豪雪地帯を繋ぐ全国屈指の絶景ローカル線・只見線
日本全国津々浦々を繋ぐ鉄道路線。
そんな日本の鉄道路線は、150年以上の歴史を持ちます。
日常の一部でもある鉄道路線は地域と密接に関わり、様々な歴史とともに走ってきました。
通勤・通学で使用する馴染みのある路線にも、思いがけない歴史があるかもしれません。
旅の目的地へ連れて行ってくれる路線には、見逃せない車窓が待っています。
さあ、鉄道路線の歴史の風を感じてみませんか?
今回は、只見川に寄り添い、美しい四季折々の情景を魅せてくれる只見線(JR東日本)をご紹介します。
只見線の歴史
11年2カ月ぶりに全線復旧を果たした人気路線
奇跡の復活。
只見線はそんな言葉で表現されます。福島県の会津若松駅と、新潟県の小出駅とを結ぶ、全長135.2kmのローカル線です。
大正時代に計画され、1971(昭和46)年の全通まで約半世紀かけて建設された路線ですが、福島・新潟県境の人口の少ない地域を通ることから利用者が少なく、全通する以前から廃止が検討されたほどでした。しかし沿線は国内有数の豪雪地帯で、並行する国道252号の県境を挟む区間が冬期通行止めとなることから、今まで廃止を免れてきました。
ところが、2011(平成23)年7月に発生した新潟・福島豪雨によって、会津川口~只見間で3カ所の橋りょうが流失するなど、只見線は甚大な被害を受けて同区間の長期運休を余儀なくされます。復旧には80億円以上という莫大な費用と長期にわたる工事が必要とされ、一時は鉄道での復旧が危ぶまれました。
しかし、道路が冬期閉鎖となる沿線地域の鉄道に対する信頼は高く、最終的に線路や駅などの施設と土地を福島県が保有し、JRが自治体に線路使用料を支払って車両を運行させる「上下分離方式」を導入して鉄道で復旧させることになりました。
道路交通の場合、道路を国や県が保有・管理し、バス会社は道路維持のための費用(通行料や税金)を支払ってバスを運行させますが、それとよく似た仕組みです。復旧費用も、JR東日本と福島県および沿線自治体が分担して負担することになりました。
こうして2018(平成30)年6月から本格的な復旧工事が始まり、2022(令和4)年10月1日、只見線は11年2カ月ぶりに全線復旧を果たしました。
只見線の見どころ
一泊してじっくり楽しみたい日本の原風景
只見線の魅力は、日本の原風景とも言える里山の景色にあります。会津盆地の広大な田園風景、只見川、末沢川、破間(あぶるま)川の清流。そして浅草岳や守門岳といった山々……。沿線には古民家も多く、日本の田舎らしい風景が全線にわたって続くのです。
只見線は、全線を通して運行される定期列車は1日3本のみ。行楽シーズンの土休日には会津若松〜只見間に臨時快速〔只見線満喫号〕をはじめとする臨時列車も運行されますが、全線復旧以来大変な人気路線となっており、週末や青春18きっぷのシーズンには大勢の立ち客が出るほど賑わいます。
特に、会津若松と小出を13時台に発車する列車は首都圏からの接続がよく混雑するので、できれば会津若松か小出、あるいは沿線に一泊して、朝の列車に乗るのがおすすめ。宿泊施設が豊富な会津若松発が便利です。
車両は、キハE120形とキハ110形の2形式が使用されています。最近は乗客が多いので、この2形式が連結して2両編成で運行されることも多いようです。
どちらも、クロスシートとロングシートを組み合わせたセミクロスシート・2扉の気動車。キハ110形は、1990年に登場したJR東日本の標準型気動車で、キハE120形は、キハ110形の後継車種として2008(平成20)年に登場しました。
筆者の個人的なおすすめはキハE120形。窓は赤外線や熱をカットするため青みがかっていますが、上段を開けられるので、橋りょうなどでは窓を開けて景色を楽しむことができます。
座席は、どちらかといえば小出駅に向かって右側がいいでしょう。只見川や浅草岳などの絶景を見られる区間が長く、また北向きが多いので太陽を背にして順光で車窓を楽しめます。
只見線で注目したい鉄道遺産
只見川に沿って四季折々の姿を見せる
始発駅の会津若松駅から、只見線の旅を始めましょう。
会津若松駅を発車した列車はしばらく市街地を走り、西若松駅で会津鉄道が分岐すると阿賀川を渡ります。
