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2023.02.06鉄道鉄道開業150年「JR東日本 懐かしの駅スタンプラリー」攻略法  ④応用篇 スタンプラリーとともに楽しむ鉄道の歴史めぐり

スタンプを集めながら、150年の鉄道の歴史を体感する

1月13日からスタートした、鉄道開業150年「JR東日本 懐かしの駅スタンプラリー」も後半戦に差し掛かりました。

このスタンプラリーのタイトルにもあるように、2022年、日本の鉄道は開業150年を迎えました。周辺の街とともに大きく進化し、留まることなく未来へと進んでいます。そんな時の流れの中でも失われず、鉄道の歩みを伝えるスポットがあります。現役施設として、または雰囲気を残しながら新たな施設として――風景に溶け込み存在しているのです。

そこで、「さんたつ by 散歩の達人」で廃墟を愛でる「廃なるものを求めて」を連載中の、私こと写真作家の吉永陽一が、今までの取材や写真散歩で出合った鉄道遺構など、「実際に見て観察してほしいな」と思った都区内エリアのスポットを紹介します。

乗り降り自由のおトクなきっぷ「都区内パス」を利用して「懐かしの駅スタンプラリー」に参加するのであれば、スタンプを集めるだけではもったいないです。せっかくですから鉄道開業から150年分の歴史を探しながら、小さな旅に出かけてみましょう。


  • 提供:東日本旅客鉄道株式会社

品川駅周辺 ―鉄道開業のころの残り香を感じ想像してみる―

1872(明治5)年10月14日、日本で初めての鉄道が新橋駅~横浜駅間に開業しました。

実は、その4カ月前の6月12日に、一足先に品川駅~横浜駅間が仮開業しています。品川駅と新橋駅の両駅は仮開業と本開業それぞれの日本初の駅ということになります。


品川駅西口は「品川未来プロジェクト」の再開発中。「品川駅創業記念碑」が仮置きされています

その駅のひとつ、スタンプが設置された現在の新橋駅は、大正時代に誕生した2代目。初代駅が汐留の地にあったのは有名な話で、汐留シオサイト1区B街区には行き止まり式の駅構造の初代新橋駅「旧新橋停車場」が復元保存されています。

江戸時代初期、汐留は砂州のある海岸でしたが、その海岸部を埋め立てて龍野(たつの)藩、仙台藩、会津藩の大名屋敷が建てられました。初代駅はそんな大名屋敷の跡地に設置されたのです。鉄道開業前の明治初め、東京湾の海岸部はまだ埋め立てられておらず、現在の田町駅付近は海でした。海岸部には軍用地と東海道があり線路敷設の用地確保が困難だったため、海上に築堤を建設し、品川駅まで至ります。

また、海岸部には漁港が点在していたため、築堤には船の出入り用の水路と橋梁が設けられていました。田町駅で下車、浜松町駅寄りにある薩摩藩蔵屋敷跡近くの本芝公園は、江戸時代初期から1968(昭和43)年まで雑魚場(ざこば)でした。その後、埋め立てられ、1970(昭和45)年4月1日に公園が開設されました。


かつて雑魚場として栄えた本芝公園

本芝公園にある雑魚場架道橋は、東京湾へ漁船が往来した水路のなごり

品川駅で下車。

ずらっと並ぶホームの中で、9番線の田町駅寄りには2002年に設置された品川駅開業130周年記念の安全祈願モニュメントがあります。品川駅~田町駅間には、大正時代からの埋立事業により巨大車両基地群が形成され、その中にあった「東京機関区」の電気機関車の車輪が保存。車両基地のあった時代を今に伝えています。


品川駅西口は2階建て鉄筋コンクリート駅舎で、1953(昭和28)年から品川駅の顔として活躍

駅から南へと歩くと、八ツ山橋(やつやまばし)に到着します。

線路の西側は東京山の手を形成する武蔵野台地の端部で、明治初期までは東側が東京湾でした。幕末までは八ツ山があったのですが、お台場建設の土砂に使用するため山を削る大事業が行われました。

品川駅は最初、この八ツ山橋付近にありましたが、明治中期に現在地へ移転。埋立事業が進み、高層ビルが立ち並ぶ姿になりました。開業時の遺構はありませんが、八ツ山橋から往時を想像するのも面白いですね。


