2024.02.08ジパング俱楽部大湫宿~大井宿を歩く 中山道十三峠越え|編集部員が行ってきました!
江戸時代の街道歩きがリアルに体感できる“穴場”コース
江戸時代に整備された、江戸と京都を結ぶ全長135里32丁(約532キロ)の中山道。
2023年11月、編集部の私は岐阜県瑞浪(みずなみ)市の大湫(おおくて)宿~恵那市の大井宿間を歩きました。上り下りが20以上あり「十三峠におまけが七つ」といわれた難所・十三峠がある区間です。
同じ岐阜県で有名な馬籠(まごめ)宿には観光客が溢れていますが、江戸時代に整備されたままのこの区間はまだあまり知られておらず、まさに穴場。
今回、岐阜県観光資源活用課の課長・北村さんと可児(かに)さん、瑞浪市商工課の伊藤さんに、この地の魅力を案内していただきました。
>> データと注意事項 <<
中央本線瑞浪駅からシャトルバスで「大湫宿」へ
午前中、瑞浪駅に集合をしてまずは大湫宿へ移動。山間にある大湫宿までの約10キロ、瑞浪市デマンド交通「いこCar(いこかぁ~)」の利用が便利です。以前は駅からタクシーで行くことしかできませんでしたが、観光客も便利にアクセスできるようになりました。事前予約が必要で、一日3便。あらかじめ計画を立てて出かけましょう!
大湫宿に到着!
「丸森」の愛称で親しまれる大湫宿観光案内所
大湫宿は、江戸から47番目の宿場。海抜約510メートルの高所と、旧美濃国16宿のなかでもっとも高い位置にあります。
元旅籠(はたご)で江戸時代の町屋建築形式を残す「旧森川訓行(のりゆき)家住宅(国登録有形文化財)」は観光案内所となっており、まずはそこで情報収集。
宿場内では格子戸のある家並みや、しゃれた装飾のある建物、2020年の豪雨で倒れてしまいましたが大湫宿のシンボルとして大切にされている神明(しんめい)大杉、天井絵や彫刻が素晴らしい大湫観音堂(内部公開は毎年7月盆の時期)など、たくさんの見どころを見て歩きました。
神明大杉
門田屋の「虫籠(むしこ)窓」
大湫観音堂
観光案内所「丸森」では「中山道八宿 歩き帖」を配布中
いざ十三峠へ!
十三峠の西登り口
大湫宿を出発して、向かうはいよいよ十三峠!
「十三峠は最初と最後に急な坂があるんです」とは伊藤さん。普段デスクワークが中心の私は、さっそくの急坂にややたじろぎつつ、覚悟を決めました。
最初は登りに真剣になり無口になってしまいましたが、少し進めばゆるやかな坂に。辺りの木々のマイナスイオンに癒やされながら進みました。
この先は、私がおもしろいと思った史跡の数々をピックアップしてご紹介します!
尻冷しの地蔵尊
お尻を冷やす?変わった名前のお地蔵様
自然に溶け込んでいらっしゃいます
尻冷しの地蔵尊
峠入口から序盤に出迎えてくれるのは、「尻冷しの地蔵尊」。
江戸当時、この辺りは清水が湧く旅人の休憩スポットだったそう。1711(宝永8)年、旅の商人の夫人が持病に苦しみだしたところ清水のおかげで助かったことから、感謝の意を込めお地蔵様が建てられたのだそうです。そして、まるでお地蔵様が清水でお尻を冷やしているように見えることから、この名で親しまれてきたのだとか。
現在水は湧いていませんが、清水が湧く様子を想像してみました。流れる水の音と、飛脚や旅人が「お尻を冷やしているみたいだね」とお地蔵様について話している声が聞こえてくるようでした。
三十三所観音
道中頻繁に出合う、旅人たちの安全祈願の痕跡
三十三所観音
尻冷しの地蔵尊からすぐ歩いた所に石窟がありました。ここは「三十三所観音」といって、お堂の中で少し見えづらいですが、33体の観音様がずらり。旅の安全を祈願して、寄進により集まったものと伝わります。
このほかにも、中山道のあちこちでは旅の安全を祈願したいくつかの「馬頭(ばとう)様」と呼ばれる観音様に出合うことができるのだそう。人足と馬で移動した江戸時代、馬の守り神や道中安全の神様として信仰されてきた仏様です。この先十三峠では、どんな馬頭様に出合えるのでしょうか。
道中落ちている大きな葉っぱは何?
