2024.09.20鉄道小説家・平野啓一郎さんが語る、新幹線の思い出と短篇『富士山』
平野さんから見た新幹線と富士山とは?
『JR時刻表』2024年10月号(9月20日発売)「巻頭特集」にて、「リニア・鉄道館」をめぐり、新幹線の思い出や短篇『富士山』執筆の裏側を語ってくださった平野啓一郎さん。誌面に載せきることができなかったエピソードを、フルバージョンとしてお届けします。
『JR時刻表』×トレたび 連動企画です。
ノスタルジーと日常のある歴代の新幹線との思い出
―「リニア・鉄道館」をめぐってみて、いかがでしたか?
世代的に、ギリギリ、最初の新幹線(0系)に乗っていた記憶もありますし、その次の100系から今に至るまでの変化を一乗客として体験してきましたから、並んでいる車両を改めて見ると壮観でした。その車両にまつわる昔のことがチラチラと蘇ってくる感じがしましたね。
―思い出深い新幹線の車両はありますか?
物心ついた頃に乗った0系が懐かしいですね。その後100系が登場した時に先頭車両の形状が鋭角になって、未来的な印象を受けたことを覚えています。乗った回数が多いので、大人になってからは500系や700系が思い出深いです。500系はカラーリングも含めてインパクトがありましたね。
―初めての新幹線の記憶は、どのようなものですか?
僕は生まれが愛知県蒲郡市で、1歳で父が亡くなって、2歳で福岡県北九州市に越したので、その時に利用しているはずですが、幼すぎて記憶はありません。ただ蒲郡に父方の親類がいましたから、新幹線で小倉駅から名古屋駅、東海道本線で三河三谷駅までの旅を母と姉と3人でしたことはよく覚えています。昔は新幹線は「旅行に行く」という特別なことでしたが、今は交通手段として、自分の日常になっています。
―ご自身の変化とともに、新幹線への思いや印象も変わってきているのですね。
高校まで北九州で、大学は京都でしたから、20代初めまでは圧倒的に山陽新幹線の記憶が強いんです。大学時代から小説家として東京の出版社へ行くようになって、東海道新幹線のほうが馴染み深くなりました。
今は東京に住んでいて、帰省や旅行などで幼い子どもの世話をしながら新幹線に乗るという、僕の中での大きな変化がありました。自分が子どもとして親と乗った山陽新幹線と、自分が親として子どもと乗る東海道新幹線。今はもう、2人の子どもも中学生と小学校高学年になり、おとなしく乗車できるようになったので、ほっとしています(笑)。
―新幹線の乗車についてのエピソードを教えてください。
新幹線が駅に近づいていく時の記憶は印象深いと思いますね。中学卒業後すぐ、初めて東京へ行った時、高層ビルが立ち並ぶ車窓の景色に「東京ってのは、都会だなぁ」とつくづく思ったのを覚えています。新幹線の速度がだんだん遅くなって「その町に辿り着く」感じが、ドラマチックな効果を生むんでしょうね。
―新幹線では、どのように過ごされていますか? また何か楽しみはありますか?
ほとんど仕事をしています。意外とはかどるんですよ(笑)。僕は車窓から風景を眺めることが好きです。車窓から住宅街を見て「あの小さい窓のひとつひとつに生活があるんだな」と、感傷的な気持ちになったり。考え事をする時間は、すごく好きですね。
見る人の視点の数だけ富士山の顔がある
―短篇『富士山』の着想のきっかけを教えてください。
コロナをきっかけに国内旅行が増え、〔ひかり〕や〔こだま〕をよく利用するようになりました。その頃に、通過待ちで反対方面行きの車両の人とチラッと目が合う経験をして、なんとなく「この一瞬に何かがある」と感じたんです。同時期に、暴力を振るわれている人が出すSOSサインを知り「今そのサインを見たら、自分は下車するかな」などと考え始めたことがきっかけでした。
―〔ひかり〕や〔こだま〕の利用で、気づかれたことはありますか?
今まで行ったことのなかった地方都市の魅力を発見する、ひとつのきっかけになった気がしますね。『富士山』での旅の目的地を決める時、〔ひかり〕や〔こだま〕が止まる駅で〔のぞみ〕の通過待ちするような駅をいくつか取材しました。コロナ禍での閉塞感を打ち破りたかったので「温泉に浸かる」、「水がきれいな広い景色を見る」などの設定を入れたいと思い、浜名湖のある浜松への旅行にしました。
―『富士山』というタイトルについて、可能な範囲で教えてください。
あまり説明すると面白くないですが「富士山の正面はどこか?」という問いがあって、そこに答えはないと思うのですが「見えた方面からが富士山の正面である」という意味合いと、人の見え方を象徴的に重ね合わせた感じですかね。
―新幹線は交通手段でしかない加奈と、新幹線から富士山を見たい津山が、とても対照的に描かれていたと思いますが、いかがですか?