初代品川駅は京急の鉄橋の先にありました。八ツ山橋は東海道と鉄道を立体交差させるため明治5年に架橋。いまは4代目

飯田橋駅・四ツ谷駅周辺 ―中央線の前身、甲武鉄道市街線の足跡を辿る―

中央線の前身は私鉄の甲武(こうぶ)鉄道です。1904(明治37)年に飯田町駅〜中野駅間の市街線を電化し、路面電車を除く鉄道としてはいち早く電車を導入しました。電化当時の車両は、さいたま市大宮の「鉄道博物館」に保存されています。

そんな甲武鉄道市街線の足跡を辿ります。スタンプ設置駅の御茶ノ水駅・四ツ谷駅の間にある飯田橋駅で下車。東口改札から「飯田橋アイガーデンテラス」へ向かいます。

そこは甲武鉄道の始点、1895(明治28)年開業の飯田町駅があった場所。「甲武鉄道始点の地」と「飯田町駅跡」のモニュメントがあります。甲武鉄道は電化の2年後に国有化され、中央線となりました。


「飯田橋アイガーデンテラス」の広場に埋め込まれた甲武鉄道当時の起点を伝えるレールモニュメント

「飯田橋アイガーデンテラス」3階にある甲武鉄道の「0キロポスト」モニュメント

飯田橋駅へ戻ります。

ホームは一部移設改修工事が行われ、外堀の牛込見附跡の牛込橋を挟んだ市ケ谷駅寄りに移転しました。興味深いことに、移転した地点は甲武鉄道牛込(うしごめ)駅のあった位置なんです。飯田町駅と牛込駅は近接していたため、中央線の複々線化によって両駅を統合して飯田橋駅が開業したのです。

牛込駅跡に今再びホームが誕生するのは面白いですね。


飯田橋駅のホーム位置は1928(昭和3)年廃止の牛込駅とほぼ同じ位置

中央線の飯田橋駅~四ツ谷駅間の線路は外堀の脇にあります。甲武鉄道が都心部へ乗り入れるとき、既に形成されていた市街地や軍の敷地などを避け、用地取得のしやすい外堀に沿って線路が敷設されました。

春になると桜で彩られるお堀端などの車窓の風景は、人口密集地を避けた線路選定によって生まれた光景です。この線形自体が甲武鉄道の名残ともいえましょう。


高台になっている「外濠公園」からは中央線や中央・総武線各駅停車を見ることができます

さらに甲武鉄道のなごりは四ツ谷駅~信濃町駅間にも見られます。

線路は外堀の真田濠から別れ、赤坂離宮(現在の迎賓館赤坂離宮)の端をトンネルで抜けますが、そこが現在の中央・総武線各駅停車 中野・三鷹方面が使用する旧御所トンネルです。重厚感溢れるレンガ製で、単線にしては大きな坑口なのは、開業当時が複線時代だったから。中央線複々線化により、1927(昭和2)年にコンクリート製の「新御所トンネル」が増設されました。


飯田橋駅~市ケ谷駅間の外堀。春となれば満開の桜が出迎え、車窓も淡い桜色に染まります (2014年4月1日撮影)

新橋駅・神田駅周辺 ―現役で使われる2種類の構造のレンガ高架橋―

都心部では、明治末期から大正初期にかけて建築され、現在も使われている高架橋をよく目にします。その中から、浜松町駅北側の浜離宮(はまりきゅう)から新橋駅付近と、神田駅付近の2箇所を紹介します。

1888(明治21)年に公布された都市計画「東京市区改正条例」によって、初代新橋駅手前から市街地を通り上野へ至る市街線高架橋が整備され、「新永間市街線高架橋」の名称で1910(明治43)年に竣工されました。途中には新橋駅に代わる新たなターミナル駅・東京駅が設けられます。

高架橋は、意匠を施したレンガ積みアーチ構造のベルリン市街線高架橋をモデルに、レンガを積み上げるアーチ構造が連続し、壁面にもベルリンの高架橋に倣った、隅石やメダリオンといった意匠が施されています。


新永間の名称の由来は、新銭座町(しんせんざちょう・現在の東新橋付近)と永楽町(現在の大手町)を結ぶことから

また東側の壁面は東海道本線などの線路で隠れていますが、新橋駅北側から高架橋下を活用した施設が、スタンプも設置されている「日比谷OKUROJI」です。

飲食店やアート空間に囲まれながらレンガ高架橋の構造もつぶさに観察できます。


新橋駅南側の源助橋架道橋から東京駅方面へかけてレンガアーチ高架橋が続きます

新橋駅南側の日陰橋架道橋の裏(東側)を覗くと、メダリオン装飾と思しき正円の跡が(写真右上)

