行ってみてわかった、『日本列島改造論』の意義
突然ですが、「新潟県柏崎市」と聞いて何を思い出しますか?
鯛茶漬け、海水浴場、「ぎおん柏崎まつり」の花火などなど。
さらに、あの総理大臣の出身地としても有名です。そう、「平民宰相」とも呼ばれ、昭和の政界で絶大な人気を誇った田中角栄!
角栄は、今から50年前に刊行された『日本列島改造論』で、国をより豊かにするための交通網のあり方を問い、鉄道についても重要性を訴えました。新幹線を「地域開発のチャンピオン」と言い、新幹線網の整備に尽力。この秋開通となる「西九州新幹線」もこの本に書かれています。今も、角栄の計画した鉄道政策は進行中なのです。
そんな話が詰め込まれた交通新聞社新書『「日本列島改造論」と鉄道』を編集担当することになった私。『日本列島改造論』の発表から50年の節目の年、タイムリーな新刊になると企画したからには、50年前のこと、田中角栄のことを少しでも知っておかねばならない!
かくして、取材を兼ねた新潟旅行へと出かけました。
- ※トップの写真は、1969年、『交通新聞』のインタビューに応じる自民党幹事長・田中角栄(左)と、現在の柏崎駅(右)
柏崎に行ってみた
柏崎市へは、東京駅から上越新幹線と在来線を乗り換え2時間30分ほど。上越新幹線は、角栄が生み出したものです。この日はまだ寒さが残る3月中旬。高崎を越えるとぐんぐんと緑の中を進み、雪がかった山々がちらほらと見えてきました。
あっという間に長岡駅に到着。ここで信越本線に乗り換え約40分、柏崎駅に到着です。
柏崎駅から角栄生家の周辺までは越後線で20分ほど。この日は礼拝駅まで電車に揺られ、田中角栄記念館までさらに20分ほどウォーキング。
写真からもわかるのどかな雰囲気。なんだか自分の故郷まで思い出してしまいました。遠くの山を見ると、角栄がいわゆる「三国峠演説」で、新潟と群馬の境にある三国峠を切り崩して平らにし佐渡まで地続きにしよう、といった気持ちにうなづけます。鉄道を通して都市と地方の差をなくしたい、と願った角栄ですが、その発想はこの地で生まれたからこそなのでしょう。
そうこうしているうちに、田中角栄記念館に到着。記念館には角栄の書をはじめとした多数の展示品が。映像でも角栄の功績を実感した後は、近くのお食事処で名物の「のっぺ定食」を実食。郷土料理はいつだって訪問者を暖かく迎え入れてくれる気がします。この地の良さを感じました。
おなかが満たされた後は、角栄の生家まで歩きます。記念館からは徒歩約5分の距離。木々に囲まれた家を見て、ここで生まれ育ったのかとしみじみしました。
うん、なんだか角栄の考えが分かった気がする! 大規模な交通インフラの整備までして、地方を大切にするのは、ここに根付く人・ものを大切にしようという気持ちあってこそでしょう。
角栄の想い、今もずっと……
帰りも来た道を戻り、新潟駅から上越新幹線で東京へ戻ります。疲れた体を新幹線にゆだね、大清水トンネルをくぐれば関東平野がお出迎え。私たちが今、鉄道で簡単に遠くまで移動できること、これこそ角栄の意思なのです。角栄の想いが現代に活き続けているわけですね。
交通新聞社新書『「日本列島改造論」と鉄道』では、『日本列島改造論』にて打ち出された角栄の提言がどのように現代に影響を与えているのか、さまざまな地方ローカル線の例を挙げています。角栄の提言の答え合わせを、ぜひ本書で!