トレたび JRグループ協力

2011.07.01鉄道国鉄&JR 列車名研究所 第12回「天体の名前」の列車たち

―ネーミングの妙と歴史、調べます―

人と同じように列車にもそれぞれ名前がある。ネーミングが“キラリ”と光る列車たち。その名前に込められた想いと、その列車の歩んできた道のりを調べてみました。

第1章 仙台~青森間の急行で出発。奥羽線の寝台特急で長く親しまれる

【あけぼの】夜がほのかに明るんでくる頃の「曙」に由来

昭和30年代、仙台~秋田間には準急「たざわ」2往復が気動車で運転され好評でしたが、1962(昭和37)年7月15日からは、同区間を最短で結ぶ横黒(おうこく)線(現在の北上線)経由で1往復が増発されました。この列車は秋田以北を準急2047、2048列車と結び仙台~青森間とし、急行「あけぼの」と命名されました。

車両にはキロを挿入したキハ58系列が使用され、両数も3両から5両に増やされ、利用客も増えていきましたが、この急行「あけぼの」は1968(昭和43)年10月1日改正で走行路線に相応しい愛称の「きたかみ」に改称されてしまいました。

ところで、20系寝台特急は1964(昭和39)年10月改正以降、東北、常磐、羽越本線で活躍し好評でしたが、奥羽本線にはまだ未投入でした。1970(昭和45)年7月1日、早期落成した20系客車を使用し、臨時特急「あけぼの」が上野~秋田間で運転されました。愛称の「あけぼの」は「明け方」が抽象的に表されて、こちらも同列車名に相応しいものとなりました。

特急「あけぼの」は、同区間の急行「おが」に代わるもので、上野~秋田間を9時間15分で結びました。有効時間帯を外れる大宮~新庄間の途中停車駅では客扱いを行なわない運転停車とし、この合理化の措置は、後の全国の夜行列車に及びました。

1970(昭和45)年10月1日改正で「あけぼの」は上野~青森間の列車となり、1973(昭和48)年10月には上野~秋田間に1往復が増発され2往復となりました。同年より食堂車の営業が休止され、B寝台に置き換えられます。

他のブルートレインが新系列の新型車に置き換えられる中、「あけぼの」は伝統の20系を固守してきましたが、1980(昭和55)年10月には24系化が行なわれ、20系が撤退します。カニ22形などに掲出されたピンク色のテールサインは印象的でした。1982(昭和57)年11月改正では、急行「津軽」の格上げが行なわれ、「あけぼの」は3往復体制となります。しかし、1988(昭和63)年3月改正では新幹線~特急「たざわ」などに乗客がシフトされ、1往復が廃止。「あけぼの」は上野~青森間の2往復運転となります。

「あけぼの」は奥羽本線特急として長く活躍を続けてきましたが、福島~山形間が山形新幹線として標準軌化されることになってしまい、通り道を失う「あけぼの」は1990年9月より、1往復が小牛田(こごた)~新庄間をDE10形ディーゼル機関車重連によって陸羽東線経由で牽引運転をされ、もう1往復は上越・羽越本線経由で運転され、愛称名も「鳥海」に変更されてしまいます。

この大変革により本来の「あけぼの」の列車の意味合いはやや薄くなり、利用者もこの頃から減少します。明るい話題としては、1991年3月改正において、A個室寝台の「シングルデラックス」、B個室寝台の「ソロ」が連結され豪華な編成となりました。

秋田新幹線開業の1997年3月改正では、列車の統合整理が行なわれ、陸羽東線経由の「あけぼの」は廃止。上越・羽越線経由の「鳥海」がもっとも親しまれてきた「あけぼの」の愛称を継承して存続しました。

