路線距離約500㎞、九州4県にまたがる長大路線・日豊本線(JR九州)
日本全国津々浦々をつなぐ鉄道路線。
そんな日本の鉄道路線は、150年以上の歴史を持ちます。
日常の一部でもある鉄道路線は地域と密接に関わり、さまざまな歴史とともに走ってきました。
通勤・通学で使用するなじみのある路線にも、思いがけない歴史があるかもしれません。
旅の目的地へ連れて行ってくれる路線には、見逃せない車窓が待っています。
さあ、鉄道路線の歴史の風を感じてみませんか?
今回は九州4県にまたがる長大路線かつ、JR九州の人気特急列車を何本もかかえる日豊本線をご紹介します。
日豊本線の歴史
当初は現在の吉都線を経て吉松駅が終着だった
別府駅にて蒸気機関車C57‐115 入線試験の様子(1965年8月撮影)
九州の東側を南北に縦貫し、北九州と鹿児島を結ぶ長大路線が、JR九州の日豊本線です。
小倉〜鹿児島駅間の462.6kmを結び、優等列車は前後で鹿児島本線に乗り入れて博多、別府、大分、延岡、宮崎といった主要都市を接続しています。小倉周辺のような大都市近郊の通勤路線区間もあれば、重岡〜延岡駅間のように普通列車が1日1往復しか設定されていない閑散区間もあり、さまざまな表情を持っています。
別府湾を試運転で走る475形(1967年8月撮影)
九州4県にまたがり、500km近くにおよぶ長大路線であるだけに、全通までの歴史は少々複雑です。
日豊本線で最初に開通した区間は、1895(明治28)年4月1日に九州鉄道(JR九州とは別)によって開業した小倉〜行事(現在の行橋駅付近)駅間です。同年、豊州鉄道が行橋〜伊田駅間(現在の平成筑豊鉄道田川線にあたる鉄道)を開業させると、小倉〜行橋駅間は筑豊炭田から門司港への石炭輸送を担うようになりました。
行橋〜長洲(現・柳ケ浦)駅間も建設した豊州鉄道でしたが、1901(明治34)年に九州鉄道と合併、さらに日露戦争後の1907(明治40)年に国有化されて「豊州本線」となります。国は路線の延伸を進め、1911(明治44)年11月1日に大分駅まで全通。その後も佐伯・延岡方面への延伸工事を進めます。
一方、現在の肥薩線吉松駅からは、大正時代に入って「宮崎線」の建設が始まりました。現在の吉都線から都城を経て、宮崎まで鉄道が全通したのは1916(大正5)年10月25日。7年後の1923(大正12)年12月15日に、「宗太郎越え」と呼ばれる難所の重岡〜市棚駅間が開業し、小倉〜吉松駅間が「日豊本線」となりました。当時は、今の肥薩線が「鹿児島本線」であり、小倉から大分・宮崎を経て鹿児島までの鉄道が全通したのです。
昭和に入ると、都城〜国分(初代/現・隼人)駅間を短絡する鉄道の建設が始まり、1932(昭和7)年12月6日大隅大川原〜霧島神宮駅間が開業して全通。都城〜鹿児島駅間が日豊本線に編入、都城~吉松駅間が吉都線となって、現在の日豊本線が完成しました。
日豊本線の車両
JR九州の人気特急電車が集結
沿線人口も輸送量もさまざまな区間がある路線であるだけに、さまざまな車両が現役で使われています。
特急形車両は、787系・883系・885系の3形式。中でもエース的存在なのが、博多〜大分駅間の特急〔ソニック〕に使用されている883系です。JR九州初の振子式特急形電車として1994年に「ワンダーランドエクスプレス」の愛称で登場。リニューアルを経てデビューから30年を経た今もトップクラスの性能と居住性を備えています。ネズミのキャラクターを思わせるヘッドレストを備えたリクライニングシートは、家族連れにも大人気です。
