存亡の危機を乗り越えたローカル線・予土線(JR四国)
日本全国津々浦々をつなぐ鉄道路線。
そんな日本の鉄道路線は、150年以上の歴史を持ちます。
日常の一部でもある鉄道路線は地域と密接に関わり、さまざまな歴史とともに走ってきました。
通勤・通学で使用するなじみのある路線にも、思いがけない歴史があるかもしれません。
旅の目的地へ連れて行ってくれる路線には、見逃せない車窓が待っています。
さあ、鉄道路線の歴史の風を感じてみませんか?
今回は個性あふれる列車に乗って四万十川の絶景を楽しめる路線、予土線をご紹介します。
予土線の歴史
社会情勢に振り回された悲願のローカル線
江川崎駅に停車するキハ01形(1962年2月撮影)
JR四国の予土線は、その名の通り、「伊"予"」と「"土"佐」を結ぶ全長76.3kmの路線です。
正式には、高知県の若井駅を起点、愛媛県の北宇和島駅を終点としますが、実際には両端で一駅ずつ他路線に乗り入れて、窪川駅と宇和島駅を結んでいます。高知県側では「最後の清流」とも言われる四万十川に、愛媛県側ではその支流である広見川に沿って走り、「しまんとグリーンライン」の愛称もあります。
かつて予土線を走っていたカワウソ特急「I LOVE しまんと」(1997年7月撮影)
予土線のルーツは古く、その歴史は1914(大正3)年に宇和島駅〜近永駅間に開業した宇和島鉄道に始まります。この鉄道は、当時全国で建設ブームが起きていた軽便鉄道として建設され、軌間(線路幅)は現在の在来線よりも狭い762mmの特殊狭軌。予讃線はまだ開業しておらず、愛媛県西部で初めて開業した鉄道でした。
1923(大正12)年12月に近永駅〜吉野(現・吉野生)駅間が開業。1933(昭和8)年8月に国有化されて宇和島線となります。1941(昭和16)年に、現在の狭軌(軌間1067mm)に改軌され、太平洋戦争末期の1945(昭和20)年6月には予讃線の全通に伴い宇和島駅〜北宇和島駅間が予讃線に編入。戦後の1953(昭和28)年3月には、県境を越えて江川崎駅まで延伸しました。
その後、江川崎〜若井〜窪川間は「国鉄窪江線」として計画され、1959(昭和34)年に着工しますが、開業までには実に15年を要しました。着工直後に、後に中止となる四万十川のダム建設計画によって約3年間工事がストップしたうえ、昭和40年代に入ると国鉄の財政悪化によって宇和島線自体が「赤字83線」として廃止対象となってしまうのです。
一時は存亡の危機に陥った宇和島・窪江線でしたが、1972(昭和47)年に田中角栄内閣が発足すると地方鉄道の建設が推進され、1974(昭和49)年3月1日に江川崎駅〜若井駅間が開業。先に国鉄中村線(現・土佐くろしお鉄道)として開業していた若井駅〜窪川駅間と合わせ、宇和島駅〜窪川駅間が全通して「予土線」と改称されました。宇和島鉄道の開業から実に60年。沿線の人々にとって、悲願の全通でした。
予土線の車両
個性豊かな「Yodosen Fun Fun Trains」
キハ54形(2025年2月 栗原景撮影)
予土線はすべての列車が普通列車で運行されています。車両は、キハ32形とキハ54形の2種類。どちらも国鉄末期に登場した気動車で、JR四国をはじめとする本州以外の旅客鉄道会社が安定して運営できるよう開発されました。キハ32形は全長約16mの普通鋼製車で、250PSのエンジンを1基搭載。キハ54形は全長約20mの軽量ステンレス車で、250PSのエンジンを2基搭載しています。客室はいずれもオールロングシートで、トイレはありません。
江川崎駅に停車するしまんトロッコ(2017年10月 栗原景撮影)
鉄道ホビートレイン(2025年2月 栗原景撮影)
予土線と言えば見逃せないのが、「Yodosen Fun Fun Trains」と呼ばれる個性豊かな車両たちです。その長男的存在が、「しまんトロッコ」。貨車を改造した山吹色のトロッコで、毎年春から秋にかけての週末を中心に、同じカラーの気動車とともに宇和島駅〜窪川駅間で運行されます。四万十川に最も近づく土佐大正駅または土佐昭和駅〜江川崎駅間では普段より速度を落として走行し、トロッコに乗車して緑豊かな四万十川の景色を満喫できます(それ以外の区間は併結の気動車に乗車)。なお、トロッコの乗車には乗車券のほか座席指定券530円(子ども260円)が必要です。