巡礼水の馬頭様
憤怒のお顔で人々を助ける
巡礼水の馬頭様
よく見ると憤怒のお顔
「あ!馬頭様だ!」 道中、馬頭様は突然現れます。こちらの馬頭様は、よく見ると憤怒のお顔。道中で出合う馬頭様は個性的で、同じ姿のものはないのだそう。「“推し”の馬頭様を探してみるのも楽しいですよ。私の推しはもっと先にあります」とは可児さん。
馬頭様の下には「中山道巡礼水」が。昔、旅人がここで病気になった際、これから向かう西国の空を仰いで念仏を唱えたところ、水が湧き出し、命が助かったことに感謝して馬頭様が建てられたと伝わります。取材時は涸(か)れていましたが、夏には必ず水が湧くのだそう。夏の峠越えは暑いですが、水が湧くのも見てみたいものです。
権現山一里塚
江戸時代のままの姿は貴重!
高さ約5メートル、直径約9メートルの「権現山一里塚」
歩いていると、道の両脇に小さな山が! 江戸時代、一里ごとに道の両脇に築かれた一里塚です。この「権現山(ごんげんやま)一里塚」は江戸から90里、京へ44里を示します。
「多くの一里塚が消滅するなか完全な形で現存しているものは珍しいんです。十三峠は、この後『紅坂(べにざか)一里塚』『槙ヶ根(まきがね)の一里塚』があるんですが、どれもほぼ完全な姿で残っていて、貴重な街道なんですよ」と伊藤さんが教えてくださいました。
貴重な一里塚が3カ所も残っているなんて! これまで、消滅してしまった一里塚跡しか見たことがなかった私は、江戸時代のままの姿に感動。一里塚って、こんなに大きいのですね。
この先の紅坂一里塚、槙ヶ根の一里塚では、塚の上に木が植えられていました。土砂崩れのないように植えられたものだそうです。
瑞浪市東端の絶景エリア・大久後へ
大久後の弘法様
開けた場所に。遠くの山々が美しい
権現山一里塚の先は、集落がある休憩所跡付近でお昼休憩。その先、瑞浪市東端の大久後エリアへ入りますが、このエリアは景色がよく気持ちよく歩くことができました。取材時は秋。「大久後の弘法様」では紅葉が美しく、癒やされました。
観音坂の馬頭様
吸い込まれそうな空間にポツンと佇(たたず)む
大岩にちょこんと立つ「観音坂の馬頭様」
赤い帽子とよだれかけが愛らしい
「私の“推し”の馬頭様です!」と可児さん。
観音坂を少し入った空間の大岩に、ちょこんと立っていらっしゃったのは「観音坂の馬頭様」。
近づいてみると、じっと岩の上に座る姿が神秘的。どことなく可愛らしく、穏やかなお顔にも癒やされます。可児さんが“推し”と言う理由が分かる気がしました。
「私の“推し”も紹介しますね」とは北村さん。北村さんの“推し”は馬頭様ではないそう。気になります。
紅坂のぼたん岩
学術的にも貴重な巨大岩
紅坂のぼたん岩
観音坂の馬頭様の先、瑞浪市から恵那市へ入り、集落を越え、峠越えも後半戦。紅坂を進むと、北村さんの“推し”だという「ぼたん岩」が!
岩はどこ……? と探してしまいましたが、それもそのはず。直径約5メートルもの大きさの一枚岩が足もとにありました!
