2022.12.21鉄道作家・乗代雄介と歩く「犬馬と鎌ケ谷大仏」の散歩コース
鉄道開業150年 交通新聞社 鉄道文芸プロジェクト
2022年10月14日の鉄道開業150年に向けて、交通新聞社で始動した鉄道文芸プロジェクト、通称「鉄文(てつぶん)」。さまざまな角度から「鉄道×文芸」について掘り下げます。
新京成線「犬馬と鎌ケ谷大仏」
2022年10月に発売された5人の作家によるアンソロジー『鉄道小説』(交通新聞社刊)にて、小説「犬馬と鎌ケ谷大仏」を発表した乗代雄介さん。
鉄道が通る前、ここはどんな場所だったのか。そして鉄道が敷かれた街には、どんな人が住んでいるのか――?
列車に乗らない鉄道小説。そんな作品が生まれた背景や、さまざまな土地を歩く乗代さんの創作の日々について、執筆のため何度も訪ねたという鎌ケ谷の街を歩きながら担当編集がお話を伺いました。
乗代雄介(のりしろ・ゆうすけ)
1986年、北海道江別市生まれ。2015年『十七八より』で第58回群像新人文学賞を受賞しデビュー。18年『本物の読書家』で第40回野間文芸新人賞受賞。21年『旅する練習』で第34回三島由紀夫賞、第37回坪田譲治文学賞を受賞。その他の著書に『最高の任務』『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』『皆のあらばしり』『パパイヤ・ママイヤ』など。
小説「犬馬と鎌ケ谷大仏」(交通新聞社刊『鉄道小説』収録)
土地の歴史と人の生活が見えるといい街だな、と思う
秋へと向かう朝の散歩は快い。
でも、ペルの足取りは少しずつ重くなっている。小四の時から十五年、朝夕ほとんど毎日行っているからわかる。その間に、散歩のコースは長くなって短くなった。それでもよく立ち止まるようになって、さらに短いのに変えたのが一週間前。家を出て、駅前の踏切を渡って路地に入り、「ふれあいの森」と名付けられた小さな緑地をぐるっと回って帰る、一キロほどの短いコースだ。
(乗代雄介「犬馬と鎌ケ谷大仏」より)
――小説「犬馬と鎌ケ谷大仏」には、坂本とペルの散歩コースとして、主に鎌ケ谷市内の実在の場所がたくさん出てきます。今日はぜひおすすめのコースを歩いてみたいです。
乗代 坂本の家がある鎌ヶ谷大仏駅のあたりから、坂本とペルのいつもの散歩コースを通って、小学校のほうに向かっていく感じがいいかなと。小説では散歩の帰りに寄る鎌ケ谷大仏から先に行きましょう。
――いいですね! 乗代さんは以前からこの街をよくご存じだったのでしょうか。
乗代 初めて来たのは松戸に住んでいた中学生くらいの時です。休みの日に「今日は新京成をせめてみようかな」という感じで、どこか気になるところといったらやっぱり「鎌ヶ谷大仏」という駅名が気になるじゃないですか。
――初めて来た時はどんな印象でしたか。
乗代 何かあるのかな?って観光目線で歩いた感じなんですけど、何もないな、と。もともと「何もなくてもいい」というタイプではあるんですが、何もないなと思ってとりあえず歩き回って帰りました(笑)。
――何もない印象だった街が小説の舞台になるまでに、どんな心境の変化があったのでしょうか。
乗代 去年たまたま1日予定が空いたので、近場で、久しぶりに鎌ヶ谷大仏にでも行ってみようかなと思い立って来たんです。そのときは1日かけて隈なく歩いたんですが、今の興味で改めて見ると、いいなと思うところがすごくたくさんある街だったんです。中学生にはちょっと難しかった。今回、「鉄道をテーマにした小説を」という依頼をいただいてここを書こうと決めてからは、6、7回来ました。
――陸軍鉄道第二連隊が敷いた演習線を活用して戦後にできた新京成線があり、その鉄道会社から土地を無償でもらって暮らす家族があり……。さらにその街には江戸時代に幕府の牧場を囲んでいた「野馬(のま)土手」が残っていたり、開墾された順番にちなむ地名が今も使われていたりと、小説ではこのユニークな「鎌ケ谷市の歴史」が、小学校の時に坂本の班が発表した内容として紹介されます。乗代さんが「いいなと思うところ」はどんなところなのか、もう少し詳しく教えてください。
乗代 歩いていると土地の歴史と人の生活が見えるといい街だな、と思います。史跡みたいなものがある程度あって、住宅地の間に公園や緑地で自然が残されて大きな木があってという、長短の時間が見える街ですね。都会と田舎の中間地帯だからこそ、自分が知ってるものもありつつ、歩けばその土地ならではの知らないものがちゃんと残っている。
――「知ってるもの」とは?