「海洋堂ホビートレイン“かっぱうようよ号”」は、沿線にミュージアムがある模型メーカー、海洋堂とタイアップした車両。清らかな川を楽しむかっぱたちをイメージした外観で、車内には一緒に写真を撮れるかっぱの人形や、数々のフィギュアが展示されています。
レールファンなら見逃せないのが、「鉄道ホビートレイン」です。1両で走る気動車なのに、デザインは初代東海道新幹線0系にそっくり。車内には本物の0系の座席や鉄道模型が展示されており、料金表には予土線の駅と並んで東海道新幹線の駅まで(⁉)表示されています。
さらに、全国で唯一市町村名に「鬼」の文字が入る愛媛県鬼北(きほく)町のシンボルである、「鬼王丸」をデザインした「鬼列車」、南予地方のみかん畑をイメージした「おさんぽなんよ号」、そして四万十地域に生息する多様な生きものたちを、JR四国のマスコットキャラクターである「すまいるえきちゃん」とともにデザインした「しまんと開運汽車 すまいるえきちゃん号」も人気です。これらの列車の運行予定は、JR四国のウェブサイトに掲載されています。
予土線の見どころ
軽便鉄道の名残を留める 北宇和島駅〜吉野生駅間
吉野生駅(2014年8月 栗原景撮影)
予土線の旅を始めるにあたって、大事なことがあります。それは、乗車前にお手洗いへ行っておくこと。予土線の列車はすべてトイレがついていません。江川崎駅か土佐大正駅で長時間停車する列車が多いですが、それでも始発駅から1時間はかかります。特に宇和島駅を午後発車する窪川行きと、宇和島発の「しまんトロッコ」は途中駅での長時間停車がないので注意が必要です。また、「しまんトロッコ」と「鉄道ホビートレイン」以外は全席ロングシート。観光客が多いので、車内である程度の飲食はできますが、お手洗いの問題も含め、食べ過ぎ・飲み過ぎには注意してください。
さて、予土線の全線を走破する列車は、1日3往復しかありません。宇和島駅を9時台に発車する列車か、窪川駅を9時台・13時台に発車する列車が利用しやすいでしょう。正式な起点は高知県側の若井駅ですが、今回は宇和島駅から乗車します。
予土線は、一駅先の北宇和島駅から。予讃線と分岐するとすぐに光満川沿いの急峻なのぼり勾配となり、半径200m前後の急曲線が連続します。宇和島駅〜吉野生駅間は大正時代に軽便鉄道として建設されたルートがそのまま使われており、地形を忠実に辿りながら峠を越えていくのです。特に、次の務田駅までは勾配も曲線も次々に変わる険しい道。エンジンを唸らせ、レールを軋ませながら30km/h台でジリジリとのぼっていきます。
6.3kmを13分かけて走り、小さなトンネルを抜けると務田駅に到着します。標高は約150mで、実はここが分水嶺。先ほどの光満川は宇和島から豊後水道に注ぎますが、ここから近づいて来る三間川は列車と同じ方角に流れて広見川、そして四万十川に合流して太平洋に注ぐのです。列車はしばらく、三間川の狭い盆地を走ります。急勾配こそありませんが、レールは左右に蛇行しスピードは50km/h前後しか出せません。
葛川沈下橋(2025年2月 栗原景撮影)
近永駅あたりまでは家並みが続きますが、出目駅を過ぎると車窓左手に広見川が現れ、ぐっとローカル線らしい雰囲気となります。宇和島鉄道時代の終着駅である吉野生駅を過ぎ、真土駅を発車すると民家がほとんど見えなくなって、広見川のV字谷へ。やがて見えてくる欄干のない細い橋は葛川沈下橋です。四万十川水系には、高知県内を中心に増水時には水没する昔ながらの沈下橋が数多くありますが、ここは愛媛県側にある数少ない沈下橋です。葛川沈下橋の先が県境で、列車は高知県に入ります。西ケ方駅を過ぎると、小さな集落に入って江川崎駅に到着。広見川と四万十川の合流点に位置する小さな町で、宇和島線時代の終着駅でした。
