トレたび JRグループ協力

2024.09.11鉄道水郡線(JR東日本)四季折々の景観が彩りを添える「奥久慈清流ライン」

きらめく清流と、のどかな里山風景が続く路線・水郡線(JR東日本)

日本全国津々浦々をつなぐ鉄道路線。
そんな日本の鉄道路線は、150年以上の歴史を持ちます。

日常の一部でもある鉄道路線は地域と密接に関わり、さまざまな歴史とともに走ってきました。
通勤・通学で使用するなじみのある路線にも、思いがけない歴史があるかもしれません。
旅の目的地へ連れて行ってくれる路線には、見逃せない車窓が待っています。
さあ、鉄道路線の歴史の風を感じてみませんか?

今回は、久慈川をはじめとする清流と、日本の里山らしい風景をたっぷり楽しめる水郡線をご紹介します。

水郡線の歴史

現在の支線が先に建設された歴史ある路線


第5久慈川橋梁付近。風光明媚な景観が続く(1970年8月撮影)

春は桜、夏はきらめく久慈川の清流、秋は紅葉、冬は雪景色と、四季折々に日本の里山風景を見せてくれるローカル線が、JR東日本の水郡線です。茨城県の水戸駅から福島県の安積永盛駅までを結ぶ137.5kmと、上菅谷駅から分岐して常陸太田駅までを結ぶ9.5kmの支線(通称太田支線)からなる路線で、久慈川をはじめとする清流と里山の景色を楽しめることから、「奥久慈清流ライン」の愛称があります。終着は安積永盛駅ですが、列車はすべて隣の郡山駅に直通するので、実質は水戸と郡山を結ぶ路線と言えます。

水郡線の歴史は古く、1897(明治30)年に水戸〜久慈川(現在は廃止)駅間が開業した太田鉄道がルーツです。1899(明治32)年に太田(現常陸太田)へ延伸。つまり、水郡線は太田支線が先に建設されたのです。その後、経営不振となった太田鉄道を引き継いだ水戸鉄道(常磐線の一部や水戸線を建設した水戸鉄道とは別の会社)は、1918(大正7)年に上菅谷駅から分岐して常陸大宮駅までを延伸。常陸大宮駅から先は鉄道省が「大郡(だいぐん)線」として建設し、常陸大子駅まで開業した直後の1927年12月に水戸鉄道を国有化して「水郡線」に改称されます。

その後、郡山駅より南へ伸びる路線を「水郡北線」、開業済みの水郡線を含めた常陸大子側の路線を「水郡南線」として双方から建設が進められ、1934年12月4日に磐城棚倉〜川東駅間が開業して全通を果たしました。

戦後の水郡線は、最盛期には〔奥久慈〕〔久慈川〕〔スカイライン〕と、1日3往復もの急行列車が運行されました。そのエース的存在が上野〜常陸太田・磐城石川駅間の急行〔奥久慈〕で、上野〜水戸駅間では常磐線の急行〔ときわ〕と併結。〔久慈川〕は上野〜福島駅間を水郡線経由で直通し、なぜか水郡線とは無関係な有料道路「磐梯吾妻スカイライン」から名づけられた〔スカイライン〕は水戸〜福島駅間を早朝と夜に結びました。もっとも、水郡線沿線には大きな町や産業が少なく、急行3往復体制は1964年5月から1968年9月までのわずか4年あまりで終了します。最後まで残ったのは〔奥久慈〕で、1983年6月に水郡線内が普通列車に格下げされた後も、愛称を維持したまま1985年3月まで運行されています。

その後の水郡線は全列車普通列車となり、水戸や郡山地域への通勤・通学路線として、そして袋田・常陸大子の奥久慈温泉郷へのアクセス路線として走り続けています。2019年10月には台風19号の影響により西金〜常陸大子駅間が長期にわたって不通となりましたが、2021年3月27日に全線で運行を再開しました。

水郡線の車両

通勤・通学輸送に対応した3扉のキハE130系が活躍

2024年現在、水郡線ではすべての列車がキハE130系で運行されています。2006年に登場した、片側に3つの扉を備えた気動車です。水郡線では、1990年代から片開き2扉のキハ110形が使用されていましたが、特に水戸側では朝夕の通勤時間帯の利用者が多く、2扉では乗降に時間を要して遅延しがちという課題がありました。そこで、すばやく開閉可能な両開き扉を1両に3カ所設けたキハE130系が集中投入され、大勢の乗客がスムーズに乗り降りできるようにして、通勤・通学輸送の改善が図られたのです。キハE130系に役割を譲ったキハ110形は、東北地方や新潟地区の路線に転出し、老朽化した国鉄型車両を置き換えることになりました。