神田駅周辺のレンガ高架橋に見るコンクリートアーチ構造

東京駅でスタンプを押したら、そのまま高架沿いを神田駅方向へ歩きます。

外堀の日本橋川を渡る「外濠橋」は黎明期のコンクリートアーチ橋で、1919(大正8)年竣工。続いて神田駅周辺は、東京駅から中央線万世橋駅(1943<昭和18>年廃止)まで延伸する際の高架橋で、鉄筋コンクリート造となりました。

でも、高架橋を見ても同じレンガです。すでに開通していた「新永間高架橋」と景観を合わせ、鉄筋コンクリートで建設した後、表面をレンガで施工。「新永間」よりはシンプルですが意匠も施されており、一見してレンガ高架橋が連続するような構造としたのです。

こちらはベルリンの影響というよりは、景観を合わせることにより誕生した姿といえましょう。


神田駅南側の高架橋は一見してレンガアーチだが鉄筋コンクリート造です。シンプルだが意匠も

日本橋川の北側にある白旗橋付近は軟弱地盤のためラーメン構造。アーチとは異なる構造だと外観からもわかります

レンガ積み風の鉄筋コンクリート高架橋は、一部地盤が弱い箇所と神田駅部分に、アーチ橋ではなくラーメン構造や桁式高架橋が用いられました。これは橋脚に桁を置いた構造で、アーチよりも軽量で軟弱地盤に効果があり、また高架下に四角い空間ができるため、空間を有効に活用できる利点があります。

この2種の構造の高架橋は、関東大震災や戦災を乗り越え、補強工事を施しながら現役です。これからも活躍していくことでしょう。


神田駅周辺で見られる桁式高架橋。御茶ノ水駅方面へ進むとアーチ構造に変わります

尾久駅・田端駅周辺 ―巨大鉄道車両基地と鉄道スポットめぐり―

宇都宮線(東北本線)尾久駅のホームに降りると、何十本も線路が敷かれた尾久車両センターを目にします。南側には電気機関車の拠点もあります。

上野駅にあった車両基地が手狭となって、大正時代に現在地へ移転されたのが、尾久車両センターのルーツです。

敷地は広大で、駅を出て線路沿いを王子駅方面に歩くと梶原踏切がある敷地終端まで5分以上はかかります。踏切の隣に跨線橋「上中里さわやか橋」があるので上から望むと、はるか南まで架線柱がびっしり、圧巻の光景です。


尾久駅舎隣の駐輪場にはEF81形電気機関車を模した壁面がお出迎え

「上中里さわやか橋」から望む尾久車両センター。この日は幸運にも右端にE001形〔TRAIN SUITE 四季島〕、遠くにはE26系〔カシオペア〕が見えました

「上中里さわやか橋」を渡り、車両基地の敷地に沿って日暮里駅方面に歩くこと10数分。右手にも線路が現れてきました。電気機関車が休息し、時おり貨物列車も停車します。

その奥には鮮やかな色彩の東北・上越・北陸新幹線の車両を管轄する東京新幹線車両センターがあります。

1985(昭和60)年、貨物列車を捌いていた旧田端操車場跡地に「上野第一運転所」として誕生した車両基地で、開設当初は200系車両のみでしたが、今やE2系、E3系、E5系、E6系と、様々な新幹線車両が休息しています。


柵越しにEF81形を間近で。背後には新幹線の車両も見えます

田端・尾久の両車両基地を結ぶ「東北回送線王子街道南亘り踏切」。運がよければ機関車の通過が見られるかも

新幹線を右手に田端駅へ歩きます。

田端駅前の跨線橋「田端ふれあい橋」には200系新幹線のノーズ、車輪、転轍機など鉄道遺物がオブジェとなって保存されています。


田端駅前の「田端ふれあい橋」には東北本線で使用されたレール、200系新幹線の車輪とノーズを展示

さらに、田端駅から田端高台通りを北へ10分ほど歩くと、山手線を跨ぐ富士見橋に到着。右手の法面(のりめん)に、歴史を感じるレンガの遺構があります。

これは「道灌山(どうかんやま)トンネル跡」で、坑門の壁柱部分が法面から突出しています。線形変更によって廃止となり埋められました。山手線にトンネルが存在したことがわかる小さな遺構です。