乗代 たとえば“靴流通センター”みたいな幹線道路のチェーン店の感じとか、駅前の雰囲気とか。新京成の沿線はベッドタウンを目的にして始まりましたが、乗り換えなしで都心に行けるという場所ではないので、そこまで都市化は進んでいません。開発の狭間にたくさんのものがある。その代表が野馬土手です。最初は全部つながっていたものが必要に応じてどんどん削られて、今は切れ切れになっている状態です。何かができる代わりに何かがなくなるというのは、街の発展そのものです。でも、ここに残っている切れ切れの線は、誰かがそれとわかって追う限りは、野馬土手としてつながっているものです。街の中にそういう線が通っているというイメージが、鉄道とも重なりました。
森、公園、池、野馬土手。入念に作った散歩コース
外周四百メートルはある東武団地調整池は、中野牧の時代は丸山溜井と呼ばれていた。その頃も今と変わらない広さで、野馬たちの水飲み場でもあった。発表でも、当時の地図と一緒に説明したはずだ。
ぼくたちが毎日歩いていたあたりを、かつては馬が走り回っていたというだけで元気が出るような気がする。でも、小学校の時はそんなことは思わなかった。子供の頃には勝手に備わっていた元気みたいなものはもう失われてしまって、こうやって他からもらってこないと取り戻すことができない。
(略)
一つ目の公園まで行く。ここには芝生の広場があって、朝は誰もいないから、よく遊んだり走ったりした。やっぱりふたりとも元気だったんだなと思う。十五歳のペルと二十五歳のぼくは、寝そべったり座ったりしながら、そちらをぼんやり眺めるばかりだ。年老いた馬たちも、自分がかつて走り回った草原を見ていたんだろうか。
(乗代雄介「犬馬と鎌ケ谷大仏」より)
――駅の周辺は車通りも多いですが、一歩入ると落ち着いた住宅地で小さい公園が本当にたくさんありますね。
乗代 犬を連れてどこでも歩ける街、という感じですね。毎日通ることを思ったら、坂本とペルの散歩コースだけはしっかりしようと考えていました。
――執筆のために鎌ケ谷に来ていたとき、たとえばこの芝生の広場がある「一つ目の公園」では、具体的にはどんな風に過ごしていましたか。
乗代 犬の散歩をする人が集まってくる夕方2時間ぐらいベンチに座っていて、その風景を見ていました。犬種までは詳しくわからなくても、大きさとか、散歩の様子とか。見ているときはけっこう事務的な観察で、交通量調査みたいなのと一緒です。朝も来ましたね。
――本当にひたすら見ているんですね。乗代さんは以前から「風景を文章でスケッチする」ということを続けていますが、それは実際にはどんな作業なのでしょうか。
乗代 最初はほとんど「表現」にならないように、感情入れずに書くというのを目的にしてたので、本当に写生というか、見たものを見たままという意識で書いてました。ちゃんと何があったのか人が見てわかる文章をしっかりやろう、と。今はその練習が一段落ついて次のことしてみようと、その時に思ったことも入れながら書いてます。自分のための再訪リストみたいな役割もあって、「ここに書いたのがどうなったかな」って1、2年後ぐらいに行ってみると楽しいです。趣味ですね。
――仕事のため、というよりも「趣味」というのがいいですね。
乗代 これだけやっているとほとんどは小説には載せないものになります。自分のためだけに書いたものがある、ということがいいんですよね。最終的に自分を救うのは、こうやって書いている文章なのかなという気がしています。まあ、仕事にもつながってきてるんですけど。
――現地を歩くだけでなく、郷土資料もたくさん読まれていると思います。「調べる」という行為は乗代さんにとってどういうものですか。
乗代 今見ているものを、別のものにする方法が、調べることしかないんです。よく見たところで、知らなければ何もわからないということが、それこそスケッチをして身に染みたので。最初の頃は植物の名前も特徴もわからず形とかを書いてたんですけど、読み返した時に、自分でもそれが何なのか、どんなものだったのか、わからなくなっているんですよ。詳しくなった後で読んでも、何の植物か確定できない。調べるのが好きというよりは、そのために調べています。
書き込んだところで、絶対に及ばないものについて書きたい