長崎本線の特急〔かもめ〕用として登場した885系も、〔ソニック〕に充当されて「白いソニック」として活躍しています。2000年にデビューした時には、普通車まで全席本革シートという豪華さが評判となりました。現在は、人間工学に基づいた座り心地のよい布張りシートへ換装が進んでいます。
日豊本線のエース 883系(2008年7月 撮影)
「白いソニック」 885系(2010年5月 撮影)
博多〜宮崎空港駅間〔にちりんシーガイア〕、大分〜宮崎空港駅間〔にちりん〕、延岡〜宮崎空港駅間〔ひゅうが〕、宮崎〜鹿児島中央駅間〔きりしま〕といった特急には、かつて鹿児島本線の〔つばめ〕として活躍した787系が使用されています。1992年のデビューからすでに33年が経過していますが、その豪華さと居住性の高さは今も変わりません。〔にちりんシーガイア〕と一部の〔にちりん〕には、通常のグリーン車よりも広々とした3列シートの「DXグリーン席」と、3人以上で利用できる4人用ボックスシート(準個室)を装備。〔ひゅうが〕の一部にも「DXグリーン席」があります。
在来線昼行特急の最長距離ランナー
日豊本線の特急の中でも注目したいのが、博多〜宮崎空港駅間411.5kmを走破する〔にちりんシーガイア〕です。在来線昼行特急として最長距離ランナーで、下り5号は5時間48分、上り14号は5時間49分をかけて走破します。車内販売はないので、食料をしっかり確保して、DXグリーン席やボックスシートでゆったりとした列車旅を過ごすのがおすすめです。
また、日豊本線には週1回、D&Sトレイン(観光列車)の特急の〔36ぷらす3〕も運行されています。787系をリニューアルした「黒い787」で、毎週5日間かけて九州を一周する観光列車。日豊本線は原則として毎週金曜に鹿児島中央→宮崎駅間、土曜に宮崎空港→別府駅間、日曜に大分→博多駅間で運行しています。2〜4人用の個室や座席と食事がセットになったランチプランのほか、乗車券と特急券・グリーン券のみで乗車できるグリーン席プランがあり、気軽にぜいたくな列車旅を楽しめます。
日豊本線に乗り入れる〔海幸山幸〕(2009年11月 撮影)
このほか、別府〜大分駅間にはキハ185系の〔九州横断特急〕(熊本〜別府/3月改正から別府発のみ)と〔ゆふ〕(博多〜別府)、キハ71系の観光特急〔ゆふいんの森〕が、宮崎〜南宮崎駅間には日南線のキハ125形観光特急〔海幸山幸〕(宮崎〜南郷)が乗り入れています。
国鉄型電車も現役で活躍
普通列車も多彩です。沿線に比較的市街地が多い北部の主力は、1993年登場の813系。省エネルギー性能に優れたGTO素子によるVVVFインバータ制御をJR九州として初めて採用した車両で、座席は転換クロスシート。小倉〜大分〜佐伯駅間で運用されています。
朝夕の時間帯には、JR九州初の新型通勤電車として1989年に導入された811系も小倉〜中津駅間で運用されています。2025年2月現在、順次リニューアルが行なわれており、機器類の更新とオールロングシート化が進められています。
大神~杵築駅間を走る815系(2010年5月 撮影)
大分地区の主力は、2両編成の815系です。ワンマン運転にも対応したロングシート車で、中津〜重岡駅間で運用されています。また、延岡〜鹿児島駅間では815系をベースに落ち着いたモノトーンのデザインを施した817系が使用されています。こちらは木の質感を生かしたクロスシート車として登場しましたが、現在はロングシート化の改造が進んでいます。
日豊本線では、今や貴重になった国鉄型の車両も現役です。415系1500番代は、JR発足直前の1986(昭和61)年に登場したステンレス車体の電車で、4両編成が小倉〜大分駅間で使用されているほか、関門海峡をくぐって下関まで乗り入れています。
