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2021.01.29鉄道路線を造るために造られた路線? なんでそこに鉄道路線?

鉄道路線にも多様な歴史がある

通勤・通学の足として、あるいは観光や物資輸送の手段として生活を支える鉄道。全国にいろいろな路線がありますが、なぜそこにその路線が建設されたのか?
『鉄道路線誕生秘話』(交通新聞社新書)では、その“なぜ”を丁寧に解説。驚きの歴史をもつ路線も少なくありません。そのいくつかをご紹介しましょう。

  • トップの写真は、東京駅がモデルの高崎線の深谷駅舎。深谷にあった「日本煉瓦製造」という会社のレンガで建設されたことが由来です

絹は、高崎線に乗って世界へ?

東京から北へ伸びる、高崎線。通勤・通学路線としても多くの人に利用されています。
旧街道と比べてみると、その目的は一目瞭然。中山道に沿ったルートが物語っています。東京と京都を結ぶ幹線の一部として計画されたのでした。
熊谷、高崎まで開通すると、上州で生産される絹の輸送路となり、さながら“シルクロード”の役割に。世界遺産の富岡製糸場がある群馬県富岡の周辺は、日本で最大級の養蚕地帯でした。
ここから高崎線で東京・横浜方面へと運ばれ、世界へ輸出。一部の特権階級しか知らなかった絹が、世界中の人々に広まって行ったのです。
毎日、何気なく乗っている近郊路線にも、壮大な物語がありました。

歴史からすると、起点が逆になる武豊線?


武豊線半田駅の跨線橋は明治43年竣工。日本最古の跨線橋です 武豊線半田駅の跨線橋は明治43年竣工。日本最古の跨線橋です

名古屋駅から南下、大府駅からさらに南下しているのが、武豊線です。さながら知多半島に延伸していた路線に思われますが、実は中部地区に敷設する鉄道の資材を運ぶために誕生した路線、つまり、路線を造るために造られた路線といえます。
明治時代、鉄道の建設資材は船で運ばれました。そのため、港を拠点にしてレールが敷設されていきました。武豊線は、起点の大府ではなく、武豊から語るのが本来の筋、とでもいいましょうか。歴史をひもとくと、思っていたものと逆のストーリーが見えてくる、というのは歴史話の“あるある”ですね。

東京より大スケールだった! 大阪の地下鉄誕生


心斎橋駅のドーム状の天井とシャンデリア風の照明塔 心斎橋駅のドーム状の天井とシャンデリア風の照明塔

大阪の地下鉄路線のなかで、もっとも古い歴史を持つのが昭和8年に開業した御堂筋線。
現在も要地を南北に貫く大動脈ですが、開業当時から使用されている梅田、淀屋橋、心斎橋、本町の4駅は、高い天井のホームになっています。ここに、当時の大阪の勢いを見ることができます。実はこれらの駅は、開業当時のままの大きさなのです。
日本初の地下鉄は東京の銀座線。これは民間の会社が建設したため、建設費が抑えられました。各駅の天井が低いのも、その理由のひとつです。
一方、大阪では当時の大阪市が建設。将来を見据えた都市計画の下、建設されました。同じ地下鉄ながら、建設思想が全く異なります。頭上の御堂筋と一体に建設されたのも、行政主導ならではかもしれません。
1両編成の車両に12両分のホーム、これが開業当時の御堂筋線の姿。現在のホームに立つと、その先見の明の凄味が感じられます。

驚きの路線トリビアがもりだくさん

日本に鉄道が誕生して間もなく150年。この長い間に、大きく役割が変わっていった鉄道路線も少なくありません。
ひとつひとつの路線の歴史のなかに、意外な素顔が秘められていることも。
『鉄道路線誕生秘話』では、歴史とそのなかに流れる物語を紹介。路線にもさまざまな個性があることに気づきます。


交通新聞社新書『鉄道路線誕生秘話 日本列島に線路がどんどんできていた頃』

日本列島に張り巡らされたたくさんの鉄道路線にはそれぞれの歴史があります。当書は、その中から「誕生」というキーワードでピックアップ。その路線の生い立ちをわかりやすく解説しています。どの路線も今の時代からみるとびっくりするようなプロフィールがあります。鉄道の深さ、歴史の長さ、変わりゆく時代の様を、読み解いていきます。

著者:米屋こうじ
1968年、山形県生まれ。鉄道に生活感や歴史を求めて、日本と世界を旅しながら撮影を続けるカメラマン。人の手により受け継がれる鉄道遺産を取材した『ニッポン鉄道遺産』(交通新聞社・共著)、アジア鉄道旅でのふれあいを綴った『ひとたび てつだび』(ころから)、“国鉄一族”だった自身の家族の記憶を綴った『鉄道一族三代記』(交通新聞社新書)など著書多数。月刊『旅の手帖』などでも執筆。

発売日:2020年4月15日
定価:990円(本体900円+税)


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