このベンチの後ろにも野馬土手がある。正確には、野馬除(よけ)土手だ。馬が村に入らないように牧とを隔てる土手を野馬除土手、野馬捕りをする時などに馬を誘導するために使う土手を勢子(せこ)土手といって、その二つを合わせて野馬土手という。発表の時は区別していなかった気がする。
ここでは土手が柵で守られて、説明の看板も立っていた。その一部にはこんなことが書いてある。
「明治以降の開墾や近年の開発に伴って、牧遺構は消滅の一途をたどっている。なかでも、かつては牧周辺ならどこでも見られた野馬除土手は急速に消滅してしまった」
野馬土手は、馬がいなくなればほとんど利用価値がない。どんどん均してしまった方が不便はない。
でも、どんなものにも記憶が宿っている。人が生きているかぎりは土手にも宿る。馬も、犬も、家も、電車も、みんな同じだ。
(乗代雄介「犬馬と鎌ケ谷大仏」より)
――今回は鉄道開業150年に合わせ、個人史と鉄道史、社会の歴史が交わるような小説を書いていただきたいというご相談をしました。これまでのお仕事で、「こういうテーマで書いてください」と言われる機会はありましたか。
乗代 ほぼないですが、「どこか場所に根差したものがいいです」というのは言われたことありますね。何を頼まれても「やれるかも」ぐらいの気持ちではいるので、あとはテーマの中でどこに引きつけるかという問題です。そういう意味では、鉄道というのは、個人に焦点を絞ることも、もっと大きな視点に立つことも、時間的に遡ることもできるような、かなり広いテーマです。いわゆる鉄オタではないですが、もともと土地に興味があるから鉄道にも興味があるし、利用もしてるし、その中で自分の好きなものが見つかったらできるな、というイメージでした。
――『皆のあらばしり』など、これまでも郷土史をベースにした作品を書かれていますが、乗代さんは「歴史」をどんなものとして捉えていますか。
乗代 人の営み、ということに尽きます。ただ大自然というだけでなく、ちょっと人の手が入っている里山や、何かしらそこに人がいたような場所、そういうところを歩きたがるのは、結局、人の営みが見たいからで。民俗学も好きなんですが、残る残らないにかかわらず「誰かが何かをやった」ということは全て広い「歴史」の範囲だと捉えています。ペルと坂本が散歩していたことも、誰かが何かをやったという意味では同じです。実際にあったこととしては、歴史的な出来事と同列だと思いたいんですね。「そこで何かをしていた人がいる」ということを信じたいというか。
――“同列”ということは、この『鉄道小説』でも大事にしたいと考えていました。鉄道開業150年の節目というともっと「大きな歴史」をイメージしてしまいがちですが、個人の思い出や、どこかの街の成り立ちも、その一部ではないのかなと。
乗代 それは、僕が小説を書くときの全てに関わる考え方でもあります。特に鉄道の場合、通ってからそこに人が増えていくというのが基本なので、時間差があるんですよね。まず線路が敷かれた上で、そこに人や街の記憶が積み重なっていく。重なっていくもののほうが書けるし、書きたくなるんです。
――この小説を読んで実際に野馬土手や鎌ケ谷大仏のある街を歩くと、違う時代の人が同じ場所にいたという事実をしみじみ不思議だなと感じる瞬間があります。
乗代 物がないと遡れないんですよね。出来事や知識としてこれがこうだった……って文字で伝えることは、現在にある視線が広がっていくイメージですが、野馬土手とか大仏があるだけで過去や未来に飛び移れるような気がします。そして、その場を歩けば、考え次第で自分もそこに加わることができる。こうして小説に書くことで、誰かが読んだり何十年後かに思い返してまた歩いたりすれば、それが先々へつながっていく。だから、小説を読んで現地に行ってみたくなった、という感想をいただくのはうれしいです。
――先日はじめて鎌ケ谷を訪ねたときには、東武団地調整池から真っ白なサギが飛び立つ瞬間を目撃したり、小説に他の班の子たちが発表したと書かれていた名産の梨が売っていたり、本当に野馬土手の横を歩いて通学する小学生がいるんだという、「現場で起きていること」の一つ一つに新鮮な驚きがありました。
