トレたび JRグループ協力

2024.12.05ジパング俱楽部《海の幸》 千葉県館山市|名作の舞台へ

いつか、あの作品の舞台へ行ってみたい――。
小説、映画、絵画、音楽……名作にはそんな、人を引きつける力があります。ずっと心に残る、名作の舞台を紹介します。

  • 会員誌「ジパング倶楽部」2021年4月号で掲載した記事を、再編集してお届けします。

《海の幸》

千葉県館山市


《海の幸》

青木繁《海の幸》
1904年 油彩・カンヴァス 70.2×182.0センチ
重要文化財 石橋財団アーティゾン美術館蔵


《海の幸》 《海の幸》


アーティゾン美術館

従来から評価の高い印象派や日本の近代洋画に加え、新たに戦後の抽象画や日本の近世美術も強化するなど、「石橋財団コレクション」の幅と厚みの拡大を行い、現在約3000点の作品を所蔵、古代から現代にわたる展覧会を開催しています。

※《海の幸》の展示状況については同館ウェブサイトでご確認ください

問い合わせ先 050-5541-8600(ハローダイヤル)
交通アクセス 東京駅八重洲(やえす)中央口から徒歩約5分
営業時間 10時〜17時30分(祝日を除く金曜は〜19時30分)
定休日 月曜(祝日の場合は翌平日)、展示替え期間、年末年始休
入館料 展覧会により異なる ※日時指定予約制
https://www.artizon.museum/

※2024年11月時点の情報です

漁師たちが獲物を背負い意気揚々と行進していく――荒々しくも生(せい)のエネルギーに溢れた絵画が、青木繁の《海の幸》です。

1882(明治15)年、今の福岡県久留米市に生まれた青木は、高等小学校で坂本繁二郎(はんじろう)に出会います。青木は坂本が通う画塾に入り、絵画の道へ。
二人は生涯、画家として切磋琢磨することになります。

17歳で上京した翌年、青木は東京美術学校(現東京藝術大学)に入学。在学中『古事記』などの神話や文学など書物を読みふけった経験は、白馬会第8回展での《黄泉比良坂(よもつひらさか)》など十数点の受賞、さらにのちの《日本武尊(やまとたけるのみこと)》など、神話をモチーフにした一連の作品に大きな影響を与えます。

1904年に学校を卒業した青木は、坂本、森田恒友(つねとも)、恋人・福田たねと房州の布良(めら)で夏を過ごします。

天富命(あめのとみのみこと)が忌部(いんべ)一族を率いて上陸したという開拓神話が伝わる地で、太陽と海、恋人の愛を受けた青木は、次々と作品を制作。

そして生涯の最高傑作といわれる《海の幸》――。坂本が見た漁の様子や布良崎(めらさき)神社の神輿(みこし)から着想を得たという作品は、古代神話を彷彿させる勇壮さで見る者を圧倒し、大変な評判を巻き起こします。


青木たちが滞在した布良の集落。左側は青木が「僕等の海水浴場」と呼んだ「阿由戸(あゆど)の浜」 青木たちが滞在した布良の集落。左側は青木が「僕等の海水浴場」と呼んだ「阿由戸(あゆど)の浜」

今も布良には、青木たちが滞在した小谷家(こたにけ)住宅が「青木繁『海の幸』記念館」として残されています。

その後、青木は貧困や作品の評価に苦しみ、病を患ってわずか28歳で生涯を閉じます。しかし、近代日本絵画の代表作ともなった《海の幸》を目の当たりにすれば、確かにあの輝かしい夏はあったのだ、と思えてなりません。


阿由戸の浜

問い合わせ先 0470-22-2000(館山市観光協会)
交通アクセス 内房線館山駅から安房(あわ)白浜行きジェイアールバス関東約30分の布良崎神社下車
URL https://tateyamacity.com/archives/2679

青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅

問い合わせ先 0470-28-5063
時間 4~9月10~16時、10~3月10~15時
交通アクセス 布良崎神社バス停から徒歩約3分
値段 300円
URL https://awa-ecom.jp/aoki-shigeru/

文/綿谷朗子