僕も加奈と同様に、新幹線から見える富士山を意識していませんでした、なのでE席が埋まりやすいことについて誰かに尋ねたら「みんな富士山が見たいから」と、当然のように言われて驚きました。真偽はわかりませんが、それから富士山が気になり出しましたね(笑)。ただSNSでも「富士山が見えた」という写真付きの書き込みを見かけますし、浮世絵の『東海道五十三次』や『冨嶽三十六景』にも東海道と富士山は描かれているので、東海道(新幹線)と富士山は、歴史的にもセットだと思うようになりました。
―富士山の持つイメージについて、思われることはありますか?
富士山は「日本の象徴」というイメージが強く刷り込まれていますよね。でもジーッと富士山を眺めていると、野生的で、原始的で、人間が住むはるか昔から富士山だったという、一種、無国籍的なものを感じます。そういう目で見ると日本を象徴してないというか、日本じゃ無いようなものを留めているところが、僕は面白いなと思っています。
速度、距離、空間が物語に広がりを生む
―物語に新幹線が登場するとき、物語にどんな影響を与えると思いますか?
まず、やっぱり速いですからね(笑)。関西と関東をつなぐような物語を書く時に新幹線で移動するのは一般的ですし、『富士山』以外の僕の作品にも、ちょくちょく新幹線が登場してる気がします。『ある男』(※)の中でも、主人公と謎を解く鍵となる女性が新幹線に乗る場面がありますし。
それと新幹線に限りませんが、移動することが物語に広がりを生みますね。例えば、谷崎潤一郎の『細雪』。四姉妹を描いているのですが、姉妹間の世代による時間的スケールは小さいから、関西と東京で空間的に移動することで変化を起こして、風通しを良くしたような作りになっています。
―今後、小説に使ってみたい新幹線でのシチュエーションはありますか?
「バッタリ人に会う」とかですね。僕自身も新幹線で知り合いに会う経験は多いですから。人との偶然の出会いや、同じ空間に何時間か一緒にいる状況は使えそうですね。あと現実だと良くないですが、故障や事故に遭うなどで新幹線が動かなくなる状況は小説になるでしょうね。誰がどういう行動を取るのかが問題です。ただ、そういったハプニングのようなこと以外で、登場人物が車窓からの風景を見ながら考えごとをするといった場面を書くのは好きですね。
―『富士山』でも描かれた「途中下車」というシチュエーションについては?
そうですね。みんな目的に向かって生活しているので、途中下車をするのって、よっぽどのことっていう感じがありますね。実際のところ、別に早く着かなくてもいい旅行もあるし、途中下車したからといって、大した支障はないんだけれど。途中で降りることはイレギュラーなことで、その先に非日常の出来事が起こるような気がしますよね。
―「イレギュラー」や「非日常」の設定で、気を付けられていることはありますか?
『富士山』では、話の辻褄が合うように、新幹線の時刻を細かく調べました。線路を挟んで反対側の路線の乗客と目が合ったのはどこの駅だったかな、と思い出し、記憶にある駅の造りを調べ直したり、その駅を改めて取材したりして、本当にそういうことが起こり得るのかを検証しました。
―最後に、時刻表の思い出はありますか?
今はアプリを使って調べていますね。僕の実家では固定電話のところに時刻表が置いてあったんですよ。そうすると、電話しながら手持ち無沙汰になった家族がボールペンで落書きして……落書きだらけの時刻表が記憶に残ってますね(笑)。
- ※『ある男』:第70回読売文学賞を受賞(2019年)
あり得たかもしれない人生の中で、なぜ、この人生だったのか?──
平野啓一郎、10年ぶりの短篇集が10月17日(木)発売決定!
『マチネの終わりに』『ある男』『本心』のベストセラーに続く最新作。
些細なことで、私たちの運命は変わってしまう。あり得たかもしれない幾つもの人生の中で、何故、今のこの人生なのか?── その疑問を抱えて生きていく私たちに、微かな光を与える傑作短篇集。「富士山」「息吹」「鏡と自画像」「手先が器用」「ストレス・リレー」を収録。
JR時刻表2024年10月号
- ※取材・文=小嶋かおり、撮影(特記以外)=高島祐介、ヘアメイク(平野啓一郎)=山村えり子
- ※掲載されているデータは2024年9月1日現在のものです。