トレたび JRグループ協力

2023.08.09鉄道呉線(JR西日本)絶景の海とともに辿る歴史の足跡

観光と通勤、2つの顔を持つ元軍事路線・呉線

日本全国津々浦々を繋ぐ鉄道路線。
そんな日本の鉄道路線は、150年以上の歴史を持ちます。

日常の一部でもある鉄道路線は地域と密接に関わり、様々な歴史とともに走ってきました。
通勤・通学で使用する馴染みのある路線にも、思いがけない歴史があるかもしれません。
旅の目的地へ連れて行ってくれる路線には、見逃せない車窓が待っています。
さあ、鉄道路線の歴史の風を感じてみませんか?

今回は、瀬戸内海の絶景を望み、人々の生活も支える元軍事路線・呉線(JR西日本)をご紹介します。

呉線の歴史

かつての軍事路線はJRを代表する絶景路線に

のどかで美しい瀬戸内海の絶景を、もっとも間近に見られるローカル線であり、広島都市圏の重要な通勤通学路線。そんな2つの顔をもつ路線が、JR西日本の呉線です。広島県の三原駅と海田市駅を結ぶ全長87.0kmの路線で、海田市駅からは3駅先の広島駅まで直通しています。

呉線は、軍都として発展した広島と、旧海軍の軍港があった呉とを結ぶ路線として計画され、1903(明治36)年に呉~海田市間が開通しました。三原~呉間は、昭和に入ってから「三呉線」として建設が始まり、1935(昭和10)年11月24日、三津内海(現:安浦)~広間を最後に全通開業を果たします。これにより、東京と呉が結ばれることになり、東京からの急行列車も運行されました。戦前の呉線は軍事上極めて重要な路線であり、当時の姿はアニメーション映画『この世界の片隅に』にも、呉線や呉駅の様子が細やかに描かれています。


坂の街・呉。戦前は日本一の海軍工廠の街として発展していた

戦後、軍事路線としての役割を失った呉線ですが、もうひとつ、大動脈である山陽本線の補完という大きな役割がありました。
山陽本線八本松~瀬野間には急勾配と急カーブが連続する難所があり、ここを避けて呉線を経由する急行列車が運行されていたのです。山陽新幹線広島~博多間が開業する直前の1974(昭和49)年には、急行〔音戸〕(京都~下関間ほか)と急行〔安芸〕(岡山~広島間ほか)が各3往復、急行〔出島〕(呉~長崎間)1往復と、実に7往復もの急行列車が運行されていました。1975(昭和50)年には、寝台特急〔安芸〕(新大阪~下関間)も登場。こちらは3年で廃止されてしまいましたが、昔から呉線がいかに重要な路線だったかがわかります。

呉線の見どころ

往路と復路それぞれに楽しみがある観光列車「etSETOra」


「etSETOra」で美しい瀬戸内海を眺めながら食べるスイーツは絶品!

呉線を旅するなら、ぜひ乗車したいのが観光列車の「etSETOra」です。2020(令和2)年に、それまで呉線で運行されてきた観光列車「瀬戸内マリンビュー」の車両を再改造する形で登場した列車で、原則として金・土・日・月曜・祝日に広島~尾道間で運行されています。
2両編成の車内は、2人掛けと4人掛けのテーブル付きソファーシートとカウンター席が設けられ、どの席からも瀬戸内海がよく見えます。以前は、広島発は呉線経由、尾道発は山陽本線経由でしたが、今では往復とも呉線経由となりました。往路は「瀬戸の小箱〜和~」「瀬戸の小箱~洋~」、復路は「瀬戸の小箱~チ~」「瀬戸の小箱~焼~」と異なるスイーツセットを味わえ(要事前予約)、復路では1号車のバーカウンターでetSETOraオリジナルカクテル「SETOUCHI BLOSSOM」を注文することもできます。


せとうちの魅力をたっぷり感じるならこの列車!

etSETOra(エトセトラ)
―ラテン語と思いきや広島弁!? 名前の由来から車内の様子、オリジナルカクテルなど徹底解説(THE列車)

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安全性向上に力を注いだ地方都市圏で大活躍の227系。岡山地区でも先日デビューしたばかり

一般の列車はすべて普通列車または快速列車で、三原~呉間はすべての列車が各駅に停車。車両は、227系に統一されています。
2015(平成27)年にデビューした最新型車両で、シートピッチ910mmの転換クロスシートを中心に、車端部にはロングシートを配置したセミクロスシート。車いす対応のトイレを備え、車両全体が広島らしい「赤」のイメージでまとめられています。一部の窓は開きませんが、きれいなガラスで車窓風景もよく見えます。