まるでぼたんの花びらが咲いたように幾重にも割れた岩に驚きます。「オニオンクラック(たまねぎ状風化)」の標本として学術的にも貴重な花崗斑岩(かこうはんがん)なのだそう。
400年以上も前からぼたん岩の名で親しまれ、多くの人々がこの上を歩いたと思うと感慨深い思いがしました。
妻の神
名前が気になる史跡に遭遇
妻の神
「妻神」と書いた祠(ほこら)を見つけました。
「妻? 奥さんの神?」 なんとなく女性の神様のような気がしますが、道中には解説のない史跡も多々。想像をめぐらせながら歩くのも楽しいものです。
※後日、「妻」は「塞」の同音異字で、この神様は外部からの災いや悪霊を防ぐために集落の端に祀(まつ)られた「塞の神」だと教えていただきました。
最後に待っているのは「乱れ坂」
乱れ坂についての案内板
クライマックスは、伊藤さんが言われていた最後の急坂。坂が急で、大名行列が乱れ、息が乱れ、女性の裾も乱れるほどという「乱れ坂」です。
裾も乱れるほどとはどんなにすごい坂なんだろう……と身構えながら、覚悟を決めて登りました。
石畳の坂を登って数分。確かに息は乱れましたが、この後紹介する道中の史跡の数々に気がまぎれたのか、楽しく歩くことができました。
首なし地蔵
少~し怖い、不思議な言い伝えが残る
首なし地蔵
こちらは、「乱れ坂」の途中にいらっしゃる「首なし地蔵」。1756(宝暦6)年、道中安全を祈って建てられたものだそうですが、なぜ首がないのか……? こんな言い伝えがありました。
片方が目を覚ますと、もう一人は何者かに襲われて首がなくなっていました。
「黙って見ていたとは何ごとか!」と怒った召し使いはお地蔵様の首を斬り落とし、以後「首なし地蔵」と呼ばれるようになったとか。何人かが首をつけようと試みましたが、どうしてもつかなかったのだそう……。
なんだかかわいそうなお地蔵様。なぜ首がつかなかったのか……。道すがら、不思議な話に考えをめぐらせました。
馬頭観音
峠の終盤、優しいお顔で疲れを癒やしてくれる
馬頭観音
最後は十三峠の終盤で出合った優しいお顔の馬頭様。道中出合った馬頭様は、本当に姿も表情も三者三様です。
だいぶ日が暮れ足腰が疲れきったところ、夕日に照らされた馬頭様のお姿に癒やされ、あと少し、頑張れる気がしました。
十三峠の東登り口
最後に出合った馬頭様からしばらく、山道を抜けると峠の東登り口です。 おつかれさまでした!
と言いたいところですが、もうひと踏ん張り。大井宿へ向かいます。峠を過ぎると、だんだんと景色が町に変わります。
大井宿に到着!
江戸から数えて46番目の宿場・大井宿へ。ゴールの恵那駅への道中には、江戸時代の史跡のほか、明治・昭和の各時代の建築も楽しめました。
今回は訪問できませんでしたが、歌川広重が描いた中山道の浮世絵などを展示する「中山道広重美術館」も時間があればチェックしたいところです。
中野村庄屋の家
街道沿いで見つけた昭和時代のレトロな看板
峠越えのご褒美は、名物の五平餅
「くるみ五平餅 あまから本店」
大井宿にある「くるみ五平餅 あまから本店」は、1958(昭和33)年創業の老舗(しにせ)。建物や看板から、歴史を感じます。
こちらで焼きたての五平餅をパクリ。
五平餅といえば平らなわらじ形で、醤油の風味が強いイメージでした。ですがこちらの五平餅は団子で、ごまとくるみの香ばしい甘さが引き立つ醤油ベースのたれが絶品! 疲れた体に沁みました。
北村さんが「五平餅は同じ岐阜県内でも、地域やお店によってかなり味や食感が違うんですよ。醤油風味が強かったり甘かったり、ごはんをあまりつぶさないところもあったり……食べ比べてみるとおもしろいです」と教えてくれました。五平餅、奥深し!
店先で焼いてくれます
五平餅は1串120円
くるみ五平餅 あまから本店は駅近く。ご褒美をいただいたら、ゴールの恵那駅で旅を終えました。おつかれさまでした!
まとめ
今回は、約6時間で大湫宿から大井宿まで歩くことができました。運動不足の私はへとへとに……ですが、難所といわれる区間を歩ききったと思うと達成感もひとしおです。
道中すれ違った旅人はなんと2人だけ。あまり知られていないだけに手つかずの旧街道が残る大湫宿~大井宿は、のんびりと、リアルな江戸時代の旅人の気分に浸ることができる“穴場”でした。
今回案内をしていただいたおかげで、中山道の歴史についても多く学ぶことができました。ガイドを付けたいという方は、中山道観光ボランティアガイドの会へ相談してみるといいでしょう。
難所と言われると心配かもしれませんが、ジパング世代の方々も多く歩いていらっしゃるそう。とはいえそれなりの距離と坂があるので、ある程度体力に自信がある方におすすめしたいコースでした!