JR山手線の沿線の今と昔をぐるぐるたどる
東京都内の数ある路線のなかでも、もっとも代表的な山手線。
1925(大正14)年に現在のような環状運転を開始し、2020年には49年ぶりとなる新駅の登場や原宿旧駅舎の建替えなど、さまざまなニュースが話題となりました。今回はそんなたくさんの歴史が詰まった山手線の“鉄道名所”6ヵ所を、駅の開業順に巡ります。
特急〔燕〕が名前の由来!?「つばめグリル」 品川駅:1872(明治5)年開業
品川駅近くに本社を構える「つばめグリル」。実はこの「つばめグリル」の名前は、鉄道省時代の特急〔燕〕に由来しています。
「つばめグリル」の原点となる店舗は、1930(昭和5)年に新橋駅近くの食堂として開業しました。同年は「超特急」と呼ばれる〔燕〕が運行を開始した年。当時〔燕〕は、東海道本線の東京~神戸間を最高時速95㎞、8時間20分で駆け抜ける最速の列車として人気を博していました。走行開始時は新橋駅にも停車していましたが、ほどなくして通過に。このことを惜しんだ人たちの声に押され、「つばめグリル」という店名が誕生したのです。
そんな「つばめグリル」の一押しは、「つばめ風ハンブルグステーキ」(1,705円)。ビーフシチューをかけて、アルミホイルで包んだハンバーグは、1974(昭和49)年に登場以来の看板メニューです。
ちなみに鉄道省時代の特急〔燕〕の名はその後、国鉄時代の特急〔つばめ〕として引き継がれていきます。「つばめガール」という添乗員を乗せ、東京~大阪間を8時間で走行。全線電化の1956(昭和31)年には7時間30分とどんどん速度を増していきました。しかし、山陽新幹線の開業に伴い、1975(昭和50)年に〔つばめ〕は廃止となります。今では、「つばめ」という名前のみを九州新幹線が受け継ぎ、九州の地を颯爽と駆け抜けています。
隠れた鉄道遺物の宝庫!ホームに架かる古レール 田端駅:1896(明治29)年開業
ある鉄道遺産の宝庫として、鉄道ファンからひそかな人気を集める田端駅。
駅のホームをよく観察すると、柱や屋根に架かる鉄骨に古レールが使用されています。
一般的に鉄道のレールの寿命は、地方のローカル線では数十年、在来線は約20年、新幹線は10年ほど。ただし、摩耗してレールとしては使えないというだけで、まだまだ利用可能な素材であったため、以前は、ホーム屋根の柱・梁などの鉄の建材として利用されていました。ところが、材質の変化でレールが堅く曲げにくくなったことと、建材として優秀な、強度の高い「H型鋼(Hの形をした鋼材)」が安価に手に入るようになったことから、1970(昭和45)年以降は新たにレールが再利用されることがなくなりました。
2番ホームと3番ホームの間で屋根を支える古レールはアーチの真ん中で円形状パイプを3つ配したデザインとなっていて、一種の芸術作品の感があります。今も形を変えて、第2の人生を送る古レールを観察しに、田端駅へ訪れてみるのもいいかもしれません。
迫力満点のトレインビュー!「芋坂跨線橋」 日暮里駅:1905(明治38)年開業
夏目漱石や正岡子規などの作品にも登場する、文人ゆかりの地“芋坂”。谷中から善性寺前を結んでいたかつての坂は、線路の敷設により姿を変え、現在では跨線橋としてその一部を残しています。
この芋坂跨線橋は、トレインビューのスポットとしても有名!さまざまな列車のオンパレードで、本数の多い山手線・京浜東北線に加え、宇都宮線・高崎線・常磐線快速や、花形の特急〔ひたち〕〔ときわ〕が頻繁に行き交い、その他にも特急〔あかぎ〕〔スワローあかぎ〕〔草津〕まで見られます。また、真横の高架には京成電鉄のスカイライナーも通過。これだけの列車が一度に見られる場所は他になく、もしも踏切だったら日本一の開かずの踏切となっていたことでしょう。しかも跨線橋にしては高さが低く、すぐ下にパンタグラフが見えるほど列車との距離が近いので、迫力も満点です。歩行者専用橋なので車が通らず、鉄道好きの子どもでも安全に列車のオールスターキャストに出合えます。
