タモリさんと鉄道の関わりに迫る!
『JR時刻表』2026年2月号(1月23日発売)の連載企画「十人十鉄」に登場いただいたタモリさんにインタビュー!
貴重な学生時代のお話や、印象深い鉄道旅のエピソードは必見です。
『JR時刻表』×トレたび 連動企画です。
――タモリさんが、鉄道に興味をもったきっかけはなんでしょうか。
タモリさん 祖父も親父も、戦時中、満鉄(南満州鉄道)で働いていたんですよ。僕が生まれ育ったのは博多で、筑肥線と西鉄天神大牟田線が走っているところでした。あるとき、「この線路が東京や仙台、日本中につながっている」と祖父から聞いて驚いた。これをつたっていけば東京まで行けるんだって。そこから鉄道に興味をもち始めました。暮らしていた家から一歩出ると筑肥線を走る蒸気機関車が見えて、ずっと眺めていましたね。
――博多から上京したときは、蒸気機関車でしたか。
タモリさん 電気機関車でした。寝台特急「あさかぜ」は思い出の列車です。東京の大学を受験するときに乗ったのですが、17時間半くらいかかりました。
――そのときは、寝られました?
タモリさん いやいや、一晩中起きてました。やっぱりうれしくてね。勉強どころじゃないですよ。寝台列車ですけど、一両だけ座席車両があって、安いから学生はだいたいそこに乗るんです。そのとき、よく見ると車掌車が連結されていてね。車掌はほとんどいないんです。それで、受験で東京に行くんですけど勉強するのに車掌車を使っていいですかって聞いたら、なんとOKが出て。
――それは貴重な体験ですね。
タモリさん 貴重ですよ。勉強なんかするわけない。ただ乗りたいだけですから。
2005年3月まで運行していた寝台特急「あさかぜ」
学生バンドのマネージャーをやって鍛えられた
――大学に入学してからは、鉄道で各地に行きましたか。
タモリさん ジャズ研(モダンジャズ研究会)に入ったんですね。でも、お前はしゃべったほうがいいと言われてトランペットをクビになり、司会兼マネージャーになった。当時、学生バンドは人気があって、夏は2カ月、冬は1カ月くらい演奏旅行で全国を回るんです。マネージャーはそのスケジュールを立てて、きっぷを手配しなきゃいけない。いかに順序よく回るかというのが、腕の見せどころでした。それで、時刻表がいつもかばんに入ってたんです。
――時刻表を駆使してツアースケジュールを立てたんですね。
タモリさん 駆使しまくりましたよ。当時、東京23時台発の大阪行き普通列車があって、旅の始まりはたいていこの列車でした。お金がなくて普通列車だけで行くので、乗り換えが厳しいところがあるんです。乗り換えに何分かかるのか現地に行ってみないとわからないし、8〜9人で楽器を持っての移動だし、いろいろ綱渡りで。乗車口のところでわざとぐずぐずして時間稼ぎをしてね、その間に楽器を積み込んだりしました。
――きっぷの手配も、タモリさんがやるんですか。
タモリさん 全部やってましたね。学生課に行って、各学生の学割証をもらうんですけど、学生課の職員と仲良くなるために酒を持っていったり。学内に交通公社の出張所があって、そこできっぷを発券するんだけど、かなり混雑するから顔なじみをつくったり。これも、マネージャーの腕の見せどころでした。
――そのときは、好きな路線や駅はありましたか。
タモリさん それどころじゃなかったな……。列車に乗るのは楽しいし、まったく苦にならないんですけどね。いちばんの長距離は、鹿児島あたりから急行で東京に着いて、そこから上野に行って2〜3時間休憩して、青森まで行きました。
――幼いころに聞いた「線路は日本中につながっている」は本当だったと。
タモリさん 本当でした。そうだ、夜行列車で九州方面に行くとき、宇部のあたりでトンネルを抜けると、ものすごくきれいな工場夜景が広がるんですよ。あれは印象的でした。
――マネージャーは何年くらいやられたんですか。
タモリさん 2年です。次のやつにバトンタッチするんですけど、だんだんと学生バンドじゃ客が入らなくなってきた。盛んな時期は、我々の代が最後だったんでしょうね。