乗代 小説にどこか適当な公園などを出すときに、以前は場所も含めて架空の公園を書いていたんです。今もそうやって書くこともありますが、それが面白くなくなってしまいました。自分が考えたどんな公園よりも、実際の公園のほうがいいんです。読むほうも、公園という共通の認識があるから、どう書いても通じてしまうところがある。その中で、イメージを自在にいじるよりも、不自由だけれど、細かく、全部揃ったものが現実にあるっていう状態の中でどうにかするほうが性に合っている。都合のいい「想像力」が現実に負けることは、全然かまわない。現実のほうがすごいと言い続けたいし、そう言い続けられる小説を書きたいんです。
――「現実のほうがすごいと言い続けたい」という思いについて、もう少し詳しく教えてください。
乗代 自分が感動したい、というのが一番でしょうか。自分の想像で書いたものを場面にしたところで、そこには100%、自分が考えたものしかないわけじゃないですか。でも、実在の場を元に書くと、情報としてそこに書き込んでないものが絶対に含まれてしまう。それを後から自分も見つけることができるし、場のほうが変わってしまうこともある。固定せず変化し続ける場として、終わりのない状態にしたいんです。書き込んだところで、絶対に及ばないものについて書きたい。たとえば、見えますか? あそこの靴流通センターの前に、親子なのか、女性と男の子が何かをしているんですけど。
――2人でしゃがんで、ノートみたいなものを持ってますね。
乗代 ノートで何かを照らし合わせているみたいにも見えますよね。あんな場面って思いつけないけど、絶対に何かが起こってる。しかもかなり必然的で、おそらく興味深いことが。あそこにある景色と出来事の組み合わせって、何物にも代えがたい。あの場面を話の中に組み込むとして、そこにあるストーリーは自分で考えることになるんですが、あの景色の記憶があれば、書く上でとても心強いと思えます。そこに寄りかかるためには「現実のほうがすごい」と確信していないといけない。現実は無尽蔵ですごいんだから、ストーリーに合わせて場所や状況を探すこともできる。
継続が、過去の選択に意味を与える
どうしてそこまで散歩を優先させていたのかは自分でもわからない。ぼくはなんでもペルの散歩と比べるようなところがあった。部活も受験勉強も、ペルの散歩より優先すべきことではなかった。試験前だろうがゲームにハマろうが見たいテレビがあろうが、ペルの散歩には絶対に行った。ペルと一緒にこの町を歩くのが好きだった。ぼくが高校を卒業する時、ペルはすでに老犬と呼ばれる年だったけど、足腰が丈夫だったんだろう。おかげで、ずいぶん一緒に歩くことができた。
(乗代雄介「犬馬と鎌ケ谷大仏」より)
――「ストーリーに合わせて場所や状況を探す」というのは、今回の「犬馬と鎌ケ谷大仏」のように過去に行った場所や、気になっていた場所から探す、ということでしょうか。
乗代 そうです。だから最近は、取材も長期滞在になるばかりで、木更津が舞台の『パパイヤ・ママイヤ』を書いていた時は、3、4泊を10回くらい、合わせたら1カ月ぐらい木更津にいましたね。
――その生活、楽しそうです……。
乗代 楽しいですね……(笑)。今日みたいなことを延々やってるので。もともと大学卒業して10年間塾講師をしていたんですが、休みの日は他の人との兼ね合いで決められたので、平日を休みにしていろいろなところに行っていました。だから、専業作家になって時間は増えても、そこまでやっていることが変わった感じはしないんですけどね。
――塾講師時代から、いつか専業作家になるイメージはありましたか。
乗代 進むべき方向、ぐらいには思っていたかもしれないです。でも、そんなに賞とかに毎回出してるわけでもないし、中学の頃からやっているサイトやブログの更新とか、高校の時に始めて今も毎日続けている本の書き写しばかりやっていて。デビューしてからは早く専業になりたいと思っていましたが、多分、働きながらでもこういうことができていればいいか、みたいな感覚はあったと思います。仕事も楽しかったんでね。子供と関わる仕事だったし、それはすごく良かったです。
――坂本がペルとの散歩中に、「テッペイ」という犬を飼っている男の子と出会うシーンがあります。自分が子供だった頃のことを思い出して、坂本のような大人との会話に救われることがありそうだなと思いました。
