トレたび JRグループ協力

2021.10.05鉄道「つばめ」―戦前から脈々と受け継がれる列車名。超特急「燕」から新幹線まで(国鉄&JR 列車名研究所)

列車名に歴史あり。今回は昭和初期から受け継がれるあの愛称

人と同じように、列車にもそれぞれ名前がある。ネーミングが“キラリ”と光る列車たち――。
その名前に込められた想いと、列車の歩んできた道のりを調べてみました。

今回ご紹介するのは「つばめ」。1930(昭和5)年に東海道本線に生まれた超特急「燕」、そしてその名を継ぐ特急「つばめ」は、西へ西へとその運転区間を伸ばしていきました。
やがて東海道本線では廃止の憂き目にあうも、今度は九州の地で不死鳥のごとく復活を遂げることになります。国鉄時代から引き継がれる列車名の中でも特に人々に愛された、まさに「愛称」だということができるでしょう。

そんな「つばめ」の変遷をお楽しみください。

第1章 戦前・戦後を駆け抜けた「燕」と「つばめ」

1930(昭和5)年10月1日。東海道本線に超特急「燕」がデビューしました。超特急(正式な種別は特別急行)は東京〜大阪間のスピードアップのために計画された列車です。同区間は「富士」が10時間40分をかけて走っていましたが、「燕」は東京発9時00分→大阪着17時20分→神戸着18時00分。神戸発12時25分→大阪発13時00分→東京着21時20分と8時間20分で結び、2時間20分も短縮しました。

途中の機関車交換、補機の連結、給水時間などを短縮するため、東京〜名古屋間は水槽車付きのC51形による通し運転が行なわれ、要衝の箱根、関ヶ原では国府津、大垣、沼津で補機を30秒停車中に連結し、サミットを越えたら走行開放するといった特別運転が行なわれました。乗務員交代も走行中に行なわれ、乗務員は機関車、水槽車のデッキを通り客車へと行き来する離れ業をしていました。


「つばめ」の展望車 外観 優雅だった「つばめ」の展望車。豪華な設備を誇り戦前、戦後を通して東海道本線を颯爽と走った

1934(昭和9)年12月1日には丹那トンネルが開通し、所要時間はさらに8時間に短縮。表定速度は69.6km/hに達しましたが、後の1943(昭和18)年には戦局の悪化により「燕」は姿を消してしまいます。
戦後の1949(昭和24)年9月改正で、特急「へいわ」が東京〜大阪間に運転を開始。翌年元日より愛称は、公募された中から「つばめ」に変更されます。所要時間は9時間で車両も不足気味でしたが、新たに食堂車・展望車も連結され、「つばめ」は国鉄を代表する列車として大いに君臨しました。

1950(昭和25)年には特急「はと」が新設され、東海道本線の特急列車は2往復に増強されます。翌1951(昭和26)年からは、三等車が前方向固定のクロスシートのスハ44形、スハニ35形に置き換えられ、サービスアップが図られます。その後も座席車と食堂車は必ず最新の車両が投入されるなど、日本の代表列車として相応しい水準をもって成長していきます。


EF58形 外観 EF58形電気機関車牽引の「つばめ」。後に機関車と客車は淡緑色の「青大将」に変わる

1956(昭和31)年11月19日、東海道本線全線電化が完成とともにダイヤ改正が行なわれ、東京〜大阪間の「つばめ」の所要時間は7時間30分に短縮されました。蒸気機関車に代わり全区間がEF58形電気機関車牽引となり、これに併せ機関車と客車を淡緑色に変更。「青大将」のニックネームで親しまれるようになりました。
1958(昭和33)年に特急「こだま」が登場すると設備面で古さが否めない「つばめ」「はと」の電車化が望まれるようになります。そこで1960(昭和35)年6月1日、特別座席車の「パーラーカー」を先頭に151系12両編成が「つばめ」としてデビュー。電車化とともに、所要時間は6時間30分に短縮されました。「はと」は「つばめ」に統合され「つばめ」は2往復となります(「はと」は翌年に愛称復活)。

1962(昭和37)年6月10日には山陽本線広島電化ダイヤ改正が行なわれ、「つばめ」1往復が広島発着となり、上り列車の広島〜八本松間には瀬野〜八本松間の急勾配に対応すべく後部にEF61形の補機が連結。八本松ではEF61形の走行開放が行なわれ、戦前の「燕」の運転を彷彿とさせました。
そんな「つばめ」も1964(昭和39)年10月1日の東海道新幹線開業により、長かった東海道本線での活躍を終え、新幹線接続の列車に転身することになります。


豆知識① 公募で決まった愛称

愛称「燕」は公募によるものです。前年の「富士」「櫻」の命名の際に「富士」に次ぐ得票数だったものの、スピード感あふれるこの名称は、このとき具体的に進行していた超特急計画のために温存されることになりました。

後の新幹線化の際も公募が行なわれ、第1位「はやと」・第2位「さつま」・第3位「みらい」・第4位「さくら」に次いで「つばめ」は5位でしたが、国鉄時代からの伝統的な列車名であること、南から速いスピードで飛来し初夏を告げるツバメのイメージが九州新幹線に相応しいことから選ばれたという経緯があります。


