トレたび JRグループ協力

2023.01.26鉄道キハ200系(JR九州)電車並みの性能と最先端のデザインを有したJR九州初のディーゼルカー

JRの気動車像を確立した新世代ディーゼルカー

鉄道ファンといえば新幹線、観光列車に特急列車が好き……。

それはもちろんその通り。
しかし日々の通勤や通学を支える普通・快速列車にも、たまらない魅力が隠されています。
さながら実家のような安心感と最先端の技術を兼ね備える不思議な存在、それが普通・快速列車なのです。

今回は、電車並みの設備と加速性能を備え、九州の通勤・通学シーンを一変させたキハ200系(キハ200形・キハ220形)を紹介します。

水戸岡鋭治氏がデザインを手がけた最初の新型車両


赤の塗装を纏ったキハ200形。ほかにも黄色や青色の車両が存在する

キハ200系は、1991(平成3)年にJR九州が発足後初めて投入した近郊型気動車です。

かつての産炭地域である篠栗線沿線及び筑豊地域は、1980年代以降、福岡市のベッドタウンとして急速に発展していました。
しかし、当時まだ非電化だった篠栗線は、老朽化の進む国鉄世代の気動車をやりくりして激増する通勤・通学需要に対応している状態。
周辺道路網の整備も進む中、直方〜博多間は1時間20分近くかかるなどスピードと快適さの両面で見劣りし、競争力を高める必要に迫られていました。

そこで、1991(平成3)年3月のダイヤ改正では鹿児島本線の吉塚〜博多間が3線化されて篠栗線からの全列車が博多直通になると同時に、直方からの直通快速「赤い快速」が運転を開始しました。
この「赤い快速」に投入された車両がキハ200形です。


キハ200形は「赤い快速」として運用が始まった(1991年1月博多駅にて撮影)

キハ200形は全長21.3m、片側3扉で車両の一方に運転台を備えた片運転台の気動車です。
トイレ付きの0番代とトイレ無しの1000番代の2両1編成を基本としますが、3両など奇数両数の編成も可能で、乗客数に合わせてきめ細かく編成を変えることができます。


オール転換クロスシート。初期は黒のモケットだったが、後期ではカラフルなモケットに変更されている(1991年1月撮影)

客室設備は、当時鹿児島本線などに投入されて大好評だった最新の近郊型電車811系をベースとし、客席はオール転換クロスシートの快速仕様。
また、この車両は水戸岡鋭治氏のドーンデザイン研究所がデザインを担当した、初めての新型車両でもあります。

画期的な爪クラッチ機構付き変速機で電車並みの性能に

エンジンは直噴式DMF13HZA(450PS/2000rpm)を1台搭載し、変速機は鉄道総合技術研究所が開発した画期的な爪クラッチ機構付き直結2段のRDW4Aを採用しました。
この結果、連続25‰の上り急勾配においても、60km/h以上の走行が可能な高性能を有しています。
また、最高速度も110km/hを実現し、電車に比べてどうしても劣りがちな加速性能も国鉄世代の415系電車とほぼ同じ性能を実現。
台車には、軽量で乗り心地のよいボルスタレス台車を採用し、連結器も振動吸収に優れた密着連結器を備えるなど、国鉄世代の気動車とは一線を画す性能を誇りました。

電車並みのスピード・加速力と、水戸岡鋭治氏による最先端の客室設備を備えたキハ200形「赤い快速」は、それまで約1時間20分を要していた直方→博多間を最速51分で結び、話題になりました。
現在、同区間は787系を使用した特急〔かいおう〕で55分(直方→博多間)を要しますから、キハ200形がいかに画期的なスピードを提供したかがわかります。
それまで「都会のローカル線」とも言われた篠栗線は、キハ200形の登場によって、現代的な都市鉄道に生まれ変わったのです。


H080-035-002.jpg 鉄道友の会のローレル賞を受賞。デザイン性も、スピードも一線を画した(1992年9月撮影・交通新聞より)

こうして颯爽と登場したキハ200形は、翌1992(平成4)年には、鹿児島県の指宿枕崎線を走る快速〔なのはな〕に導入され、同年には鉄道友の会のローレル賞を受賞します。
1994(平成6)年には長崎県の大村線で運行される快速〔シーサイドライナー〕にも投入されて、活躍の場を広げていきました。

1両で運行できる両運転台タイプのキハ220形登場

1997(平成9)年3月、キハ200系は新たに豊肥本線の熊本〜肥後大津間に投入されました。

熊本地区に導入されたのは、ワンマン運転に対応したキハ200形100番代・1100番代です。
同時に、1両での運行が可能な両運転台タイプとして、キハ220形1100番代が登場しました。

