鉄道路線にも多様な歴史がある
通勤・通学の足として、あるいは観光や物資輸送の手段として生活を支える鉄道。全国にいろいろな路線がありますが、なぜそこにその路線が建設されたのか?
『鉄道路線誕生秘話』(交通新聞社新書)では、その“なぜ”を丁寧に解説。驚きの歴史をもつ路線も少なくありません。そのいくつかをご紹介しましょう。
- ※トップの写真は、東京駅がモデルの高崎線の深谷駅舎。深谷にあった「日本煉瓦製造」という会社のレンガで建設されたことが由来です
絹は、高崎線に乗って世界へ?
東京から北へ伸びる、高崎線。通勤・通学路線としても多くの人に利用されています。
旧街道と比べてみると、その目的は一目瞭然。中山道に沿ったルートが物語っています。東京と京都を結ぶ幹線の一部として計画されたのでした。
熊谷、高崎まで開通すると、上州で生産される絹の輸送路となり、さながら“シルクロード”の役割に。世界遺産の富岡製糸場がある群馬県富岡の周辺は、日本で最大級の養蚕地帯でした。
ここから高崎線で東京・横浜方面へと運ばれ、世界へ輸出。一部の特権階級しか知らなかった絹が、世界中の人々に広まって行ったのです。
毎日、何気なく乗っている近郊路線にも、壮大な物語がありました。
歴史からすると、起点が逆になる武豊線?
名古屋駅から南下、大府駅からさらに南下しているのが、武豊線です。さながら知多半島に延伸していた路線に思われますが、実は中部地区に敷設する鉄道の資材を運ぶために誕生した路線、つまり、路線を造るために造られた路線といえます。
明治時代、鉄道の建設資材は船で運ばれました。そのため、港を拠点にしてレールが敷設されていきました。武豊線は、起点の大府ではなく、武豊から語るのが本来の筋、とでもいいましょうか。歴史をひもとくと、思っていたものと逆のストーリーが見えてくる、というのは歴史話の“あるある”ですね。
東京より大スケールだった! 大阪の地下鉄誕生
大阪の地下鉄路線のなかで、もっとも古い歴史を持つのが昭和8年に開業した御堂筋線。
現在も要地を南北に貫く大動脈ですが、開業当時から使用されている梅田、淀屋橋、心斎橋、本町の4駅は、高い天井のホームになっています。ここに、当時の大阪の勢いを見ることができます。実はこれらの駅は、開業当時のままの大きさなのです。
日本初の地下鉄は東京の銀座線。これは民間の会社が建設したため、建設費が抑えられました。各駅の天井が低いのも、その理由のひとつです。
一方、大阪では当時の大阪市が建設。将来を見据えた都市計画の下、建設されました。同じ地下鉄ながら、建設思想が全く異なります。頭上の御堂筋と一体に建設されたのも、行政主導ならではかもしれません。
1両編成の車両に12両分のホーム、これが開業当時の御堂筋線の姿。現在のホームに立つと、その先見の明の凄味が感じられます。
驚きの路線トリビアがもりだくさん
日本に鉄道が誕生して間もなく150年。この長い間に、大きく役割が変わっていった鉄道路線も少なくありません。
ひとつひとつの路線の歴史のなかに、意外な素顔が秘められていることも。
『鉄道路線誕生秘話』では、歴史とそのなかに流れる物語を紹介。路線にもさまざまな個性があることに気づきます。