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2021.03.24旅行【滋賀・京都を歩く】坂本・亀岡に明智光秀のゆかりの地を訪ねて

近年、イメージが一新!話題の武将・光秀

今、大きな注目を集めている戦国武将・明智十兵衛光秀。かつては主君・織田信長を裏切った“謀叛人”というイメージでしたが、近年は文武に優れ教養のある武将と知られるようになり、その人物像も一新されつつあります。それもそのはず、実は光秀が領地として治めていた地では、古くから名君として慕われていたのです。初めて城主となった滋賀の坂本エリア、本能寺へと出陣した地・京都府亀岡市に、光秀の面影を訪ねてみましょう。

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2つの居城と“名君”明智光秀の足跡

滋賀は光秀のターニングポイント

明智光秀は美濃(岐阜県)の出身とされますが、異説もあるなど、前半生がはっきりしていない武将です。歴史上確かな活躍が認められるのは、織田信長が足利義昭を新将軍に付けようと上洛した頃から。以降京都や近江(滋賀県)が光秀活躍の舞台となります。ターニングポイントは元亀2年(1571)。信長が比叡山を焼き討ちにした後、その山麓・滋賀郡(現在の滋賀県大津市)が光秀に与えられたのです。この地に光秀が築いたのが坂本城。現在城は残っていませんが、光秀ゆかりの西教寺などがその面影を伝えています。


大津市の西教寺。坂本城主の光秀が、焼き討ち後の復興に尽力した

光秀と丹波亀山。そして本能寺へ

続いて光秀は信長から丹波攻略を命じられ、天正3年(1575)頃から亀山(現在の亀岡市)を足がかりとして平定を目指しますが、かなりの苦戦を強いられたようです。平定後は丹波1国も領地として加えられ、丹波亀山城を拠点に領国経営に手腕を発揮。亀岡の町の基礎も光秀が作ったとされています。
天正10年(1582)、信長を討つため本能寺へ出陣した地も丹波亀山城でした。11日後の山崎の戦いに敗れた後、坂本城では家臣が最後まで戦ったそうです。後世、悪役として描かれることが多かった光秀ですが、坂本でも丹波でも領民たちから慕われたと伝わるのは、興味深いところです


亀岡市の丹波亀山城跡。光秀が本能寺へと出陣した地でもある

亀岡光秀まつりの「明智光秀公武者行列」。町の基礎を作った人物として慕われる

【坂本】比叡山の門前町 光秀ゆかりの寺院を訪ねる

光秀が領主となった地

琵琶湖の西を通って京都と敦賀を結ぶJR湖西線。明智光秀が初めて城持ちの領主となった地が、この湖西線沿いの大津市北部エリアです。旅の起点は比叡山坂本駅。湖側(南)に向かえば光秀が築いた居城・坂本城の跡、山側(西)には延暦寺の門前町・坂本と比叡山があります。立地関係を見れば、信長がこの地に光秀を抜擢して配置した狙いがうかがえる気がします。

西教寺に伝わる光秀の人柄


西教寺・宗祖大師殿の唐門。眼下には琵琶湖が広がる

滋賀の光秀の面影を訪ね、バスに乗って山麓の高台にたたずむ古刹・西教寺へ。聖徳太子の創建と伝わり「不断念仏」の道場だったこの寺もまた信長の比叡山焼き討ちと同時に焼失します。新領主となった光秀はすぐにお堂の再建など復興に尽力。境内の入り口に立つ総門は坂本城の城門を移築したものと伝わり、大本坊の建物からは昭和の改築時に「天正年中明智公所造古木」と彫られた古材が発見されたそうです。


西教寺総門。坂本城の城門を移築したものと伝わる

光秀と西教寺の密接な関係を示すものが本堂正面脇に残されていました。明智一族の墓所です。石像群を挟んで反対側には光秀の妻・煕子(ひろこ)の墓も。煕子は坂本城で病に倒れ、夫に先だつように亡くなってしまいます。この時代は通常、妻の葬儀に夫は参列しなかったそうですが、寺に伝わる古文書によると光秀は西教寺で執り行われた葬儀に参列したそうです。側室も置かず煕子一途だった愛妻家・光秀の人柄がしのばれます。


