トレたび JRグループ協力

2011.06.01鉄道国鉄&JR 列車名研究所 第10回「植物名」の列車たち

―ネーミングの妙と歴史、調べます―

人と同じように列車にもそれぞれ名前がある。ネーミングが“キラリ”と光る列車たち。その名前に込められた想いと、その列車の歩んできた道のりを調べてみました。

第1章 本州からの接続列車として誕生。晩年は道内夜行列車で君臨

【まりも】沿線の阿寒湖のマリモに由来

1951(昭和26)年4月、函館~釧路間の夜行急行に「まりも」の愛称が与えられます。沿線の阿寒湖に分布する世界的に珍しい藻類のマリモに因んで名付けられた「まりも」は、本州内から特急「北斗」を介して乗り継ぐことができ、特急「はつかり」「おおぞら」乗り継ぎと並んで人気の高い列車となりました。編成の一部は釧路から先も普通列車で根室まで延長運転されました。

「まりも」は寝台車の需要が高く、3両だった寝台車は増結を行ない、1964(昭和39)年には6両になりました。1965(昭和40)年10月からは「まりも」の函館~札幌間を分割し、札幌~釧路間の完全な夜行列車となります。編成は寝台車と座席指定車、郵便車の12両編成でした。しかし、その活躍は短く、1968(昭和43)年10月ダイヤ改正では札幌~帯広~釧路間の急行「狩勝」に統合され、「まりも」の愛称は消えてしまいます。

その後の1981(昭和56)年10月の石勝線開業では昼行・夜行1往復ずつの「まりも」が石勝線経由で復活をします。翌、1982(昭和57)年11月には夜行編成の座席車を14系客車にグレードアップ。寝台車も追って1983(昭和58)年6月には14系化されます。

1985(昭和60)年3月14日ダイヤ改正では「まりも」の昼行1往復が「おおぞら」に統合され、再び「まりも」は夜行列車のみの列車となってしまいます。同年11月にはB寝台の三3段→二段化改造も順次行なわれます(翌1986[昭和61]年11月完了)。また1988(昭和63)年6月には座席指定車に「ドリームカー」が連結、1989年2月には「女性専用席」が設けられ、夜行列車として充実されていきます。

しかし、1993年3月には「まりも」を特急化して「おおぞら13・14号」として運転されることになり、またもや「まりも」の愛称が消えてしまいます。2001年7月1日ダイヤ改正では札幌~釧路間昼行特急の283系「スーパーおおぞら」化に伴い、183系で残る夜行「おおぞら13・14号」は再び「まりも」に改称されることになりました。編成は中間に14系寝台車を連結した5両編成でした。

復活を遂げた「まりも」ですが、その活躍はあまり長くは続かず、2007年10月に臨時列車に格下げ。翌、2008年8月31日限りで「まりも」は廃止されてしまいました。「まりも」の廃止で道内だけの定期夜行列車はすべて消滅してしまいました。


DD51形 外観 重厚なDD51形機関車に牽引されて出発を待つ客車急行時代の「まりも」

183系 外観 183系気動車化された特急「まりも」。スラントノーズの0番台が先頭に立つ

まりも 外観 気動車時代の特急「まりも」は寝台車に女性専用席も設けられ好評だった

第2章 上野~秋田間特急でデビュー。活躍範囲を縮小し、今なお現役

【いなほ】日本の米穀地帯の「稲穂」に由来

1969(昭和44)年10月1日、それまで希薄だった東京と庄内地方を結ぶ列車として、上野~秋田間に気動車特急「いなほ」が新設されました。日本有数の米穀地帯を走ることから「いなほ」の愛称が付けられました。

キハ80系気動車7両編成を使用し、先頭車にはボンネットのキハ81形が付き、時刻は上野発13時50分→酒田着20時28分→秋田着22時00分、秋田発9時25分→酒田着10時56分→上野着17時40分と、従来運転の急行「鳥海」より1時間以上も短縮され好評でした。

利用者も多く、1972(昭和47)年3月以降は「いなほ」は9連で運転され、同年10月2日の羽越線電化によるダイヤ改正では「つばさ」に先駆け、485系電車化が投入されます。同時に2往復となり、1往復は青森まで延長されます。これにより上野~秋田間は7時間30分前後で結ばれ、車両も12両化されました。

1979(昭和54)年7月1日ダイヤ改正では1往復が増発され、「いなほ」は上野~秋田間2往復、上野~青森間1往復、計3往復の列車となり、上野~秋田間では奥羽線特急の「つばさ」を補完するかたちで活躍をします。

1982(昭和57)年11月15日ダイヤ改正では上越新幹線が開業。上野~青森間の1往復列車が「鳥海」に名を変え転身。「いなほ」は新潟~青森間1往復、新潟~秋田間4往復の新幹線接続のエル特急になってしまいました。編成も485系9両に減車されてしまいます。

1986(昭和61)年11月ダイヤ改正では7往復となりますが、大半の4往復が酒田で折り返すなど、新潟~庄内地方を結ぶ列車の性格を強めます。JR化後は半室グリーン車も設けられ、1991年3月からは新潟~酒田間の停車駅を鶴岡のみにした通称「スーパーいなほ」も設定。到達時間の短縮が図られます。

しかし、1997年3月22日、秋田新幹線が開業すると酒田~秋田間の列車も半分に削減され、「スーパーいなほ」もそれ以前には廃止されてしまいました。この時期、「いなほ」は新潟~酒田間の列車が中心となっていましたが、2001年3月3日には「白鳥」の廃止により運用区間が見直され、新潟~秋田間の「いなほ」1往復が増発され、計8往復体制になりやや華やかになります。

「いなほ」はひたむきに走り続けますが、2010年12月4日、東北新幹線八戸~新青森延伸開業により、秋田~青森間の列車を「つがる」に統一することになり、残存していた新潟~青森間列車の1往復が秋田~青森間を廃止。現在、新潟~酒田間に4往復、新潟~秋田間に3往復の7往復が運転され、実りの季節には稲穂がたなびくであろう米処を毎日疾走、活躍しています。


いなほ 外観 国鉄色を纏い水田地帯を快走する特急「いなほ」。国鉄色は現在でも見ることができる


いなほ 上沼垂色 外観」 白をベースにした「上沼垂色」は長く親しまれた。風景によくマッチして美しい


485系 いなほ 外観 リニューアル車485系3000番台を使用した特急「いなほ」。座席等グレードが大幅に改良された

文・写真:斉木実 写真協力:裏辺研究所(裏辺金好、デューク、Mik様)
※掲載されているデータは2011年6月現在のものです。

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