次の会津本郷駅から左右に田園風景が広がり、会津坂下駅を過ぎると山裾に貼り付いて25‰(1000m進むごとに25mの高低差)の勾配で丘陵地を登ります。
車窓右手に広がる会津盆地ともお別れ。のどかな田園風景から、一気に深い山の中へ入っていくこの区間は、只見線の隠れたハイライトです。
地図では、会津坂本駅付近から車窓右手に只見川が近づいてきますが、列車からはなかなか見えません。只見川は深い谷底を流れ、このあたりの只見線とは30m以上の高低差があるからです。
只見川が初めて間近に姿を現すのは、会津桧原駅の先にある第一只見川橋りょう。
深い谷に架かったアーチ橋で、緑豊かな夏はもちろん、紅葉の秋や雪に包まれる冬など、四季折々の姿を見せてくれます。撮影ポイントとしても有名で、只見線を象徴するスポットです。ここから、只見線は只見駅までの間に8回、厳密に言えば7回、只見川を渡ります。
会津宮下駅からはいよいよ線路に水面が近づきます。会津中川駅の先で、車窓右手に人造湖の湖面が近づき、上井草橋をくぐると会津川口駅に到着。
ここからが、2022年に運行を再開した区間です。
会津宮下~会津川口間は1956(昭和31)年に開業した区間ですが、実はこの時、その先只見駅付近までの区間も建設されていました。
会津川口~只見間は、当時建設が進められていた田子倉ダムへ資材を輸送する貨物専用線として使用されたのです。
田子倉ダムは、現在日本で3番目の総貯水容量を誇る発電用ダムで1959(昭和34)年に完成。専用線としての役割を終えた会津川口~只見間は、1963(昭和38)年8月20日に旅客線として開業しました。
会津川口~只見間には、3つの「只見川橋りょう」があります。
本名駅の先で渡る第六只見川橋りょうは、正面に本名ダムがそびえる珍しいロケーション。そして注目は、会津塩沢~会津蒲生間にある第八只見川橋りょうです。青いトラスが美しいこの橋は、只見川の対岸に渡らない「渡らずの橋」。高さ100mあまりの断崖絶壁が川にせり出しているため、川縁を鉄橋で通過しているのです。
第八只見川橋りょうを渡ると、只見川ともそろそろお別れです。内陸に入って民家が増え、只見駅に到着します。
分水嶺の六十里越トンネルを経て魚沼盆地へ
只見駅では、すべての列車が10~30分程度停車します。この時立ち寄りたいのが、駅前の只見町インフォメーションセンター。売店を兼ねており、名物の「味付きマトンケバブ」や「大きな辛みそおにぎり」も購入できます。
只見〜大白川間は、「六十里越え」と呼ばれる福島・新潟県境の秘境区間です。集落がほぼない豪雪地帯で、並行する国道252号は冬になると全面通行止めとなるのです。3,712mの田子倉トンネルを抜けると左手に田子倉湖が見え、スノーシェッドへ。右手に現れるホームのような施設は、2013(平成25)年に廃止された田子倉駅の跡。スノーシェッドを抜けると、右手の奥に標高1,585mの浅草岳も見えます。次に入るトンネルが、全長6,359mの六十里越トンネルです。
新潟県に入り、トンネルを抜けた列車は末沢川に沿って走ります。分水嶺を越えたので、川の流れる方向が只見川とは反対になりました。このあたりは狭い谷で、まだまだ沿線に民家はほとんどありません。田畑や民家が増えてくるのは、入広瀬駅付近から。末沢川と合流した破間川沿いに、地形に逆らわずに進みます。徐々に左右の谷が広がって水田が増え、米処の魚沼盆地へ。左に大きくカーブしながら魚野川を渡ると、右から上越線が合流して終着・小出駅に到着です。
奇跡の復活を果たした只見線ですが、このように沿線は人口希少地域が多く、今後も決して安泰ではありません。四季折々に日本らしい美しい姿を見せてくれる只見線を、ぜひ訪れてみてください。
只見線(JR東日本) データ
起点 : 会津若松駅
終点 : 小出駅
駅数 : 36駅
路線距離 : 135.2km
開業 : 会津若松駅を起点とした「会津線」は1926年10月15日開業。小出駅を起点とした「只見線」は1942年11月1日開業。
全通 : 延伸開業し1971年8月29日に全通。会津若松~只見駅間を会津線から分離し、只見線に統合した。
使用車両 : キハE120形、キハ110系
著者紹介
- ※写真/栗原景、交通新聞クリエイト
- ※掲載されているデータは2023年8月現在のものです。変更となる場合がありますので、お出かけの際には事前にご確認ください。