おだやかな海を望む絶景路線・予讃線
日本全国津々浦々を繋ぐ鉄道路線。
そんな日本の鉄道路線は、150年以上の歴史を持ちます。
日常の一部でもある鉄道路線は地域と密接に関わり、様々な歴史とともに走ってきました。
通勤・通学で使用する馴染みのある路線にも、思いがけない歴史があるかもしれません。
旅の目的地へ連れて行ってくれる路線には、見逃せない車窓が待っています。
さあ、鉄道路線の歴史の風を感じてみませんか?
今回は、青春18きっぷのポスターを始め、CMやドラマの舞台にもなっている「下灘駅」があり、瀬戸内海と宇和海に沿って香川県と愛媛県を繋ぐ予讃線をご紹介します。
予讃線の歴史
四国北部の海岸線を忠実にたどり、瀬戸内海を見晴らす絶景路線であると同時に、四国の大動脈でもある幹線鉄道。
香川県の高松駅と愛媛県の宇和島駅とを結ぶ、全長327.0 km(支線を含む)の予讃線には、そんな2つの顔があります。
特急〔しおかぜ〕〔いしづち〕〔宇和海〕といった特急が多数運行される一方、国鉄型の気動車が瀬戸内海を見晴らしながらトコトコと走る区間もあり、趣ある列車の旅を存分に楽しめる路線です。
沿線にはしまなみ海道の玄関である今治、道後温泉で有名な松山など多彩な観光地があり、年間2日しか列車が停車しない駅や、特急型車両を使った普通列車などユニークな鉄道スポットも豊富です。
全通までに半世紀以上をかけた四国の大動脈
予讃線は、全線開業までに長い年月を要した路線です。その歴史は、1889(明治22)年に丸亀~多度津~琴平間に開業した讃岐鉄道に始まります。1897(明治30)年に高松まで延伸したのち、山陽鉄道による買収を経て、1906(明治39)年12月に国有化。
大正時代に入ると多度津から愛媛方面への鉄道建設が始まり、1927(昭和2)年4月に松山まで開業しました。この頃は、讃岐と伊予を結ぶ鉄道として「讃予線」と呼ばれていましたが、「山陽線」と紛らわしいことから1930(昭和5)年に「予讃線」、その後「予讃本線」に改称されました。
その後、軽便鉄道として開業していた愛媛鉄道と宇和島鉄道を買収して、宇和島への延伸が始まります。
最後に八幡浜~卯之町間が開業して高松~宇和島間が全通したのは、太平洋戦争終戦間際の、1945(昭和20)年6月20日のことでした。
全通に半世紀以上を要した予讃本線でしたが、向井原~伊予大洲間は伊予灘と肱川に沿って遠回りをするルートで、地すべり地帯でもあったことから、支線である内子線を活用した短絡ルートの建設が計画されます。
「内山線」として計画されたこの路線は、国鉄末期の1986(昭和61)年3月3日に予讃本線の支線として向井原~内子間と新谷~伊予大洲間が開業。内子線とあわせて、現在はこちらがメインルートとなっています。
1987(昭和62)年4月に国鉄が分割民営化されてJR四国として再スタートを切ると、線路名称が見直され、1988(昭和63)年、「予讃線」に改称されました。
予讃線の見どころ
アンパンマン列車も人気の高松~松山間
高松駅から、予讃線の旅に出かけましょう。高松~松山間は電化されており、原則として電車による運行が行われています。
特急は、おもに高松発着の〔いしづち〕と、岡山から直通する〔しおかぜ〕の2種類があり、朝晩を除いて宇多津~松山間で併結運転を行っています。車両は、1992(平成4)年登場の8000系電車と、2014(平成26)年デビューの8600系電車。
最新車両である8600系は、空気ばねを調整して車体を傾けカーブを高速に通過する空気ばね式車体傾斜装置を、JR四国として初めて採用しました。デザインコンセプトは「レトロフューチャー(前世紀の近未来デザイン)」で、印象的な先頭部の円形の黒色は蒸気機関車をモチーフとしています。
主力である8000系を使用する列車のうち、〔いしづち〕3本と〔しおかぜ〕2本は「アンパンマン列車」。車両の内外にアンパンマンと虹がカラフルにデザインされており、家族連れに大人気です。
高松駅から乗車する場合、車窓風景は瀬戸内海が見える右側がおすすめ。特急ならA席側です。
高松から多度津までは、讃岐平野を進みます。周辺には、讃岐平野特有のおむすびのような形をした小高い山が点在。宇多津駅の先で左手に見える円錐状の山は、「讃岐富士」の別名で知られる飯野山(422m)です。土器川を渡ると、360年前に築かれた天守が現存する丸亀城も見えてきます。