形式がひと目でわかる特徴的なカラーリングのキハE130系4両編成(2020年2月撮影)

水郡線のキハE130系には、両運転台で1両での運行が可能なキハE130形と、片運転台で2両ごとの運行となるキハE131形(トイレ付き)・キハE132形(トイレ無し)があります。
車両によって車体カラーが異なることが特徴で、キハE130形は「秋の紅葉と久慈川の流れ」、キハE131形+キハE132形は「新緑の緑と久慈川の流れ」がコンセプト。注意喚起の黄色と久慈川を表すブルーを共通色とし、窓の上下にキハE130形は紅葉を表す朱色、キハE131形+キハE132形は新緑をイメージしたモスグリーンを配しています。


Suigun Line イエローハッピートレイン(2024年7月 矢祭山駅にて栗原景撮影)

また、キハE130-7は、水郡線全線復旧1周年を記念して全39両中1両だけ黄色1色にラッピングされた「Suigun Line イエローハッピートレイン」。39分の1の確率で「乗れたらラッキー」とも言われています。

車体構造は、中央・総武線各駅停車や上野東京ラインなどで活躍している電車をベースとしています。JR東日本の気動車としては初となるステンレス車体で、車体幅も従来のキハ110形より広い2900mmの拡幅車体で、客室を広くとっています。
客席は、向かい合わせのクロスシートとロングシートを組み合わせたセミクロスシート。クロスシートは2人ずつ向かい合う4人掛けと1人ずつの2人掛けがある2+1配列です。窓は紫外線や熱を通しにくい強化ガラスで、クロスシート部は上半分を開けられる構造となっているので、季節によっては沿線の風を感じながら旅を楽しむこともできます。

水郡線の見どころ

常陸台地の地形がよくわかる太田支線

水郡線の起点は、茨城県の県庁所在地がある水戸駅です。発車するとすぐに左にカーブして高架線に入り、那珂川を渡ってまっすぐ北上。しばらくは関東平野北部の常陸台地を進み、次の常陸青柳駅付近からは早くも左右に田園風景が広がります。
上菅谷駅は、太田支線の分岐駅です。太田支線の列車は、朝夕は4両編成が大勢の通勤通学客を乗せて水戸駅まで直通しますが、日中は上菅谷〜常陸太田駅間を2両編成が往復しています。水郡線の歴史を感じるのが太田支線の分岐で、支線である常陸太田行きの方が直進し、安積永盛方面行きは左へ分岐します。


常陸太田行き(左)と常陸大子方面行き(右)が接続する上菅谷駅(2024年7月 栗原景撮影)

常陸太田行きの列車は、しばらく田園風景の中を走りますが、額田駅から河岸段丘の縁を走り、久慈川を渡ります。河口まで約10km、緩やかに流れる姿が印象的です。終着の常陸太田は戦国時代には城下町、江戸時代から明治にかけては棚倉街道の商業都市として栄えた町。2005年までは、棚倉街道を挟んだ東側から、日立電鉄の電車が発着していました。

何度も久慈川を渡る「奥久慈清流ライン」

上菅谷駅から、安積永盛方面へ向かいます。座席は、どちらかというと右側がよいでしょう。朝夕に通勤客で混雑するのは、折り返し列車も設定されている常陸大宮駅あたりまで。関東平野を離れ、徐々に阿武隈山地の懐に入って行きます。ローカル線の旅らしい車窓風景が始まるのは、野上原駅あたりからです。右手に久慈川が近づき、ここから磐城棚倉駅付近まで、約60kmにわたって久慈川沿いをひたすら北上します。


ローカル線ならではの風景が旅情を誘う(2020年2月 玉川村~野上原駅間撮影)

中舟生駅の先で久慈川が一層近づき、下小川〜西金駅間の第1久慈川橋梁で初めて渡ります。水郡線が久慈川を渡る回数は、実に11回。このうち過半数の6回が、下小川〜常陸大子駅間の4駅14.9kmに集中しています。この辺りは水量豊かな山間の清流で、太田支線で渡った久慈川とはだいぶ印象が違います。


豊かな水量の久慈川を幾たびも渡る(2012年12月 上小川~袋田駅間撮影)


冬季には荘厳な氷瀑を見ることができる

次の西金(さいがね)は、良質な砕石の産地です。線路のバラストに最適な硬質砂岩で、西金駅からは「西金工臨」と呼ばれる砕石輸送列車が不定期で運行されています。袋田駅は、日本三名瀑のひとつに数えられる「袋田の滝」の最寄り駅。駅から3kmほど離れており、列車に接続してバスが1日4本ほど運行されています。

