保線員としての経歴を持つ田中さんの今も変わらない「線路愛」に迫る!
『JR時刻表』2025年8月号(7月18日発売)の連載企画「十人十鉄」に登場いただいた田中要次さんにインタビュー!
国鉄~JR東海社員時代のご経験や「線路愛」を語っていただきました。誌面に載せきることができなかったエピソードを
フルバージョンでお届けします。
『JR時刻表』×トレたび 連動企画です。
鉄道との意外な関係性
――鉄道はお好きですか。
田中さん 仕事柄、テレビ番組でいろいろ鉄道旅をさせてもらっていますが、正直なところ、撮り鉄でも乗り鉄でもないんです。小学生の頃は部屋にD51の最終ランの写真が飾られていたけど、僕が撮ったわけでもなく、誰からもらったかも覚えていなくて。
国鉄に就職したのも、公務員試験をいくつか受けた中のひとつで、唯一採用してもらったからです。高校が林業科で、測量を習っていたことも大きかったと思います。ただ、駅勤務を希望したのに配属されたのは保線。本当はヘルメットを脱ぎたかったんです。
保線員時代の田中さん
――ヘルメットといえば、今年4月から配信されているNetflix映画『新幹線大爆破』にもご出演されていますが、樋口真嗣監督が田中さんのことを「ヘルメットや安全帯が誰よりも似合う」と言われていたとか?
田中さん なんなんですかね(笑)。僕は数シーンしか出ていないのに、「存在感が違う」とか言われて……。
――救出班の保線員という役どころは偶然だったのですか。
田中さん はい。ただ、売り込んだのは僕です。とある撮影現場で六平(直政)さんと一緒になった時に、「ボバちゃん(田中さんのこと)、樋口が映画を撮るらしいぞ。『新幹線大爆破』だぞ。売り込んでおいたほうがいいよ」って耳元でささやかれて(笑)。樋口監督とはSNSでつながっていたので、「六平さんから聞いたんですけど、元JR社員としては黙っていられません」とメッセージを送ったんです。
――『新幹線大爆破』の撮影で印象に残っていることは?
田中さん 僕が「作業開始!」と言って、作業員役のエキストラの方たちが掛け声を合わせながらバールでレールを動かすシーンがあったのですが、「力が入っているように見えない!」と気になっちゃったんですよね。僕からしたら、「嘘くせえ」って(笑)。思わず助監督さんに、「そのやり方だとリアルに見えないから、こういうふうにしたらどうですか?」と提案してしまいました。
保線員時代の思い出
――完成した作品ではどのようになったのか、そのシーンにも注目したいですね。田中さんのリアルな保線員時代についても教えてください。
田中さん 終電後から始発まで仕事をすることが多かったですね。業務を終えると翌日は“あけ”と呼んでいて、そのたびに足を運んだのは映画館でした。寝ちゃうことも多かったんですけどね。
――その頃はどちらの映画館に?
田中さん 国鉄時代は長野県の松本。松本の映画サークル「松本シネフレンド(現:松本CINEMAセレクト)」に入っていました。民営化後は愛知県の岡崎保線区に勤務したので、名古屋の「シネマスコーレ」や「シネマテーク」(閉館)、大きい映画館にも行っていましたね。ほぼ映画館か、ライブを観に行くか。まあ、そうやって好きなだけ足を運べたのは社員だったおかげですね。
――鉄道のお仕事を俳優業に活かせたなと思うことはありますか。
田中さん 活かせているということではないのですが、深夜のレール交換って、電気関係とか、関係各所から大勢の人が集まって作業をする大仕事なんです。深夜にライトをつけて、各々、自分の役目をその時間内にやらなければいけない——そんな気概で臨みます。その感覚は深夜の撮影現場とすごく似ているよなあって思います。それに、カメラを乗せるレールもありますし。レールを敷いているスタッフを見ると、つい手伝いたくなるんですよね(笑)。
――血が騒ぐというか……?
田中さん うーん、なんだろう、ちょっとしたお祭りっていうのも変だけど、まあ、大イベントですよね。 だからね、数年前の渋谷駅線路切換工事は参加したかった! あんな大きな切換工事の経験をしたことなんてありませんから。みんなで声を合わせて作業をするのは懐かしいな、久々にやりたいなって!
――保線のお仕事では大型保線用機械のマルタイ(マルチプルタイタンパーの略)にも携わったとか?