そして、日豊本線の最古参が、1983(昭和58)年に製造された713系です。当時の九州では、電化区間であっても客車や気動車で運行されている例が多かったことから開発された、九州専用の電車です。しかし国鉄の財政が危機的状況に陥ったことから、2両編成4本しか製造されませんでした。現在は、「太陽と海と緑」を表現した赤ベースの塗装で「サンシャイン電車」と呼ばれ、宮崎空港線への直通列車を中心に延岡〜南宮崎駅間で使用されています。このほか、小倉〜城野駅間、宮崎〜西都城駅間、国分〜鹿児島駅間では国鉄形気動車のキハ40系(キハ40形・キハ47形・キハ140形・キハ147形)も現役です。
ステンレス車体の415系1500番代(写真=栗原 景)
日豊本線の見どころ
家並みが途切れない都市路線の小倉〜大分駅間
小倉駅から、日豊本線の旅に出発します。車窓は、どちらかといえば鹿児島に向かって左側がよさそうです。小倉〜行橋駅間は北九州市や行橋市の市街地を走る通勤路線。車窓にはビルや住宅街がしばらく続きます。西小倉駅で鹿児島本線と別れた列車は、右手にJR九州小倉工場を見て進路を南に取ります。
田園風景が増えてくるのは、南行橋駅を発車したあたりから。豊前松江駅で、左手に周防灘が姿を現します。
中津、東中津、今津、天津と、港を表す「津」のつく駅を通過し、宇佐駅から向野川沿いの谷に入って、国東半島の横断へ。西屋敷駅の先で上り線が右へ分岐し、3640mの新立石トンネルで立石峠を越えます。ここは、1967(昭和42)年の複線電化に際し建設された新線で、向野川とともに蛇行する上り線が明治以来の旧線。上り線の立石トンネルは、わずか310mしかありません。
日出駅からは別府湾沿いを走ります。高架線に上がって、温泉地の別府駅に到着。大分駅もすぐです。
1日1本しか普通列車がない「宗太郎越え」
大分駅からは、終着・鹿児島駅まで単線となり、ローカルムードが強くなります。大分駅を発車して次の牧駅から鶴崎駅までの5kmほどは、左手に日本製鉄など大分臨海工業地帯の工場群が見えます。
幸崎駅から内陸に入って、佐賀関半島を横断すると臼杵駅。長目半島を越えて津久見駅の前後では、山側に大きく切り取られた石灰鉱山が目に入ります。ここ津久見は、石灰石の生産量が日本一の町。ミカンの産地でもあり、周辺の山にはミカン畑も目につきます。
浅海井駅最寄りの豊後二見ヶ浦
いくつもの半島が豊後水道に突き出た典型的なリアス式海岸をトンネルで串刺しにするように越え、佐伯駅からはまた内陸へ。ここから延岡駅までは、沿線にほとんど集落のない「宗太郎越え」に入り、列車が激減します。普通列車は重岡止まりが1日2本、延岡行きは1日1本という、「超」がつくほどの閑散区間となります。直川駅を過ぎるといよいよ民家が少なくなり、20‰(1000m進むごとに20mの高低差)の急勾配と半径300mの急曲線が連続します。
ところで、この区間には珍しい列車が運行されています。それが、佐伯〜延岡駅間を直通する唯一の普通列車である2761Mと2762M。この列車、じつは特急用の787系電車を使用しています。とくに佐伯駅発の2761Mは、6時台の発車で佐伯駅に前泊が必要ですが、グリーン車が営業しているのです。