袋田駅を発車してすぐ渡る、第6久慈川橋梁は、2019年の台風の影響で大きな被害を受けた橋梁です。以前は、昔ながらのガーダー橋(桁橋)でしたが、現在は約1.5m嵩上げした上で強度の高いトラス橋に生まれ変わりました。

常陸大子駅は、水郡線の運行上の拠点となる駅で、車両基地(水郡線統括センター)を併設しています。昭和初期に竣工した駅舎は、2016年に大幅なリニューアルを行い、大子の古い町並みに似合うレトロな装い。駅前には1970年まで水郡線で活躍した蒸気機関車C12形187号機が保存されています。奥久慈温泉郷の玄関口でもあり、徒歩10分の「道の駅奥久慈だいご」では日帰り温泉も営業しています。

のどかな風景の中に秘湯が点在する福島県側

列車は、茨城・福島県境へ向かいます。福島県に入って最初に停車する矢祭山駅は、桜やツツジ、そして紅葉の名所として知られる矢祭山公園の最寄り駅。駅の向かいに見える鮮やかな赤い吊橋は「あゆのつり橋」で、久慈川の流れをたっぷり楽しめます。この辺りの久慈川は、絶壁がそそり立つ渓谷となっていて、列車からの眺めもばつぐん。水郡線のハイライトと言える区間です。


燃えるような美しい紅葉と橋梁を渡る水郡線


早咲きのエドヒガンザクラが春の訪れを告げる

東館駅からは狭い盆地に出て、直線区間が増えます。磐城石井〜磐城塙駅間で右手に見える「戸津辺の桜」は、樹齢600年のエドヒガンザクラ。次の磐城塙駅は、秘湯・湯岐温泉の玄関口です。この辺りは、長時間のどかな景色が続く区間なので、時間が許せば途中下車や宿泊をしてみるのもおすすめです。

さて、近津〜中豊駅間で第11久慈川橋梁を渡ると、1時間あまりにわたって付き合ってきた久慈川ともついにお別れ。戦時中の1944年まで国鉄白棚線が分岐していた磐城棚倉駅を過ぎると、25‰の急勾配が現れます。この勾配を登り切り、田園地帯に出て下り坂になったところが、久慈川水系と阿武隈水系の分水嶺。まもなく渡る社川は、久慈川とは反対の郡山方面に流れています。

猫啼温泉がある磐城石川駅を過ぎると、野木沢駅付近から左手に阿武隈川が近づきますが、車窓からはなかなか見えません。川辺沖、泉郷、川東と、阿武隈川の存在を思わせる駅名が続き、また小さな峠を越えると長かった旅も終盤。磐城守山駅を発車してようやく阿武隈川を渡ると、右にカーブして東北新幹線の高架線が現れ、終着・安積永盛駅に到着。列車はそのまま次の郡山駅まで走ります。

水郡線は、日本の里山らしい風景をたっぷり楽しめる路線ですが、全線を乗り通すと3時間以上かかります。できればいくつかの駅で途中下車をしたり、秘湯に宿泊したりすると、より充実した旅になるでしょう。


水郡線(JR東日本) データ

起点   : 水戸駅
終点   : 安積永盛駅、常陸太田駅(太田支線)
駅数   : 45駅
路線距離 : 本線:137.5km、太田支線:9.5km
開業   : 1897(明治30)年11月16日
全通   : 1934(昭和9)年12月4日
使用車両 : キハE130系


著者紹介

栗原 景(くりはら かげり)

1971年、東京生まれ。鉄道と旅、韓国を主なテーマとするジャーナリスト。出版社勤務を経て2001年からフリー。
小学3年生の頃から各地の鉄道を一人で乗り歩き、国鉄時代を直接知る最後の世代。
東海道新幹線の車窓を中心に、新幹線の観察と研究を10年以上続けている。

主な著書に「廃線跡巡りのすすめ」、「アニメと鉄道ビジネス」(ともに交通新聞社新書)、「鉄道へぇ~事典」(交通新聞社)、「国鉄時代の貨物列車を知ろう」(実業之日本社)ほか。

  • 写真/一般社団法人 東北観光推進機構、観光いばらき フォトライブラリー、交通新聞クリエイト、栗原景
  • 掲載されているデータは2024年8月現在のものです。変更となる場合がありますので、お出かけの際には事前にご確認ください。
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