光秀の愛妻・煕子の墓。西教寺の境内の一角に立つ

幻の城・坂本城


坂本城址公園の湖畔から、本丸推定地方面を望む

光秀探訪の旅ならば、坂本城址公園も足をのばしたい場所。坂本城は湖に面して築かれた水城形式の城郭で、宣教師フロイスは「明智の築いた城は、豪壮華麗で信長の安土城に次ぐ城」と記述しています。残念ながら現在城の面影はまったく残っていませんが、湖中からは本丸の石垣が確認されているそうです。本能寺の変と同様に、全貌が未解明なのも光秀らしい歴史ロマンかもしれません。


坂本城址公園に立つ明智光秀像

本丸推定地近くの坂本城址公園には愛らしいフォルムの光秀像が。光秀や煕子が見た琵琶湖の風景はどのようなものだったのでしょうか。旧街道筋に面した東南寺の門前には「坂本城址」の石碑が立っており、このあたりが坂本城二の丸跡と考えられています。幻の城ですが、現地を歩けばそのスケール感がわかるのはやはり旅の醍醐味ですね。


西教寺

住所 滋賀県大津市坂本5-13-1
問い合わせ先 077-578-0013
時間 9:00~16:30
定休日 なし
交通アクセス JR湖西線比叡山坂本駅からバス約7分の西教寺下車すぐ
値段 500円
URL http://saikyoji.org/

坂本城址公園

住所 滋賀県大津市下阪本3
問い合わせ先 077-578-6565(坂本観光案内所)
交通アクセス JR湖西線比叡山坂本駅からバス約5分の石川町下車、徒歩2分
URL https://otsu.or.jp/thingstodo/spot179

【亀岡】丹波攻略の拠点 光秀が理想を描いた城下の名残を追う

光秀公のまち・亀岡

光秀探訪の旅でJR亀岡駅に到着したら、まず立ち寄りたいのが駅構内にあるかめまるマートです。観光案内所に併設されている物産ショップには、所狭しと光秀グッズが。ちなみに「かめまる」とは、観光キャラクターの明智かめまるのことで、町のいたるところで出合えます。


改札すぐ脇にあるかめまるマート。エリアの地図などもこちらでそろう

亀岡の特産品や地酒、かわいいかめまるくんグッズもおすすめ

名字が明智なのでお気づきかもしれませんが、かめまるの誕生地に設定されているのが光秀が築いた丹波亀山城の外堀の池。その池のある南郷公園に向かうと、大きな明智光秀像が出迎えてくれます。亀岡の礎(いしずえ)を築いた偉人を顕彰するため募金をつのって建てられたとのことで、「亀岡は光秀公のまち」という地元の念願を感じます。


令和元年(2019)に建立された町のシンボル・明智光秀像

町そのものが光秀の面影

光秀は丹波平定に着手した際、まずここから1キロほど西にある丸岡城(余部城・あまるべじょう)を落として拠点とし、その後、荒塚山に新しい城を築いたそうです。これが丹波亀山城です。南郷公園から城跡へと歩くと、山というより小さな丘陵になっていることがわかります。


光秀丹波攻略の足がかりとなった丸岡城(余部城)跡


丹波亀山城跡・本丸の石垣

城内の見学は申し込みが必要となりますが、本丸の石垣の下の大イチョウは光秀公お手植えの木の代替わりと伝えられています。城跡から南側へと歩くと、昔懐かしい趣(おもむき)を残す城下町エリア。町も光秀が城を作ったことから始まったと考えられています。地元の人材を積極的に登用し、商売がしやすい町づくりを進めたという光秀。亀岡の町そのものが善政家・光秀の面影といえるのではないでしょうか。


