんゆうこうふちつきどき)」という壺状の土器に、果実の種のようなものが付着していて、酒造に使ったと考えられています。ヤマブドウやサルナシなどを原料にした果実酒の醸造が盛んでした。

縄文人は果実酒とともに食事を楽しんでいたのです。サルナシのワインは今も東北などにあるので、試してみてはいかがでしょう。

【弥生時代】木製スプーンで食べる雑炊が主流


清水風遺跡出土 雑炊を作った可能性がある弥生土器

松木先生のコメント

弥生時代は稲作が伝来し、米を食べていました。現代のようなふっくら炊いたごはんではなく、雑炊にして食べていたと考えられます。

というのは弥生時代の遺跡から、木製のスプーンがよく発掘されるのです。箸が主流になるのは奈良時代からですし、雑炊を食べる時、箸よりはスプーンの方が食べやすいですよね。奈良県の清水風遺跡から出土した弥生土器に付着していたお焦げを分析したところ、海産魚類と一緒に米を煮込んで魚雑炊にしていた可能性も指摘されています。

弥生時代は縄文時代からの狩猟・採集も細々と続けていました。家族団らんで一つの雑炊を囲んでいたかもしれません。弥生時代の最後の200年ぐらい(紀元後約100~200年)には銘々皿、個人の碗や小皿が出てきて、現代の食事に近い“ごはん”と“おかず”という概念が出てきます。

稲作の伝来とともに、日本酒の醸造を開始!


画像はイメージです

松木先生のコメント

稲作が伝わった弥生時代には、日本酒の醸造が始まりました。

現代のように、おめでたい時に酒を嗜んでいたようですが、原料となる米は人々が食べる分が優先されたでしょう。しかし一説には、初期の米作りは酒造りのためにやっていたのでは? という説や、日本人が米を作るようになったのは、酒がおいしいからだ! という説もあるんですよ。

【古墳時代】各地の特産品を都に集めて保存できるように

松木先生のコメント

古墳時代になると大陸からの渡来人によりさまざまなものが伝えられました。

食に与えた影響としては、馬の出現により、各地の山海の珍味が大和を中心とした都に集まるようになりました。また、須恵器(すえき)という、登り窯で焼いた丈夫な器の甕ができたおかげで、遠隔地の特産物の貯蔵に役立ったと考えられます。

弥生時代の土器は素焼きの器で、長い期間の貯蔵ができませんでしたが、須恵器の出現で、酢や漬物といった保存が効く食品もできたと考えられます。この頃から塩も量産するようになり、塩を作った器をそのまま運搬具にして山間部の村などにも流通したようです。

かまど、甑の登場で現代の炊きあがりに近いお米に


甑・甕・移動式かまどのセット(福岡市埋蔵文化財センター所蔵)

松木先生のコメント

古墳時代の途中から、お米は「蒸す」ようになりました。かまどが登場し、甕(かめ)に水を入れて、ぐつぐつと煮ます。その上に甑(こしき)という土器を置いて米を入れ、大量の蒸気で蒸します。

炊飯とは違いますが、炊きあがりは現代の炊飯と似ていて、裕福な家庭では現代の食卓に近いものができあがりました。食べ方についてですが、中国の『随書倭国伝』には、「和人は手づかみで食べている」といった内容が書いてあります。おにぎりや寿司など、今日の日本食にもあえて手で食べるものがありますが、それらの起源は古代にあったのかもしれません。

※画像はすべてイメージです。


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