乗代 今じゃなくても、あの子は多分どこかで思い出すと思うんです。そういう時間差が好きですね。個人的には、小説の登場人物を見て「自分もこういう人間になろう」という意識を持ってきました。ありえないような人間だとしても、その“ありえない人間”になりたいと読む人が思ったら、そんな人間になるかもしれないじゃないですか。それこそ、書かれたものにいろんな教育的効果があったから、人間も変わって来たという面があると思うんですよね。そうなると、理想的だとか現実離れしているとか誰が思おうと、人間のことはどう書いてもいいじゃないかと思って。でも、場所はそうはいかない。場所はそんな風に変化しませんから。じゃあ、どちらを想像の犠牲にするんだという話で。
――乗代さん自身が、そんなふうに具体的な登場人物に影響を受けたことはありますか。
乗代 ありますが、だいぶ早い時期から登場人物ではなく書いている人間にフォーカスしてきたところがあります。伝説的な生き方をしてるとか、ともすればフィクション的というか、後からそういう伝説がくっついてきたような人というか。そういう人への憧れはすごくありますね。宮沢賢治やサリンジャー、カフカみたいな。だから、僕が今まで書いてきた小説にはほぼ全部「書き手」がいます。僕が書いているものとしてではなく、誰かが書いたものであることを示すというやり方です。書いている人間のことを書くにはそうするしかなかった。ただ、この「犬馬と鎌ケ谷大仏」は明確な「書き手」はいなくて、「場所が主役」という気持ちで書きました。
――「犬馬と鎌ケ谷大仏」は、その「場所」に、坂本やペルが含まれているという感触でした。この坂本という人物は、社会の波に乗れないとうよりは乗らないというか、社会のしがらみから距離を置いている感じですね。
乗代 そうですね、「もっと考えたほうがいいぞ、行き詰まるぞ」とも思うんですけど(笑)。僕自身、社会のしがらみに自分の時間を割くということを全くしなかったので、書けないだけかもしれないです。
――坂本は小学校の頃に好きだった松田さんのことを忘れられずにいますが、それでもペルを優先しているというか、ペルと散歩する人生を「選んでいる」という気がします。
乗代 選んだ、選んでないの判別って難しいじゃないですか。たぶん人生のいろいろな選択も、散歩コースを選ぶのとそんなに違わないと思うんです。選ぶよりも、選んだことを続けることのほうがよほど重大です。そのあと続かなきゃ、選んだことに特に意味はないですからね。街の発展もそうですけど、継続が、過去の選択に意味を与えるんです。だから、ずっと続いたペルの散歩という行為は、彼の生き方を示すものになります。そういうものを持っている人を書きたくなりますね。あえて言うと、そういう人たちが僕にとっては「ヒーロー」なんです。
――先ほど乗代さんが「自分のためだけに書いたものがある、ということがいい」と言っていましたが、坂本にとってのペルの散歩にも似たものを感じます。そしてその志のようなものは周囲からは見えないというか、「ヒーロー」として捉えられることはまずないであろうものですね。
乗代 何か志を持ってやっているとはなかなか言えないし、言ったら違うものになってしまう、というものですね。そういう人のことを小説に書いているときは、「自分はただ見ているだけ」っていう感覚になるんです。小説だけが、その見ている証拠になるような。逆に、苦しんでいる人物の不満や葛藤について書く場合、「自分はその苦しみをわかっているよ」という感覚になってしまうので、なんとなく避けてしまいます。それは僕が苦しんできた実感のない人間だからかもしれませんね。
――「わかっているよ」と寄り添ってくれる物語が支えになることもあれば、そこには社会や他者に照らした何らかの「正解」がありそうで、窮屈さを感じることもあります。
乗代 そうですね。それが本当の「正解」ではないにしても、苦しんでいる以上は意識してしまうものがある。それこそ大仏への信心が支えになれば意識も散るんですが、現代ではそうもいきません。僕の思う幸せは、自分の行為が自分の意志によって続いている状態です。そうやって何かしていられるうちは大丈夫なはずです。だから、犬の散歩だってそうなれる。そして、一つの街には、今も昔もそうやって生きていた人がたくさんいたんでしょう。歩いて調べてそれを実感できた時は、そんな人間が生きた街を小説に書きたくなります。鎌ヶ谷大仏駅は、まさにそういう場所でした。
取材・構成・撮影=渡邉 恵(交通新聞社 鉄道文芸プロジェクト事務局)