2024.12.05ジパング俱楽部《海の幸》 千葉県館山市|名作の舞台へ
いつか、あの作品の舞台へ行ってみたい――。
小説、映画、絵画、音楽……名作にはそんな、人を引きつける力があります。ずっと心に残る、名作の舞台を紹介します。
- ※会員誌「ジパング倶楽部」2021年4月号で掲載した記事を、再編集してお届けします。
《海の幸》
千葉県館山市
《海の幸》
アーティゾン美術館
漁師たちが獲物を背負い意気揚々と行進していく――荒々しくも生(せい)のエネルギーに溢れた絵画が、青木繁の《海の幸》です。
1882(明治15)年、今の福岡県久留米市に生まれた青木は、高等小学校で坂本繁二郎(はんじろう)に出会います。青木は坂本が通う画塾に入り、絵画の道へ。
二人は生涯、画家として切磋琢磨することになります。
17歳で上京した翌年、青木は東京美術学校(現東京藝術大学)に入学。在学中『古事記』などの神話や文学など書物を読みふけった経験は、白馬会第8回展での《黄泉比良坂(よもつひらさか)》など十数点の受賞、さらにのちの《日本武尊(やまとたけるのみこと)》など、神話をモチーフにした一連の作品に大きな影響を与えます。
1904年に学校を卒業した青木は、坂本、森田恒友(つねとも)、恋人・福田たねと房州の布良(めら)で夏を過ごします。
天富命(あめのとみのみこと)が忌部(いんべ)一族を率いて上陸したという開拓神話が伝わる地で、太陽と海、恋人の愛を受けた青木は、次々と作品を制作。
そして生涯の最高傑作といわれる《海の幸》――。坂本が見た漁の様子や布良崎(めらさき)神社の神輿(みこし)から着想を得たという作品は、古代神話を彷彿させる勇壮さで見る者を圧倒し、大変な評判を巻き起こします。
今も布良には、青木たちが滞在した小谷家(こたにけ)住宅が「青木繁『海の幸』記念館」として残されています。
その後、青木は貧困や作品の評価に苦しみ、病を患ってわずか28歳で生涯を閉じます。しかし、近代日本絵画の代表作ともなった《海の幸》を目の当たりにすれば、確かにあの輝かしい夏はあったのだ、と思えてなりません。
阿由戸の浜
問い合わせ先 | 0470-22-2000(館山市観光協会) |
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交通アクセス | 内房線館山駅から安房(あわ)白浜行きジェイアールバス関東約30分の布良崎神社下車 |
URL | https://tateyamacity.com/archives/2679 |
青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅
問い合わせ先 | 0470-28-5063 |
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時間 | 4~9月10~16時、10~3月10~15時 |
交通アクセス | 布良崎神社バス停から徒歩約3分 |
値段 | 300円 |
URL | https://awa-ecom.jp/aoki-shigeru/ |
文/綿谷朗子