同年7月には、福岡県の香椎線にキハ200形500・1500番代が登場します。
香椎線は運行区間が25.4kmと短く、福岡市近郊の通勤・通学路線であることから、キハ200形初のオールロングシートが採用され、トイレも省略されました。
同時に、両運転台タイプのキハ220形1500番代も登場しています。
なお、キハ200形500番代は鹿児島へ転属した2003(平成15)年から、キハ220形1500番代は大分転属後の2007(平成19)年から、トイレと車いすスペースを新設する改造を受けています。


キハ220形1500番代は、転属を重ね、現在は大分車両センターで活躍している

こうして、福岡・長崎・熊本・鹿児島の九州各地域に進出したキハ200系ですが、2001(平成13)年に篠栗線と筑豊本線の電化が完成すると、福岡からの転出を中心とした配置転換が始まります。

九州新幹線の新八代〜鹿児島中央間が開業した2004(平成16)年3月改正では、指宿枕崎線に観光向け特別快速〔なのはなDX〕が運行を開始し、熊本から転属したキハ220形1102が指定席車両(デラックスカー)への改造を受けています。
車両中央の乗降扉を廃して大型窓の展望スペースを備えた観光向け指定席で、キハ220-1102+キハ200-9+キハ200-1009の3両編成で運行されました。


日豊本線を走るキハ220形200番代。2018年に815系・787系への置き換えられ、キハ200系は撤退した

2006(平成18)年には、8年ぶりの新製車となるキハ220形200番代が登場、12両が製造されて全車大分地区に投入されました。
200番代は、前面部の行先表示器が大型化して見やすくなったほか、客室は片側に転換クロスシート、反対側にロングシートという千鳥配置を採用し、観光需要と通勤通学需要の両方に対応しています。

このほか、災害・事故によって廃車になったキハ200形1000番代2両を補うために製造された5000番代、0・1000番代の座席をオールロングシートに改造した550・1550番代もあります。

大分・熊本・鹿児島で地域輸送の主力として活躍

2023年1月現在、キハ200系は全64両が九州各地で活躍しています。
すべての番代が在籍しているのが大分車両センターで、キハ200形22両とキハ220形15両が、久大本線全線と豊肥本線の大分〜豊後竹田間で使用されています。
由布岳をバックに久大本線を走る赤いキハ200系は九州の鉄道を象徴するシーンのひとつと言えるでしょう。


由布岳をバックに雄大な自然の中を走るキハ200形

熊本車両センターにはキハ200形6両とキハ220形3両が在籍し、豊肥本線の熊本〜宮地間と三角線で活躍しています。
立野駅の三段スイッチバックや、三角線沿線に広がる有明海など、多彩な車窓風景を楽しめる地域です。

〔なのはなDX〕の指定席として改造を受けたキハ220−1102も、2011(平成23)年に〔なのはなDX〕が廃止されてからは熊本車両センターに所属していますが、2020年7月の熊本豪雨で冠水し、小倉工場で待機しています。
〔なのはなDX〕時代の設備をそのまま残しているだけに、復活が待たれますね。


DSC_0591 瀬々串~中名間.jpg 指宿枕崎線を走るキハ200形は、黄色の塗装が施されている

鹿児島車両センターにはキハ200形18両が在籍し、指宿枕崎線の鹿児島中央〜山川間と日豊本線の鹿児島〜鹿児島中央間で使用されています。
鹿児島所属の車両は多くが菜の花をイメージした黄色に塗装され、車窓からは桜島や鹿児島湾の風景を楽しむことができます。


「SSL(シーサイドライナー)塗装」と言われた青色のキハ200系。ほかにも黒・白・オレンジ色の「ハウステンボス色」なども存在した

90年代の九州に颯爽と登場し、鉄道のイメージを一新したキハ200系。
YC1系など後継車両も登場していますが、サービスレベルは遜色なく、今もJR九州の非電化路線の主力車両として活躍を続けています。


著者紹介

栗原 景(くりはら かげり)

1971年、東京生まれ。鉄道と旅、韓国を主なテーマとするジャーナリスト。出版社勤務を経て2001年からフリー。
小学3年生の頃から各地の鉄道を一人で乗り歩き、国鉄時代を直接知る最後の世代。
東海道新幹線の車窓を中心に、新幹線の観察と研究を10年以上続けている。

主な著書に「廃線跡巡りのすすめ」、「アニメと鉄道ビジネス」(ともに交通新聞社新書)、「鉄道へぇ~事典」(交通新聞社)、「東北新幹線沿線の不思議と謎」(実業之日本社)ほか。

  • トレたび編集室/編
  • 写真/交通新聞クリエイト
  • 掲載されているデータは2023年1月現在のものです。変更となる場合がありますので、お出かけの際には事前にご確認ください。
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