四万十川の清流をたっぷり楽しむ 江川崎駅〜土佐大正駅間
江川崎駅からは、1974(昭和49)年に開業した区間です。急勾配や急曲線がほとんどなくなり、列車の速度も70km/h前後までスピードアップ。「しまんトロッコ」も、ここからトロッコ乗車区間となります。発車してすぐに広見川を渡り、トンネルを通過すると、車窓右手に四万十川が現れました。流域に大規模なダムや工場がほとんどなく、自然のままの姿をよく留めていることから「最後の清流」とも呼ばれています。窪川方面行きの列車は、四万十川の上流に向かって遡る形で進み、最初は広かった川幅も徐々に狭くなって峡谷へ。次の半家駅付近から四万十川は激しく蛇行を始めますが、予土線はトンネルと橋梁で川を串刺しにするように進みます。予土線が四万十川を渡る回数は実に7回。左右どちらの席からでも、美しい峡谷と清流を楽しめます。
第一三島沈下橋(2025年2 月 栗原景撮影)
昭和初期に、昭和天皇の即位を記念して「昭和」を地名にした土佐昭和駅を発車するとまもなく渡るのが第4四万十川橋梁。すぐ左下に第一三島沈下橋が見えます。トンネルと橋梁が交互に現れ、突然町が現れると土佐大正駅に到着です。こちらも、大正時代に地名を「大正」とした町で、駅周辺には飲食店やカフェもあります。時間が許せば、途中下車を楽しむのも良いでしょう。「しまんトロッコ」のトロッコ乗車はここまでですが、四万十川の美しい車窓はまだまだ続きます。
ダム建設の中止によって残った里山風景 土佐大正駅〜若井駅間
土佐大正駅からは左手に四万十川を見ながら進みます。実は土佐大正駅〜川奥信号場間は、一度はダムの底に沈むはずだった区間です。1950年代、窪江線(予土線)の建設が決まるのとほぼ同時期に、四万十川に大規模なダム建設の計画が立てられました。このあたりは標高150m前後に位置しており、ここに水を貯めて約10km南の太平洋に流せば、大規模な水力発電ができると考えられたのです。すでに窪江線は着工していましたが、1960(昭和35)年に工事を中断。ルートを変更することで一度は合意しました。ところが、この頃から日本は高度経済成長期に入って建設費が高騰。技術発達と燃料価格の下落によって火力発電の方が効率的となり、四万十川のダム建設は一転して中止となるのです。窪江線の建設も1963(昭和38)年から再開されました。もしダムが建設されていれば、土佐大正駅〜川奥信号場間はトンネルが連続し、四万十川の風景も大きく変わっていたことでしょう。
土佐大正駅(2025年2月 栗原景撮影)
家地川駅を発車すると長いトンネルを通過し、左から土佐くろしお鉄道のレールが合流すると川奥信号場。土佐くろしお鉄道はループ線になっており、車窓右手の眼下には、中村・宿毛方面へ向かうレールがちらりと見えます。信号場から再び長いトンネルを通過すると若井駅で、予土線はここまで。次の窪川駅までは、土佐くろしお鉄道に一駅だけ乗り入れます。青春18きっぷなどで乗車する場合は、この1駅のみ別払いとなるので注意しましょう。
左手から名残を惜しむように四万十川が近づき、市街地に入って終着・窪川駅に到着します。四万十町の中心に位置し、駅舎内や駅周辺には飲食店もたくさんあります。「しまんトロッコ」は、高知行きの観光特急「志国土佐 時代(とき)の夜明けのものがたり」に接続しています。
自然豊かな清流の眺めをたっぷり楽しめる予土線は、魅力的な路線が多い四国でもとびきりのどかなローカル線です。日本らしい景色を見たくなったら、ぜひ訪れてみてください。
予土線(JR四国) データ
起点 : 若井駅
終点 : 北宇和島駅
駅数 : 20駅
路線距離 : 76.3km
開業 : 1914(大正3)年10月18日
全通 : 1974(昭和49)年3月1日
使用車両 : キハ32形、キハ54形、コトラ152462
著者紹介
- ※写真/栗原 景、交通新聞クリエイト
- ※掲載されているデータは2025年3月現在のものです。変更となる場合がありますので、お出かけの際には事前にご確認ください。