時刻表で“妄想鉄”そして“線路鉄”に
――芸能の世界に入ってからは、お忙しくなりましたよね。
タモリさん 『笑っていいとも!』が始まると、遠出はできなくなりましたね。それで楽屋に『JR時刻表』を常備していたんです。巻頭特集の記事を読んでは、何に乗ったら行けるんだろうって考えたりして。そのうち、線路のほうに興味がうつっていきました。月明かりに光る線路はきれいですし、線路そのもののつくりが好きです。とくに分岐。線路の分岐って、いろいろな工夫があって、うまく考えられてるんですよ。
小田原~箱根湯本間の分岐(1993年撮影)
――好きな分岐はありますか。
タモリさん いまは変わっちゃったんですけど、小田原駅にありましたね。小田急線とJR線は狭軌(1,067mm)、箱根登山鉄道は標準軌(1,435mm)とゲージが違うから、乗り入れるために小田原〜箱根湯本間は三線軌条※になっていたんです。あの複雑な分岐が好きで、よく見に行きました。
- ※三線軌条…片側のレールを共用し、もう片側にはレールを2本並べ、3本のレールを敷設することで、標準軌と狭軌の車両が走行できる。現在は、入生田〜箱根湯本間に残る。
――線路の分岐を鑑賞する、よりコアな趣味に目覚めたんですね。
タモリさん そうですね。でも、隔週土曜休みのときがあって、そのときは京都に行ってました。金曜夜、『ミュージックステーション』の生放送が21時に終わってすぐタクシーを飛ばして、品川発の最終の新幹線、当時は21時27分発だったんですけど、それに乗るんです。マネージャーと一緒に裏道を開拓してね。途中、一方通行じゃないところがあって、対向車が来るともう間に合わない。勝負!って言いながら毎回ドキドキして。でも一度も乗り遅れませんでした。京都に着いてホテルのバーで飲みながら、明日どこに行くか決めるんです。
――あちこち行けるようになったのは、つい最近ですか。
タモリさん はい。『笑っていいとも!』をやっているときは、国内だけしか行けなかったですから。番組が終わったらすぐ海外に行こうと思って、フランス、スペイン、ポルトガル、モロッコに行きました。海外でも鉄道乗りましたよ。
五能線(深浦~広戸間)
――日本国内で好きな路線はありますか。
タモリさん 五能線がよかったです。2回乗ったことがあって、春に行ったときはまだ雪が残ってました。次は秋ぐらいだったかな。ローカル線に乗るときは、やっぱり窓側に座りたいです。自分が座っているほうはもちろん、向かい側の風景も見たい。
紙の時刻表との長いつきあい
――今でも、紙の時刻表を使っていらっしゃいますか。
タモリさん 使いますよ。そういえば、駅弁の情報も必ず見ていたんですけど、いまは載ってないでしょう?
――はい。現在は掲載していません。読者の方からも復活してほしいという声は届いています。
タモリさん 大学時代、バンドのマネージャーをやっているときから駅弁情報は見てました。移動続きで、みんなに昼飯を食わせるのは車内しかないから、どの駅で、どの駅弁を買うか、大事なんです。学生はやっぱり貧乏で飢えてますからね。横川駅の「峠の釜めし」(荻野屋)は、あそこを通るときは必ず全員に食わせてました。容器も必ず持って帰る。
――長く使っていただいて、ありがとうございます。
タモリさん スマホで調べるのもいいんですけど、1本の列車しか出てこないでしょ。その前後の列車も見たいんですよ。もし乗り遅れても、まだ間に合うのかとか、こういう列車も走ってるんだなとか、いろいろ知りたい。やっぱり僕は紙じゃないとだめですね。
タモリ
1945年福岡県生まれ。現在の主な出演番組は『ミュージックステーション』『タモリステーション』(テレビ朝日)、『ブラタモリ』『知的探求フロンティア タモリ•山中伸弥の!?』(NHK)、「世にも奇妙な物語」(フジテレビ)など。
著者紹介
『JR時刻表』2026年2月号 リレーエッセイ
「十人十鉄」もあわせてチェック!
JR時刻表2026年2月号
- ※取材・文=屋敷直子
- ※写真=交通新聞クリエイト
- ※掲載されているデータは2026年1月4日現在のものです。