800系 「つばめ」 九州新幹線800系に飾られた旧つばめマーク

第2章 山陽・九州特急の活躍と新幹線デビュー

東海道新幹線開業の同日、特急「つばめ」は新大阪〜博多間に1往復設けられ、交流区間の下関〜博多間では電源車のサヤ420形が連結。
EF30、ED73形電気機関車に牽引されて運転が行なわれました。
1965(昭和40)年10月1日には481系交直流特急形電車が投入。「つばめ」の運転区間は名古屋〜熊本間に拡大されます。
東海道本線にデビュー以来の「つばめ」史上、もっとも長距離を走る列車となりました。

1968(昭和43)年10月改正では車両が583系化に置き換えられます。所要時間は下り12時間21分、上り12時間16分と30分短縮。
583系の昼夜兼行スタイルの特色を活かし夜行の「金星」と組む運用となりました。


151系 外観 新製された151系電車が投入されて電車化。ヘッドマークは灰色に塗り分けられた

1972(昭和47)年3月15日改正では新幹線が岡山延長。「つばめ」は岡山接続列車となり、583系4往復、485系2往復の6往復でゆっくりと走り続けました。
翌1973(昭和48)年10月1日改正では1往復が西鹿児島(現・鹿児島中央)に延長、ついに「つばめ」が鹿児島に到達します。
しかし1975(昭和50)年3月10日、山陽新幹線が博多開業を迎え、山陽〜九州方面の在来線昼行特急が全廃。「つばめ」も廃止され、長き「つばめ」の歴史に一旦幕が下ろされます


787系「つばめ」 外観 鹿児島本線を快走する787系「つばめ」。大胆なデザインは多くの人々を魅了した

そして国鉄の分割民営化後の1992年7月15日、「つばめ」の愛称は奇しくもこの九州で甦ります。
この日のダイヤ改正で特急「有明」の西鹿児島(現・鹿児島中央)発着14往復は「つばめ」に改称。7往復に最新型の787系電車を投入しました。
787系はグリーン個室、ビュッフェ車を連結した斬新で豪華な車両で、その独特な外観はもとより「つばめレディ」の乗務などクオリティーの高いサービスも相まって、たちまち大評判になりました。

1993年3月には夜行急行「かいもん」を787系電車化した「ドリームにちりん」も登場。1996年3月16日改正ではすべての「つばめ」が787系になります。
引き続き大人気の「つばめ」は、夜行を含め15往復に成長していきました。

2004年3月13日。九州新幹線一部開業により「つばめ」の愛称は新幹線に譲ることになり、在来線列車は新八代へ新幹線と接続する「リレーつばめ」として存続することになりました。これに伴いビュッフェの普通座席化など787系電車のリニューアルが行なわれています。


800系「つばめ」 外観 九州新幹線でデビューした800系「つばめ」。ゴージャスな接客設備を有して今も活躍中だ

新幹線「つばめ」は新鋭の800系車両を使用し、新八代〜鹿児島中央間を結びます。800系は普通車のみですが2+2配置で、座席モケットは西陣織、ロールブラインド、座席の肘掛け等は木製で、787系に劣らない大変意欲的な車両となっています。「リレーつばめ」とは新八代駅の同一ホームで乗換えができるなど利便性も図られていましたが、2011年3月12日に九州新幹線が全線開業し、「つばめ」は各駅停車タイプの列車として活躍することになりました。これに伴い、「リレーつばめ」はその役目を終えました。


そして2020年には特急「つばめ」の787系がリノベーション、真っ黒に光り輝く車体を引っ提げて「36ぷらす3」がデビューしました。
注目すべきは「つばめ」が現代に生まれなおしたかのようなビュッフェ。ビュッフェでは一部の照明が「つばめ」運転当時のものが使われるなど、往年のファンにはグッとくる演出が施されています。



豆知識② C62形とつばめマーク

「つばめ」牽引で顕著に活躍した機関車のひとつに蒸気機関車のC62形があります。C62形はハドソン型の軸配置を持つわが国最大の旅客用蒸気機関車です。1950(昭和25)年10月改正では、「つばめ」「はと」の8時間運転が行なわれ、宮原、浜松機関区に強力なC62形が集結。性能を発揮し、同機たちは当時非電化だった浜松〜大阪間を華麗に駆け抜けました。

電化の進展と共に活躍の幅も狭まり、1956(昭和31)年11月の東海道本線全線電化完成で「つばめ」から引退しました。活躍したC62形のうち2号機、18号機の除煙板には栄光のつばめマーク(写真)が取り付けられ、とくに2号機はスワローエンゼルと愛称され、引退後、他線区に渡っても長く親しまれました(現在、京都鉄道博物館にて動態保存中)。


C62 2号機 除煙板につばめマークが輝くC62 2号機

  • 文:斉木実、写真:斉木実、交通新聞クリエイト
  • 本記事は2011年1月に公開いたしましたが、2021年10月5日にトレたび編集部により情報を更新いたしました。
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