山手線駒込駅~田端駅間の法面に突出した道灌山トンネル東口坑門の一部

日暮里駅・東十条駅周辺 ―開業140周年の上野駅~熊谷駅間の歴史を垣間見る―

今年、2023年は上野駅~熊谷駅間が開業140周年を迎えます。スタンプラリーをしながらその歴史もめぐってみましょう。

1883(明治16)年7月、私鉄の日本鉄道によって開業しました。始点の上野駅は、寛永寺境内の一部だった上野公園の脇にある土地を活用して駅を設置。現在は1932(昭和7)年築の2代目駅舎が、建築当時の雰囲気を保ちながら現役です。

上野駅から北上する線路は、上野公園の敷地外側を左へ大きくカーブ。武蔵野台地の終端部の崖を左手に、線路は台地の真下を走ります。ここは、太古は海でした。日暮里駅までの間に台地の段差を利用した歩道用跨線橋が3箇所あり、列車ウォッチングの名所となっています。

その一つ、日暮里駅北改札口前の「下御隠殿橋(しもごいんでんばし)」は地上に現れた東北新幹線や、右へ分岐する常磐線も見ることができ、ママ鉄・子鉄には大人気です。次々と眼下を走り抜ける電車をずーっと眺めていると、童心に返った気分に浸れて癒されます。


さまざまな列車を見ることができる跨線橋「下御隠殿橋」には、トレインミュージアムと呼ばれるバルコニーが設置されています

列車ウォッチングといえば、王子駅のすぐ近くにある北区の施設「北とぴあ」の展望台は外せません。

展望台は、眼下に東北本線、東北新幹線、都電荒川線を見ることができ、撮影場所にももってこいです。人気なので譲りあって電車を鑑賞しましょう。


「北とぴあ」の北側からの眺望。奥の跨線橋は太平洋戦争の終戦まで軍用線で、右端は近年まで王子製紙の貨物専用線がありました

上野駅~熊谷駅間は線路設備がどんどん進化しており、開業当時の遺構を見ることは難しくなりました。そんな中で日本鉄道時代の荒川橋梁の一部を見ることができる東十条駅前の「十条跨線橋」は大変貴重な存在です。道路跨線橋として現在も利用されています。

1895(明治28)年竣工の初代荒川橋梁で、複線化にともない架設されたポニーワーレントラス橋は、関東大震災での被災と列車荷重の増大を理由に架け替えられました。その際、下十條駅(現在の東十条)開業にあたり、東北線を跨ぐ橋として約30m径間の橋梁を再利用したのです。

「十条跨線橋」は老朽化による架け替え計画があり、今見ておきたい日本鉄道時代の生き証人です。


東十条駅南口の前にある「十条跨線橋」は、日本鉄道の忘れ形見

スタンプラリーで豊かな時間を過ごすために

駆け足で150年の鉄道の歴史に触れてきました。紹介した以外にも歴史に触れられる場所は数え切れません。その最寄駅はスタンプ設置駅とは違う駅の場合がありますが、途中下車をして散策するのもいいでしょう。

そんな旅に便利なのは「都区内パス」や、土曜・休日限定の「休日おでかけパス」「のんびりホリデーSuicaパス」といった乗り降り自由のおトクなきっぷです。首都圏は電車の本数も多いので、焦らずに余裕を持ったプランで、スタンプラリーとともに150年分の鉄道の歴史を楽しみませんか。

鉄道開業150年「JR東日本 懐かしの駅スタンプラリー」開催概要


◆開催期間
2023年1月13日(金)~3月6日(月)
※賞品引換は2023年3月7日(火)まで

◆スタンプ設置箇所
首都圏全50駅の改札外(一部の駅を除く)に設置

◆賞品
【10駅達成賞】
50駅踏破用スタンプ帳、復刻時刻表風オリジナルノート

【50駅踏破賞】
50駅踏破記念メダル
さらに、専用応募サイトから応募すると、抽選で豪華賞品が合計151名様に当たる



著者紹介

吉永 陽一

写真作家
東京都出身、大阪芸術大学写真学科卒。建築模型スタッフを経て空撮の写真家へ。先人の鉄道空撮に憧れて自分の目線での鉄道空撮に取り組み、「空鉄(そらてつ)」の名で15年以上ライフワークとしている。またフィルムでの鉄道情景、学生時代より続けている廃墟の作品制作も並行し、それが高じて「さんたつweb」にて「廃なるものを求めて」を連載中。

  • 文・写真撮影:吉永陽一
  • 掲載している情報は2023年1月現在のものです。事情により変更になる可能性があります。

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