レトロな木造駅舎からガラス張りのモダンな新駅舎に 原宿駅:1906(明治39)年開業
2020年3月、都内最古の木造駅舎だった原宿駅舎が96年の長い歴史に幕を下ろしました。原宿のシンボルとも謳われていたこの駅舎は、実は2代目の駅舎だったことをご存じでしょうか。
原宿駅は、日本鉄道の品川線の駅として、今よりも代々木駅寄りで開業。明治神宮開設に伴い、1924(大正13)年に現在の神宮橋脇へ移設されました。この駅舎が、のちに“レトロな木造駅舎”として人々から100年近く大切にされる2代目駅舎です。翌年の1925(大正14)年には代々木寄りに皇室専用の“宮廷ホーム”を設置、また1940(昭和15)年には明治神宮参拝用の臨時ホームが利用開始となりました。
2020年に旧駅舎と入れ替わるようにして開設された新駅舎は、ガラス張り2階建てのモダンな佇まい。明治神宮方面への出入口も設置され、コンコースは約3倍の広さとなりました。さらにホームも大改造され、かつて内回りと外回りが乗り入れていた島式ホームを内回り専用ホーム(1番線)とし、明治神宮参拝用の臨時ホームが外回り専用ホーム(2番線)となりました。
日本の鉄道発祥の地のシンボル「旧新橋停車場」と「SL広場」 新橋駅:1909(明治42)年開業
新橋駅銀座口から5分ほど歩くと、高層ビルの合間からレトロな西洋建築の建物がひょっこりと顔をのぞかせます。
ここは「旧新橋停車場」。現在の新橋駅は1909(明治42)年開業ですが、旧新橋停車場が日本初の駅として開業したのは1872(明治5)年のことでした。それから130年の時を経て2003(平成15)年に、日本の鉄道発祥の地として2階建ての駅舎が復元されたのです。
1914(大正3)年の東京駅開業まで東京のターミナル駅として活躍したこの駅は、現在鉄道歴史展示室として姿を変え、当時の駅員の制服(レプリカ)や外壁に使われた伊豆斑石(いずまだらいし)、1000分の1の駅舎模型などを保管・展示しています。また、長さ25mの石積みのプラットホームや線路の0哩(マイル)標識、車止めなども再現しており、明治時代の鉄道文化を感じることができます。
現在の新橋駅日比谷口のSL広場には、1972(昭和47)年の鉄道100周年を記念して設置された1945年製造の「SL C11 292」が静態保存され、今や待ち合わせスポットとして有名に。12時、15時、18時には汽笛が2回鳴るなど、面白い仕掛けも隠されています。
大人の空間「日比谷OKUROJI」&レンガアーチ高架橋 有楽町駅:1910(明治43)年開業
1910(明治43)年に造られた「内山下町橋」。有楽町~新橋間を結ぶ15の高架橋のひとつで、およそ300mの長さを誇ります。この高架橋には、ベルリンの高架橋にも携わったドイツ人の技師フランツ・バルツァーなどが設計に加わり、西洋風の重厚なレンガ造りのアーチを造り上げました。日比谷のオフィス街に堂々と溶け込むその姿は、100年の時を超えた今でも風格を感じさせます。
高架線開設当初は山手線・京浜東北線のみが走っていましたが、1942(昭和17)年には東海道線が増設。さらに1964(昭和39)年には東海道新幹線が加わり、高架橋の幅も倍以上になりました。
そんな大空間となった高架橋下を利用して2020年9月にオープンしたのが、「日比谷OKUROJI」です。レトロなレンガアーチからなる落ち着いたスペースは、まるで“大人の秘密基地”のよう。飲食や雑貨・ファッションなど、計35の店舗が軒を連ね、東京ならではの高架下の路地巡りが楽しめます。
伝統や技術を受け継ぎながら、日々進化していく山手線。時刻表を片手に、都内の”鉄道名所”を探索しにいきませんか。
著者紹介
JR時刻表2021年7月号
- ※写真/JR東日本、村上悠太(田端駅・芋坂跨線橋)、株式会社つばめ、日本国有鉄道百年写真史
- ※掲載されているデータは2021年6月現在のものです。