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2022.07.15鉄道【小説に鉄道を読む】堀井美香「途中下車に心寄せる旅」

鉄道開業150年 交通新聞社 鉄道文芸プロジェクト
2022年10月14日の鉄道開業150年に向けて、交通新聞社で始動した鉄道文芸プロジェクト、通称「鉄文(てつぶん)」。さまざまな角度から「鉄道×文芸」について掘り下げます。


鉄文プロジェクト特別寄稿

鉄道を主題とした小説は数多くありますが、「鉄道の小説」と思われていない作品の中にも、鉄道に注目して読むと新たな発見がある作品がたくさんあります。また、「鉄道の小説」の王道といえる作品も、時を経て読み返すと新鮮な驚きに満ちています。

鉄道好きの人、小説好きの人だけでなく、今はまだそのどちらでもない人にも、思いもよらない形で身近な接点や関心の種を見つけられる小説があるかもしれません。

本記事は、「鉄道開業150年 交通新聞社 鉄道文芸プロジェクト」の一環としてスタートした「小説に鉄道を読む」特別寄稿シリーズ第3弾。フリーアナウンサーの堀井美香さんに、これまでの読書のなかから鉄道に着目していただき、その作品をご紹介いただきます。


著者紹介

堀井美香(ほりい みか)

秋田県出身。1995年にTBSテレビに入社し、27年間TBSアナウンサーとして活動。2022年3月の退社後は、フリーアナウンサーとしてTBS『坂上&指原のつぶれない店』等ナレーションを多数担当。コラムニスト・ラジオパーソナリティーのジェーン・スーさんとのポッドキャスト「OVER THE SUN」が大人気。6月より一人朗読会も定期的に開催。

堀井美香ホームページ yomibasho https://www.yomibasho.com/ 
Twitter  @horiimikaTBS

途中下車に心寄せる旅

「一ヶ月のうち二、三度、汽車へ乗っている。旅が好きで仕方がない。」と記すほどに、汽車旅に思いを馳せ続けた女性作家といえば林芙美子である。小説に鉄道を読むと聞いて私が最初に思い浮かべた作家だ。当時、男性作家に比べると女性の作品に汽車のシーンは少ない。女一人の行く当てもない汽車旅も珍しい事であったろう。それでも林芙美子の作品にはたくさんの鉄道の風景が綴られている。

 書く事は苦しい。やりきれなくなるから汽車に乗る。と芙美子は言う。そして車窓からの風景に惹かれて予定外の途中下車もする。それはまるで自明の未来を前にひらりと身をかわす芙美子の生き方のようでもある。芙美子は思わぬ途中下車こそが旅の、人生の、醍醐味だと教えてくれる。

 『放浪記』で一躍人気作家になったにもかかわらず、帰りのめどもつけずにシベリア鉄道に乗ったり、札幌行きの汽車で気が変わり倶知安駅に降り何日か暮らしてみたり。芙美子は気ままに各地を放浪する。一人、列車から景色を眺めるその眼に、車窓の向こうはどのように映っていたのだろう。
 芙美子が少女期を過ごしたのが尾道である。小説「風琴と魚の町」では車窓から見える尾道の街をこう表現している。


「蜒々(えんえん)とした汀(なぎさ)を汽車は這ってゐる。動かない海と、屹(そばだ)つた雲の景色は、十四歳の私の眼に宮殿の壁のやうに照り輝いて寫つた。その春の海を圍んで、澤山、日の丸の旗をかゝげた町があつた。瞼蓋を閉ぢてゐた父は、朱(あか)い日の丸の旗を見ると、せはしく立ち上がつて汽車の窓から首を出した。」

出典:「風琴と魚の町」 『日本現代文学全集78』(講談社、1967年)

一家が身を寄せ合って乗る狭い車内。車窓からは祭りでもあるかのような明るく鮮やかな風景が見える。途中下車さえさせてしまう景色は、浮世を漂い、あてどなく旅をする一家や少女にとって、希望であったに違いない。

 また同じ「風琴と魚の町」の中で、街の神社の裏の陸橋から汽車を見つけ、父に「これへ乗つて行けやア、東京まで、沈黙つちよつても行けるんぞ。」といわれた少女は「東京から、先の方は行けんか?」とも問うている。
 
 行商人の親子の尾道での生活や、貧しく切ないエピソードを描きつつも、芙美子自身のこれからの汽車旅人生の未来を予感させる場面であるようにも思える。
目的地につくことなど重要ではない。目的地のその先へ行きたい。まだ知らぬ場所で新しい何かをみたい。作家となった芙美子の気持ちが表れているかのようだ。

 代表作『放浪記』では貧しくも、旅を渇望するシーンがよく出てくる。
「汽車に乗って遠くへ遠くへ行きたい。」「行けるところまで行ってみたい。」「途中で面白そうな土地があったら降りてやろうかな」と、この頃になると汽車旅は鬱屈する自分をはぎ取るための手段でもあった。

 そして『放浪記』でも有名なのが尾道へ戻った際のこの一節。


「海が見えた。海が見える。五年振りに見る、尾道の海はなつかしい。汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように拡がって来る。赤い千光寺の塔が見える、山は爽かな若葉だ。緑色の海向うにドックの赤い船が、帆柱を空に突きさしている。私は涙があふれていた。」

出典:林芙美子『放浪記』(新潮文庫、1979年)

汽車と一心同体になり尾道の街へと溶け込んでいけば、鼓動は早まり、想いが溢れる。車窓からの眺めに記憶の断片が投影されていく。車窓が芙美子の過去と未来をつないでいるのだ。

芙美子は自分に古里はないと言う。しかし芙美子の心にはいつもこの車窓の景色があったから、自由に放浪ができたのかもしれない。

 静かに輝く尾道水道。細い道を抜けるとそこには、林芙美子記念館がある。林芙美子の旧居に、直筆原稿、コンパクトや灰皿などの愛蔵品が展示されている。芙美子一家がふらりと途中下車し、芙美子の旅の原点になった町。汽車旅を重ねながら、職業婦人としても自立し、自由に生きた芙美子。憧れのその人の生き方に自分を重ね合わせるかのように、自分の小さな朗読会もここからスタートさせてみたいと思った。

鉄道に関する小説を3冊との事なので、もう一つ。変わってこちらは現代の女子大生が鉄道旅をする『夢より短い旅の果て』(柴田よしき著)である。鉄道旅初心者の主人公が、大学の鉄道同好会に入り、どんどん魅力にはまっていく。冒頭に出てくる路線が、馴染みのある路線距離3.4kmほどの、こどもの国線。小さなローカル線が舞台となり様々な物語が紡がれる鉄道ミステリーで、物語が進むごとに全く知らないどこかの駅に降り立ち、自分だけの物語を見つけてみたいという衝動に駆られる作品でもある。

 私もゆっくりと鉄道旅が楽しめる年になった。
 もう大きな駅を目指さなくてもいい。
 どうせなら途中下車したり、小さなローカル駅で時間を潰したり。
 旅も人生もその先行きは予測不能なものでありたい。