田中さん はい。24~25歳の頃、岡崎保線区大府保線支区の機械グループに配属されて、マルタイの運転資格を取りました。
線路って列車が走るうちに枕木が沈んで、ゆがんだり、高さがずれたりするんです。それを修正するための特殊車両機械で、レールを持ち上げて、“ツメ(ツール)”を落としてバラストを突き固めていきます。運転が難しくて、下手だと枕木を割っちゃうんです。
資格を取ったはいいけど、「今日のオペレーターは田中君で」と指名されると、「あなた、今日の主役ですよ」と言われているようで、緊張しましたね。ある意味、保線の花形ではあるけれど、いざやるのは怖い。役者で主演を務めるのと一緒かもしれない。一番役割が大きいし、客も呼べなきゃだめだし。「わー、責任大きいわ!」って思うんですよ。脇にいるほうが楽だなーって(笑)。
――マルタイのカラーリングも提案されたというのは本当ですか。
田中さん そうですね。僕が運転していたのはオーストリアのプラッサー&トイラー製の今はないタイプ(07-32形)なんですけど、まだコンピューター制御ではなくてアナログだから、ガンダムを操縦する気分でした。フォルムもかっこよかったので、これをスターにしてあげたいと思って。カラーリングしてキャラ立ちさせたらどうかと提案したら採用されて、夏の整備期間中、ボディの再塗装作業のタイミングで塗ったんですよ。青いラインも「JR」のロゴマークも「0732」の番号も、全部手で描いて。今だったらプロに発注してプリントしたのを貼ったりできるでしょうけど。
田中さんがカラーリングしたマルタイ(07-32形)
――えっ!? 田中さんの手描きですか。
田中さん そうですよ。定規を当てて線を描いて……。メーカーのロゴももっとしっかり見せたくて上から色を塗りました。時間がかかりましたよ。だから、手描きしたってことを太文字で強調しておいてください(笑)。
――愛がありますね。
田中さん ははははは。
ただ、ずっと“走らせる側”にいたので、愛のかたちがちょっと違うのかな。
気がつけば日常に「線路」がある
――普段から鉄道を見る目線もきっと違いますよね。
田中さん ホームに立てば、絶対にレールから金具、枕木の状態に目が行きますね(笑)。先頭に乗ろうものなら、運転士さんのすぐ後ろに立って目視と体感でレールの状態を確かめる“巡回”をしているような気分になってしまう。ローカル線に乗って雑草だらけのレールを見れば、「手薄になっちゃってるなあ」と切なくなります。
――身内目線というか……。
田中さん そう、だから、実家的……、実家みたいなもんですよね(笑)、線路が。
――実家! ということは、田中さんの人生において線路は切り離せない存在ですよね?
田中さん 家族ってどんなにケンカしようが、朽ちていこうが、切り離せないじゃないですか。なんだかそんな感覚でしょうか。外側というか乗客としての愛し方とはちょっと違いますよね。 ……あ、そういえば、5年前に建てた自宅のアプローチには枕木もどきが並んでいます(笑)。
――偶然ですか?
田中さん いや、並べたくて……。よく古民家のカフェとかのアプローチに使っていたりするじゃないですか。それをイメージして。なんですかね、これもやっぱり染み付いているものがあるんですかね。さすがにレールまでは敷かなかったけど(笑)。
実は、長野の実家では板張りの穀倉をリフォームして「kura³ 夢倉座」という宿泊可能な施設にしたのですが、そのアプローチにも枕木が並んでいるんです。こっちは本物の枕木で、鉄道の協力会社を営む友人がご厚意で並べてくれたんです。今の自宅に枕木を置いたのもそれが頭の中にあったからなのかなあ。玄関に向かってレールが続いているという感じがいいなと思って。レールじゃなくて枕木ですけどね。
――では、もし鉄道旅をするとしたら、どこへ行きたいですか。
田中さん 旅番組のロケで行ってもう一度ゆっくり回りたいなと思ったのは、和歌山の海沿いの線路ですね、紀勢本線。まるで海の上を走っているかのような場所があるんです。沿線の和深駅から降りた場所にある和深海岸は、砂浜ではなく丸い小石がいっぱいの珍しい浜辺で、音が違うんですよ。波打ち際で小石に波が当たるとカラカラカラ……って。「これ、ちゃんとしたマイクで拾って聴きたい! サラウンドで!」と、当時のロケで興奮したんですよね。
それと、今一番気になっているのが北海道の然別湖。在来線からは外れますが、“湖底線路”があるんです。新幹線か何かの車内誌で写真を見て知ったのですが、湖に沈んでいくレールがなんとも幻想的でノスタルジックなんです。
……ん? なんだか結局みんな線路だな。
著者紹介
- ※取材・構成=下里康子
- ※掲載されているデータは2025年7月1日現在のものです。