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2009.01.01鉄道宮川橋梁が架かる参宮線は私鉄が前身だった?全国の鉄道遺産と歴史を訪ねる

未来に伝えたい鉄道遺産

1872(明治5)年の新橋駅~横浜駅間開業以降、全国にその網を広げ続けてきたに日本の鉄道。厳しい地理的条件を克服するために、さまざまな技術が施された場所も少なくありません。できあがった当時の社会や先人たちの苦労を、無言で語っているかのような鉄道遺産。そんな、未来にも伝えていきたい名建築を訪ねる旅に出てみませんか。

鉄道連絡船 八甲田丸

かつて津軽海峡を結んだ青函連絡船


往年の「青函連絡船乗り場」で余生を過ごす「八甲田丸」。その巨体は威風堂々としており、貫禄は衰え知らず

青函トンネルが開通する以前、青森と函館を結んだ「青函連絡船」。かつて島国の日本では、本州と北海道、九州、四国とを鉄道の運行ダイヤに接続して、「鉄道連絡船」が運航されていました。旅客のみならず、貨車など鉄道車両も車両甲板で航送され、鉄道はどこまでも結ばれていたのです。「青函航路」はそのうちの一つで、多くの連絡船が就航し、重責を担い続けました。

1908(明治41)年3月の「比羅夫(ひらふ)丸」から開始された青函航路は、以後、1億6000万人の乗客と2億5000万トンの貨物を輸送。80年に渡る航行距離は、じつに地球2019周分の8000万キロメートルに及びました。1988(昭和63)年3月、津軽海峡線の開業で青函航路は役目を終え、青函連絡船は引退しますが、最後に青森を出港した船が「八甲田丸」でした。


ブリッジ(操舵室)に入ることも可能。船舶独特の悠々とした設備で、航行の緊迫感も伝わってくる

その後の八甲田丸は、かつての青森駅「青函連絡船乗り場」に係留され、メモリアルシップとして保存されています。八甲田丸は1964(昭和39)年8月の就航以来、最も長く活躍した船です。特徴的だった広い普通船室、えんじの座席のグリーン船室も当時のままの姿で残され、現役時代は立ち入りができなかったブリッジ(操舵室)や機関室、車両甲板なども見学ができます。船上から眺める津軽海峡は美しく、また厳しく、かつての渡道の旅の様子を窺い知ることができます。

●交通 東北本線・奥羽本線・津軽線 青森駅下車

宮川橋梁(参宮線)

「お伊勢参り」で活躍の明治のトラス橋


参宮線ではお伊勢参りの参詣輸送のほか貨物輸送も行なわれ、昭和40年代までは蒸気機関車も活躍した

「宮川橋梁」は「お伊勢さん」で有名な伊勢神宮へと向かう、参宮線宮川〜山田上口(かみぐち)間の宮川に架けられた明治時代の鉄橋です。

参宮線は「参宮鉄道」と呼ばれる私鉄が前身で、1893(明治26)年に津〜宮川間が開業。伊勢街道からルートを外すなど地元住民にも考慮し、順調なスタートを切りました。1897(明治30)年には山田駅(現伊勢市駅)まで延長され、その後は「お伊勢参り」の乗客を多数乗せ、参宮鉄道は大いに繁栄したのです。

1907(明治40)年、鉄道国有法により国有化された参宮鉄道は、後に「参宮線」と命名され、お伊勢参りの鉄道路線としてますます発展していきました。


風光明媚な宮川の鉄橋風景。名古屋から直通の快速「みえ」のほか、キハ11型のローカル列車がのんびり走る

そんな参宮線が渡る宮川は、かつて暴れ川として知られていました。参宮鉄道は1897年、この川に主要部を頑丈な「プラットトラス式」とした鉄橋・宮川橋梁を架けました。参宮鉄道宮川鉄工所が製造したこの橋は橋長は458メートル、橋脚はレンガ製です。プラットトラス式の橋桁は1930(昭和5)年、鉄道省により「ダブルワーレン式」へと補強変更されています。ダブルワーレン式はトラスの斜材をX字型に組んだ構造のもので、径間の長い鉄橋に適しています。

リベットのゴツゴツした鉄骨と溶接した補強材が、明治と昭和の時代の融合を感じさせる宮川橋梁。鉄橋の横には、鉄道開通前の「桜の渡し」の跡もあり、ロマンにあふれています。

●交通 参宮線 山田上口駅から徒歩約10分

筑後川昇開橋

鉄桁が昇降する旧国鉄線の鉄橋


夕日に浮かぶ美しい昇開橋のシルエット。橋の河口側には若津港があり、周囲には多くの漁船が行き交う

橋の中央部がエレベーターのように上下に昇降する、全国でも珍しい昇開橋です。旧国鉄佐賀線の筑後川に架かる鉄橋で、同線は1987(昭和62)年3月に廃止されましたが、現在、遊歩道として保存され、実際に昇降もします。

かつて熊本地方から佐賀、長崎方面への交通路は鳥栖(とす)を経由するしかありませんでした。短絡するにも広大な川幅の筑後川が阻み、渡船もままなりません。そこに、旧国鉄佐賀線の建設構想が打ち出され、筑後川に鉄橋が架けられることになりました。しかし、場所が有明海の河口付近で潮の満ち干の影響を受けやすく、潮位によっては大型船が航行不能となる恐れがあったため、漁業関係者から反対の声が上がり、鉄橋を船舶優先の昇降式とすることで問題を解決。列車の通行時以外は橋桁が上昇しているという、昇開橋が誕生したのです。

川昇開橋(筑後若津橋梁)は1935(昭和10)年に竣工。全長507.2メートル、可動部の桁の長さは24.2メートル、重さは48トン。昇降差は23メートルあります。20トンのウェイト(重り)が両側の鉄塔にあり、モーターにより駆動します。また、平衡ワイヤーにより強風からも耐えられる設計になっています。


橋の両端は公園として整備されており、佐賀線時代の踏切や信号機などがモニュメントとして展示されている

長く活躍した筑後川昇開橋は、廃線時に解体も検討されましたが、後に国の重要文化財に指定され、その役割を後の世に伝えることになったのです。

●交通 長崎本線 佐賀駅から路線バス30分

  • 写真協力:米屋浩二(鉄道連絡船八甲田丸)/結解学、阪本博文(宮川橋梁)
  • 掲載されているデータは2009年1月現在の情報です。変更となる場合がありますので、お出かけの際には事前にご確認ください。
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