東北新幹線全通後も生き残り、残り少ないブルートレインとして多くの利用者に愛され続けています。


20系 外観 優雅な20系ブルートレイン時代の「あけぼの」。編成も長く多くの乗客を運んだ

ED75形 外観 奥羽本線矢立峠を行く「あけぼの」。ED75形がヘッドマークを掲げて先頭に立った

EF64形 外観 上野〜長岡間はEF64 1000番台が牽引。2009年3月からEF81形に代わり登場した

第2章 本州と北海道を結ぶ列車。豪華寝台特急の先駆け

【北斗星】天体の北斗七星に由来

青函トンネルが1988(昭和63)年3月13日に開業し、これにあわせて本州と北海道を結ぶべく上野~札幌間に3往復の運転を開始した寝台特急が「北斗星」です。愛称名は公募によるもので、「北海」が1位、「タンチョウ」「オーロラ」と続きましたが、108位だった「北斗星」が選ばれました。

東京~札幌間は航空機のシェアが高く、「北斗星」はそれに対抗すべく寝台特急の魅力を強調させた豪華な列車となりました。下り1・5号、上り2・6号には1人用A寝台「ロイヤル」、2人用A寝台「ツインデラックス」、1人用B寝台「ソロ」、2人用B寝台「デュエット」、「ロビーカー」などが連結。食堂車は予約制のフランス料理のフルコースが堪能できる「グランシャリオ」を連結し、豪華さを強調しました。

豪華個室寝台列車の構想は大成功し、連日寝台券は売り切れ。1989年3月改正からは不定期でモノクラスだった3・4号を定期列車化し、個室車両を連結させ、華やかな時代を迎えます。

牽引機関車は上野~青森間がEF81形電気機関車、青森~函館間がED79形電気機関車、函館~札幌間はDD51形ディーゼル機関車重連で運転されました。車両は24系客車でJR北海道、JR東日本がそれぞれに受け持ちをし、列車により内容の異なる編成となりました。

「北斗星」は若者からも大人気を得、1989年1月にはスキーリゾートのトマムに延長運転された「北斗星トマムスキー号」を運転。同列車は1991年1月には「夢空間」編成を連結した「北斗星トマムスキー号」を横浜~トマム間に運転し、話題を呼びました。また同年にはJR北海道受け持ちの「北斗星1・2号」の個室の増強が行なわれ、「ソロ」「デュエット」がさらに増えました。

しかし、1994年12月からは「北斗星3・4号」が不定期列車に戻されてしまいます。

1996年からは観光シーズンに石勝線に入線する「北斗星トマムサホロ号」が上野~新得間で運転を開始します。1997年3月にはかねてより完全個室化を進めていた「北斗星1・2号」の1・11号車を簡易個室「Bコンパート」化し、すべての寝台が個室となります。1999年からは終点を函館本線の小樽駅とした「北斗星小樽号」の運転が開始され、2000年からは函館本線倶知安(くっちゃん)経由で運転をする「北斗星ニセコスキー号」も運転を開始し、人気を博します。

圧倒的な人気を誇った「北斗星」ですが、その後、乗車率は減少傾向で車両の老朽化も進み始めました。

2008年3月15日改正では、青函トンネルを中心とした夜間の北海道新幹線工事のため「北斗星1・4」号が廃止。2往復で運転されていた「北斗星」はわずか1往復になってしまいます。最盛期は臨時列車を含めて4往復を誇った同列車としては寂しい限りです。

そんな中、2010年7月に、それまでのEF81形電気機関車に代わり、新型のEF510形500番台が青色に金色の帯を巻いた北斗星色も誇らしげにデビュー。新たないでたちで颯爽と駆け抜けています。

現在の「北斗星」は同区間を走る「カシオペア」や「トワイライトエクスプレス」などと異なり、純然たる定期列車であり、列車番号もエースナンバーの「1・2列車」が与えられています。上野と札幌を結ぶ重要な役割のある列車であり、編成はJR北海道・東日本混成で開放式B寝台も連結されており、誰もが気軽に利用できるブルートレインです。北海道新幹線開業後の去就が気になりますが、末永く走り続けて欲しい列車です。


EF81形 外観 赤2号塗装のEF81形に牽引される「北斗星」。デビュー当時から長く活躍をした


DD51形 北海道内はDD51形重連にバトンタッチ。迫力の咆哮で終点札幌へ全力疾走する


EF510形 外観 2010年より運用を始めた最新のEF510形500番台。今後の活躍が期待される

文・写真:斉木実
※掲載されているデータは2011年7月現在のものです。

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