ゆったりまったりと普通列車でせとうちの旅も。

227系(JR西日本)
高い安全性と居住性を備える地方都市圏の新顔

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三原駅を発車してまもなく窓際に波が打ち寄せる

では、呉線の旅を始めましょう。起点は、三原駅です。
呉線に乗車する場合は、〔のぞみ〕が停車する広島駅から乗車するのが便利ですが、筆者は車窓風景のハイライトを心が新鮮なうちに楽しめる三原駅からのアプローチがお気に入り。もちろん、広島駅からの乗車もおすすめです。市街地が徐々にのどかな景色に変わり、ついに窓のすぐ下まで波が打ち寄せてくるストーリーも格別です。

三原駅を発車した列車はしばらく市街地の高架線を走り、沼田川を渡ると早くも瀬戸内海沿いに出ます。線路は国道よりも手前ですが、高台を通るので眺めはばつぐん。この「市街地を出るといきなり絶景」という感覚が、三原側から乗車したときの大きな魅力です。


車窓一面の青い海! 穏やかな瀬戸内海と島々が連なる絶景が呉線の見どころ(写真=栗原景)

ハイライトは、安芸幸崎~忠海間。短いトンネルを抜けて国道が内陸へ去ると、呉線は海岸に張り出した丘陵地に沿って、まさに水際を走ります。対岸に見える、大きな鉄塔がそびえる島は、「うさぎの島」として知られる大久野島。再び街に入ると、忠海駅に到着です。
古い街並みを残し「安芸の小京都」として知られる竹原駅を過ぎると、しばらく海から離れて山の中を行きます。風早の前後で瀬戸内海と再会しますが、安浦駅からはまた山越え。安登駅の先にあるトンネルの入口付近が、標高約50mの呉線最高地点です。
かつて、愛媛県の堀江港へ国鉄連絡船が発着した仁方駅を過ぎると、大きな街に入って広駅に到着。三原~広間は1時間に1本程度でしたが、ここからは15~30分間隔の運行となり、広島都市圏に入ります。安芸阿賀駅を発車し、全長2582mの呉トンネルを抜けると、呉駅に到着です。

かつての複線化工事の跡が残る呉~海田市間


かつて走っていた観光列車「瀬戸内マリンビュー」。瀬戸内海の絶景が楽しむ列車といえばこの列車だった(2005年撮影)

呉駅までは進行方向左側の車窓がおすすめでしたが、ここからは、運転席の後ろから前面展望を眺めてみましょう。呉駅を発車するとまもなく入るのが両城トンネル。注意深く見ると、左側に煉瓦積みの古いトンネルがあります。
実は、呉~海田市間は輸送力増強のため、太平洋戦争開戦直前の1941(昭和16)年3月から複線化工事が始まっていました。しかし、太平洋戦争が激化すると資材を確保できなくなり、1945(昭和20)年に工事が中断。複線用の施設は戦後そのままになっていました。1970(昭和45)年の呉線電化に際して戦時中に建設されたトンネルが活用されることになり、明治以来の旧トンネルは放棄されました。
旧トンネルは現在も10カ所以上が現存し、そのうちいくつかは列車から見られます。海田市~呉間は、JR発足後乗客が増えたこともあって再び複線化を求める声もありましたが、現在のところ具体化はしていません。

呉駅から先は通勤路線の色彩が強くなりますが、かるが浜から坂にかけては、左手にまた瀬戸内海が見えてきます。テーマパークの呉ポートピアパークや石油の油槽所、ベイサイドビーチ坂などさまざまな施設が見られるのがこの区間の特徴。坂駅でずっと車窓を彩ってきた瀬戸内海ともお別れし、広島市内へ。瀬野川を渡ると右から山陽本線が近づき、呉線の終着・海田市駅です。

瀬戸内海の景色を存分に楽しめ、鉄道の近代史にも触れられる呉線の旅。尾道やしまなみ海道の旅と組み合わせると、一層旅が充実するでしょう。


呉駅近くの灰ヶ峰の頂上からの展望。瀬戸内海に沿って呉線は走っている


著者紹介

栗原 景(くりはら かげり)

1971年、東京生まれ。鉄道と旅、韓国を主なテーマとするジャーナリスト。出版社勤務を経て2001年からフリー。
小学3年生の頃から各地の鉄道を一人で乗り歩き、国鉄時代を直接知る最後の世代。
東海道新幹線の車窓を中心に、新幹線の観察と研究を10年以上続けている。

主な著書に「廃線跡巡りのすすめ」、「アニメと鉄道ビジネス」(ともに交通新聞社新書)、「鉄道へぇ~事典」(交通新聞社)、「国鉄時代の貨物列車を知ろう」(実業之日本社)ほか。

  • 写真/栗原景、交通新聞クリエイト
  • 写真協力/一般社団法人 広島県観光連盟、一般社団法人 呉観光協会
  • 掲載されているデータは2023年7月現在のものです。変更となる場合がありますので、お出かけの際には事前にご確認ください。
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