丹波亀山城跡の大イチョウ。光秀公お手植えとの伝承がある

亀岡の城下町エリア。風情ある町家も残る

“桔梗”への追慕


谷性寺「ききょうの里」に咲く桔梗

光秀のトレードマークであり、明智家の家紋といえば桔梗。亀岡駅からバスで30分ほどののどかな郊外の集落に、「桔梗寺」「光秀寺」とも呼ばれる谷性寺(こくしょうじ)があります。こちらのお寺のご本尊・不動明王を光秀が篤く信仰したと伝わっており、境内にはなんと光秀の首塚が。


伝説では山崎の戦いに敗れた光秀を介錯した重臣が「不動明王様のそばに葬るように」と首を託したのだとか。お寺の一帯は6~7月のシーズンとなると約5万本もの桔梗が咲き誇る「ききょうの里」となります。光秀が領民たちに追慕され続けてきた丹波の歴史の一端を感じました。


かめまるマート

住所 京都府亀岡市追分町谷筋1-6 JR亀岡駅観光案内所
問い合わせ先 0771-22-0691(亀岡市観光協会)
時間 9:00~17:30
定休日 年末年始(12/29~1/3)
交通アクセス JR嵯峨野線亀岡駅構内
URL https://www.kameoka.info/info/

南郷公園

住所 京都府亀岡市古世町西内坪
問い合わせ先 0771-22-0691(亀岡市観光協会)
交通アクセス JR嵯峨野線亀岡駅から徒歩5分

丹波亀山城跡

住所 京都府亀岡市荒塚町内丸1
問い合わせ先 0771-22-5561(宗教法人大本)
時間 9:30~16:30(受付は~16:00)
定休日 なし ※見学受入期間変更の場合あり
交通アクセス JR嵯峨野線亀岡駅から徒歩10分
値段 300円
URL https://oomoto.or.jp/wp/parking/

谷性寺

住所 京都府亀岡市宮前町猪倉土山39
問い合わせ先 0771-26-2054
時間 境内自由
交通アクセス JR嵯峨野線亀岡駅からバス約28分の猪倉下車、徒歩5分
値段 無料
URL https://www.kameoka.info/seeing/kokushouji.php

足を延ばして 京の奥座敷 湯の花温泉でひと休み

京の奥座敷・亀岡市の山間部に湧く湯の花温泉は、戦国時代に傷ついた武将たちが刀傷を癒したとの伝説も残る温泉郷です。いわゆる温泉街ではなく、豊かな自然に抱かれる静かな山里にお宿が点在。人と人とが密になりすぎず、日常の喧騒を忘れてゆったりと過ごすにはぴったりの場所です。それでいてJR亀岡駅から車で15分という立地ですから、京都観光がてらにちょっと足を延ばせる温泉地でもあります。


プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選「料理部門」に連続入選したという旅館「おもてなしの宿 渓山閣」では、日帰り温泉※の利用も可能。総ひのき造りの女湯、白壁造りの男湯など贅をつくした広いお風呂が自慢で、お庭や自然の風景を眺めながら味わう湯は格別です。泉質は単純弱放射能温泉(天然ラジウム温泉)で、クセのない湯ざわり。さらに平日お昼には、自慢のお料理とお風呂がセットになったプラン(2,000円・税別)も。くつろぎの温泉と美食、足を延ばしたつもりがついつい長居したくなるような癒やしの時間が流れています。
※日帰り入浴は、感染症対策のため、混み具合によって制限がある場合もあります。


おもてなしの宿 渓山閣

住所 京都府亀岡市ひえ田野町佐伯下峠20-6
問い合わせ先 0771-22-0250
時間 日帰り温泉11:00~20:00
定休日 なし※臨時メンテナンスの場合あり(HPに掲載)
交通アクセス JR嵯峨野線亀岡駅から車で約15分
値段 日帰り温泉 月~金曜800円、土・日・祝日1,000円 ※フェイスタオル付
URL http://www.keizankaku.com/
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