多度津で土讃線と別れると、いよいよ瀬戸内海沿いに出ます。海岸寺駅から詫間駅までが、最も波打ち際に近づく屏風浦の区間。亀笠島や高見島など、瀬戸内海に浮かぶ島もよく見えます。
津島ノ宮駅は、日本一営業日数が短い駅として知られています。
毎年、海岸からおよそ300m沖合の津島にある津嶋神社で夏季例大祭が行われる8月4・5日の2日間しか、列車が停車しないのです。毎年この2日間は、夏季例大祭に訪れる人とレイルファンで賑わいます。
再び海岸に近づくのは、観音寺駅を過ぎた豊浜~川之江間。山が海岸に迫り、国道と予讃線は針の穴のような平地を通過します。
大きな製紙工場がある川之江駅からは、石鎚山脈を背にした新居浜平野を西へ進みます。狭い平野に工場や町が集まり、家並みが途切れません。
伊予西条駅は、駅に隣接して「鉄道歴史パークin SAIJO」があり、新幹線0系電車や国鉄DF50形ディーゼル機関車などを保存している四国鉄道文化館と、隣の新居浜市出身で東海道新幹線建設に尽力した十河信二国鉄総裁の記念館を見学できます。
予讃線は進路を北にとり、高縄半島を今治へ向かいます。このあたりは、海岸からやや離れたところを通っており、今治駅の前後もなかなか海は見えません。
次のビューポイントは、菊間駅から浅海・大浦を経て伊予北条駅まで。海岸ギリギリまで張り出した山の斜面に線路が敷かれ、短いトンネルをいくつも通過しつつ高い位置から瀬戸内海を見晴らせます。
光洋台~堀江間でもう一度海を眺めると、松山市街に入って松山駅に到着します。
ちょっとおトクな普通列車もある「愛ある伊予灘線」
幹線らしい趣の高松~松山間に対し、松山~宇和島間は、ローカル線ムードが強くなります。
特急は、1989(平成元)年に土讃線でデビューして以来長年にわたりJR四国の主力車両として活躍してきた、2000系気動車による〔宇和海〕が約1時間ごとに運行されており、うち4本は車体にアンパンマンとばいきんまんが描かれた「宇和海 アンパンマン列車」です。
〔宇和海〕は内陸部をトンネルでショートカットする内子線を経由しますが、松山~宇和島間の醍醐味は、伊予灘・肱川沿いを経由する旧線、通称「愛ある伊予灘線」にあります。
こちらをゆったりと走る観光列車が、松山~八幡浜間で運行されている特急〔伊予灘ものがたり〕です。現在の車両は、特急型車両のキハ185系を改造した2代目で、ゆったりとした海向きの座席で沿線の食材を使った料理を味わい(要事前予約)、車窓伊予灘の景色を存分に楽しめます。
「伊予灘ものがたり」についてもっとくわしく
早起きになりますが、松山5時51分発の旧線経由宇和島行き911Dもおすすめ。この列車は、普通列車ながら、特急型車両を普通列車用に改造したキハ183系3100番代が使用されています。
背もたれの角度は変えられませんが、乗り心地は特急と同じ。ワンランク上の車両で、朝の伊予灘を楽しめます。
伊予灘に沈む夕陽を見られる下灘駅
松山駅から「愛ある伊予灘線」の列車に乗りましょう。
向井原駅で内子方面と分岐すると、峠をひとつ越えて、高野川駅から伊予灘沿いに出ます。ここから5駅先の伊予長浜駅まで、列車は約19 kmにわたって伊予灘を見晴らす高台を走ります。この区間は細かい急勾配や急カーブが多く、列車は車輪を軋ませながらゆっくりと走ります。
時間が許せば途中下車してみたいのが、下灘駅です。
ホームから伊予灘ののどかな風景を見晴らせる絶景の無人駅で、〔伊予灘ものがたり〕もここでしばらく停車します。ただし、休日は観光客で大変混雑するので、ゆったりと訪れるのなら平日がおすすめです。夏なら、19時前後に伊予灘へ沈む夕陽を眺めることもできます。
伊予長浜駅から、「愛ある伊予灘線」は肱川の右岸を走って内陸に入っていきます。内子からの線路が合流する伊予大洲は、「伊予の小京都」とも呼ばれる城下町。伊予大洲駅の先にある肱川橋梁からは、大洲城の復元天守がよく見えます。
伊予大洲駅からは山越えが連続する区間です。港町の八幡浜を過ぎ、下宇和駅を発車すると、最大33‰(1000m進むごとに33mの高低差)という急勾配で山を駆け下り、北宇和島駅で左から予土線が合流すると、終着・宇和島駅に到着します。
讃岐平野から工業地帯、伊予灘と肱川ののどかな景色、険しい山越えと、多彩な表情を見せる予讃線。途中下車をしながら、のんびり乗り歩くのがおすすめです。
著者紹介
- ※写真/交通新聞クリエイト、栗原景
- ※掲載されているデータは2023年5月現在のものです。変更となる場合がありますので、お出かけの際には事前にご確認ください。