延岡駅からは、日向灘の海岸に沿って南下します。日向市駅を発車して市街地を離れ、美々津駅を過ぎると、右手から立派な高架線が現れて日豊本線と交差します。ここから約7km、左手に並走する高架線は、1996年まで使用された鉄道総合技術研究所の宮崎リニア実験線の跡。現在は山梨県に実験線があり品川〜名古屋駅間の建設が進んでいる、超電導リニアの初期実験が行なわれていた施設です。現在は一部の高架上に太陽光パネルが並び、メガソーラーとして使われています。
リニア実験線が途切れ、都農駅を過ぎると線路はいよいよ海岸沿いへ。丘陵地の木々が邪魔をしますが、ところどころで雄大な日向灘が見えます。小丸川の河口を渡ると高鍋駅に到着。このあたりから徐々に海岸を離れ、豊かな田園風景の中を宮崎駅へ向かいます。
雄大な桜島を正面に見て鹿児島へ
宮崎〜鹿児島駅間は、一層ローカルムード溢れる区間となります。南宮崎駅で日南線が左へ分岐し、二つ先の清武駅を発車すると市街地を出ます。田野〜山之口駅間は青井岳越えと呼ばれる区間で、短い鉄橋とトンネル、そして急カーブをいくつも越えて、標高約266mの峠を越えます。山之口駅で都城盆地に出て都城駅に到着。ここは、かつて日豊本線の一部だった吉都線の分岐駅です。駅は市街地の北端にあり、市の中心は次の西都城駅周辺にあります。その西都城駅を発車すると、すぐに左に分岐する高架橋がありますが、これは1987(昭和62)年に廃止された国鉄志布志線の跡。この高架は完成からわずか7年しか使われませんでした。
五十市〜財部駅間で鹿児島県に入り、日豊本線最大の難所である山越えに入ります。霧島山から大隅半島へのびる山地を越える区間で、勾配は日豊本線最大の25‰。大隅大川原〜北永野田駅間で、村道が線路をまたぐ地点が峠の頂上で、標高は約368mあります。ここが、日豊本線の最高地点です。日豊本線で最後に開通したのも、ここを含む大隅大川原〜霧島神宮駅間でした。
霧島神宮駅は、国宝にも指定された霧島神宮の玄関口ですが、駅からは直線距離で5km以上離れており、当駅から霧島神宮を訪れる人は多くありません。線路は霧島川に沿って山を下りますが、霧島川には急峻な峡谷があるため、途中で川から離れて襲山トンネルで一気に下ります。かつて大隅線が分岐した国分駅を過ぎ、天降川を渡ると肥薩線が合流して隼人駅に到着します。
竜ヶ水駅に進入する817系(写真=栗原 景)
竜ヶ水駅から見える桜島(写真=栗原 景)
隼人駅から先は鹿児島本線として建設された区間で、鹿児島湾に沿って走ります。重富駅を発車すると、台地が海へ落ち込む断崖の下を通り、海が間近に迫ります。正面に桜島が雄大な姿を見せると、長かった日豊本線の旅もようやく終盤。竜ケ水駅、2025年3月15日開業の仙厳園駅を経て鹿児島市街に入り、鹿児島駅に到着。ただし、列車はすべて次の鹿児島中央駅まで直通します。
線路が蛇行する山越え区間も多い日豊本線。全線を乗り通すには少々時間がかかりますが、九州の多彩な表情を観察できる路線です。できれば2〜3日かけて、観光も楽しみながら踏破を目指したい路線です。
日豊本線(JR九州) データ
起点 : 小倉駅
終点 : 鹿児島駅
駅数 : 112駅
路線距離 : 462.6km
開業 : 1895(明治28)年4月1日
全通 : 1932(昭和7)年12月6日
使用車両 : 883系、885系、787系、キハ185系、キハ183系1000番代、キハ125系、キハ71系
811系、813系、815系、817系、415系1500番代、713系、キハ40形、キハ47形、キハ140形、キハ147形
著者紹介
- ※写真/栗原 景、交通新聞クリエイト、公益社団法人ツーリズムおおいた
- ※掲載されているデータは2025年2月現在のものです。変更となる場合がありますので、お出かけの際には事前にご確認ください。