トレたび JRグループ協力

2009.11.01鉄道鉄道遺産を訪ねて―タブレット、ランプ小屋、新聞輸送列車

未来に伝えたい鉄道遺産

1872(明治5)年の新橋駅~横浜駅間開業以降、全国にその網を広げ続けてきたに日本の鉄道。厳しい地理的条件を克服するために、さまざまな技術が施された場所も少なくありません。できあがった当時の社会や先人たちの苦労を、無言で語っているかのような鉄道遺産。そんな、未来にも伝えていきたい名建築を訪ねる旅に出てみませんか。

今なお現役!の遺産たち

明治の鉄道黎明期からの保安システム、建造物、輸送形態など、鉄道ならではの伝統的な光景が首都圏をはじめ、全国にまだ見られます。それらは古いものですが、信頼性が高かったり、丈夫であったり、確実である実績が認められ、現在もなお残り、実際に使用されています。

例えば「タブレット」。これは、「通票閉塞(つうひょうへいそく)」というイギリスから輸入されたもっとも簡単な保安システムの道具ですが、100年以上経っても安全確実であるために、少数ですが、今でも現役で活躍しています。

今回は、このほか、丈夫な建物が危険品倉庫の役割を果たしている「ランプ小屋」、トラック輸送に勝り、首都圏で毎日走り続ける「新聞輸送列車」を採り上げてみましょう。

タブレット

安全を守る明治以来のシステム


通票閉塞 タブレット 久留里線横田駅でタブレットが運転士に手渡される。安全確実が感じられる頼もしい光景だ


タブレット 閉塞器から取り出されたタブレット。真鍮製の「たま」には三角や四角、丸などの穴があり区別される

日本の鉄道創業期は、電信連絡や時間の間隔を空けるなどにより運転調整が行なわれましたが、衝突事故が起きたため、閉塞方式が早くから採用されました。これが現在も残る「タブレット」を使用した「通票閉塞(タブレット閉塞)」です。

単線区間の完成度の高い閉塞方式として、イギリスで1870年頃に開発されたもので、今も世界中で利用されています。1つの閉塞区間に通票(タブレット)を携行させて運転を行なうもので、閉塞区間の両駅には通票閉塞器があり、両駅の閉塞器が電気的に結ばれることで収納されているタブレットが1枚だけ取り出せます。これを革製などのキャリア(ケース)に入れ、運転士に渡して携行させ、着駅でタブレットを戻すシステムです。

後に自動閉塞式(自動信号機を閉塞区間に設けて、軌道回路により列車の有無を信号現示)などが普及し、通票閉塞式は減少します。タブレットは原始的で、現在は一部のローカル線に残るのみですが、最も確実な方式として認知されており、路線災害など緊急時に用いられる場合があるなど、今後もまだ活躍すると思われます。

●DATA
久留里線、只見線などで現役。閉塞器を用いないスタフ(棒状の金具)方式で現役の路線もある

ランプ小屋

油灯時代のレンガ建築


東北本線 氏家駅 ランプ小屋 東北本線氏家駅に見られるランプ小屋。レンガの建物は周囲の風景に溶け込んで違和感がまったくない


磐越西線 山都駅 ランプ小屋 磐越西線山都駅のランプ小屋。「SLばんえつ物語」も停車する同駅では文化財として大切に保存している

全国の鉄道の主要駅には、「危険品庫」と呼ばれる倉庫があります。暖房用の灯油や潤滑油などを収納するためのものですが、倉庫はレンガ積みで、ホームにある場合が多く見られます。これは、電灯が普及する以前の明治期。鉄道の灯りが油灯だった頃に使用された「ランプ小屋」の名残です。

明治期は、駅の灯りはもちろん、信号機、車両の標識灯、駅員の合図灯、そして客車の車内灯に至るまですべて油灯が用いられました。毎日、夕暮れになると油灯に火が点されます。列車は駅に到着すると、駅夫がホームのランプ小屋から油灯を取り出し、手押し車で運び、客車の屋根に上り、渡り歩いて筒状の挿入口から油灯を差し入れたのです。

官設鉄道では明治後半に急行列車の一、二等車が「ストーン式」と呼ばれる車軸発電の電灯を採用。後に三等車にも普及しますが、一般的に主流はまだ油灯で、新型の油灯すら開発されていました。しかし、新型客車の登場で電灯化が急速に進み、大正期に車軸発電の電灯が安定供給されるようになると、油灯は姿を消し、駅や信号機も電灯になりました。

ランプ小屋としての役目は終えましたが、建物はそのまま危険品の倉庫として転用されます。耐火性を十分に考えられている上、レンガ積みで頑丈強固であるため、ホームにたたずむ小さな倉庫は、時を経ても油庫として十分に機能をし、世紀を越えて活躍しています。

●DATA
東海道本線、東北本線など全国の主要路線の駅に残存

新聞輸送列車

今も走る荷物列車


新聞列車 113系 江戸東京博物館を背景にし、両国駅で出発を待つ新聞列車。東京口では珍しい113系電車が見られる


新聞列車 夕刊が所狭しと積まれた新聞列車。係員が乗車し、各駅と連携して次々に夕刊を下ろしていく

荷物列車、郵便列車は全国の主要路線でかつてたくさん活躍をしましたが、いずれも昭和末期に廃止され、ブルートレイン便などを除き自動車などにシフトされています。しかし、首都圏では鉄道に頼った荷物列車がまだ運転されています。「新聞輸送列車」です。

両国駅の昼下がり。普段は使用されない総武本線の列車ホームに、たくさんの夕刊が山積みされます。行き先(駅)ごとに仕分けされ、鉄製の台車で運ばれ、113系電車の車内に次々に積み込まれます。電車は両国発で千葉までは荷物専用列車。千葉からは内房線187M安房鴨川行き、外房線269M安房鴨川行きのそれぞれ後部4両として連結され、最後部車両を荷物専用車両として、休刊日以外は毎日運転します。

係員が待つ各駅では、積み込まれた夕刊を下ろし、それぞれ終点へ。満載された夕刊が少しずつ減っていきます。

千葉は元来、道路事情がよくなく、国鉄時代から専用の荷物電車による新聞輸送が定着していました。113系を使用したこの新聞列車は、その荷物電車を継承したものです。

新聞輸送は上野口でも見られます。東北本線黒磯行き583M。高崎・両毛線前橋行き885Mです。いずれも地平ホームで新聞の積み込み風景が見られ、車両の最後部または半室が荷物専用になります。

このように、鉄道の長所を活かした古くからの輸送がまだ行なわれています。環境にやさしい鉄道輸送。新聞のみならず、荷物や郵便の輸送がもう一度復活すれば……と願ってしまいます。

  • 文・写真:斉木実
  • 掲載されているデータは2009年12月現在のものです。変更となる場合がありますので、お出かけの際には事前にご確認ください。
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