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2026.03.31鉄道山口線(JR西日本)国鉄時代の雰囲気をまとい、山陽と山陰をつなぐ路線

地域の足として観光路線として活躍する山口線(JR西日本)

日本全国津々浦々をつなぐ鉄道路線。
そんな日本の鉄道路線は、150年以上の歴史を持ちます。

日常の一部でもある鉄道路線は地域と密接に関わり、さまざまな歴史とともに走ってきました。
通勤・通学で使用するなじみのある路線にも、思いがけない歴史があるかもしれません。
旅の目的地へ連れて行ってくれる路線には、見逃せない車窓が待っています。
さあ、鉄道路線の歴史の風を感じてみませんか?

今回は長門や津和野などの観光地を通り、山陽と山陰を結ぶ路線・山口線をご紹介します。

山口線の歴史

山あり谷あり、SLあり。国鉄時代の旅の雰囲気をたっぷり味わえる。JR西日本の山口線は、旅人にとってぜいたくな路線です。山口県の新山口駅と益田駅を結ぶ全長93.9kmの路線で、特急〔スーパーおき〕のほか、JRのSL列車で最も長い歴史を誇る観光列車〔SLやまぐち号〕が運行されています。沿線には県庁所在地の山口市と湯田温泉、そして「山陰の小京都」と呼ばれる島根県津和野町があり、地域の足と観光路線という2つの顔を持っています。

県都への鉄道から陰陽連絡鉄道へ発展

陰陽連絡路線の一つである山口線ですが、当初は山陽本線と山口市を結ぶことを第一の目的に建設されました。そのルーツは、大正時代の初めにさかのぼります。
山口町(現・山口市)は長州藩の時代からこの地方の中心地でしたが、内陸部にあるため山陽鉄道(現・山陽本線)のルートから外れ、鉄道の敷設は遅れていました。1892(明治25)年に制定された旧鉄道敷設法では、現在の山陰本線に相当する予定線の終点を山口町付近としていましたが、具体的なルートも決まらず、実現にはほど遠い状況でした。


小郡駅(現・新山口駅)ホームにて山口線の出発式(1978年8月撮影)

日露戦争後に小郡町(現在の新山口駅付近)と山口町を結ぶ軽便鉄道が開通しましたが、まもなく山陽本線に接続する国有鉄道の建設が決まります。1913(大正2)年2月20日、小郡駅(現・新山口)〜山口駅間が開業。そして同じころ、山口から津和野を経て益田に至る「津和野線」のルートが決定しました。
「津和野線」の建設は、第一次世界大戦後の不況による一時中断を挟みながらも少しずつ進み、1922(大正11)年に島根県側の津和野駅まで開通。そして1923(大正12)年4月1日、津和野駅〜石見益田駅(現・益田)間が開業して全通しました。この年の12月には、山陰本線が石見益田駅まで延伸し、中国地方(岡山・鳥取両県以西)で初の陰陽連絡を果たしたのです。

貴重な気動車を活用した「大迂回・再婚列車」

戦後、昭和30年代に入ると、山口線にも優等列車が登場しました。1960(昭和35)年3月、山口駅〜小郡駅〜博多駅間に準急〔あきよし〕が登場。翌1961(昭和36)年10月改正では、準急〔しんじ〕が山口線全区間での運行を開始します。この〔しんじ〕は、山口線の歴史を語る上で欠かせない列車です。元々は、宇野駅と出雲市駅を伯備線経由で結ぶ山陰・四国連絡準急でしたが、1961年からは運行区間を大幅に延伸。宇野駅から岡山駅、米子駅、石見益田駅を経て博多駅までを結び、走行距離600kmを超えるロングラン準急となったのです。ユニークなのは、石見益田駅で3両と2両に分割され、1等車(現在のグリーン車)を含む3両が山口線に入って小郡を経由、2両が山陰本線の東萩駅、長門市駅を経由して、下関駅で再び併合するということ。山陰地方を大回りし、一度別れた列車が再び一緒になることから「大迂回列車」「再婚列車」などと呼ばれました。これは、当時まだ貴重だった新鋭気動車を、なるべく多くの地域に走らせるための工夫でした。
山陽新幹線岡山〜博多間が開業した1975(昭和50)年3月10日のダイヤ改正では、山口線に待望の特急〔おき〕が登場。鳥取・米子駅〜小郡駅間を結んで山陽新幹線に接続しました。


SLの公開訓練のようす(1979年7月撮影)

1979(昭和54)年8月1日、山口線に転機が訪れます。1975年12月に全国の国鉄から姿を消した蒸気機関車牽引による旅客列車が、山口線小郡駅〜津和野駅間で〔SLやまぐち号〕として復活することになったのです。SLの運転に欠かせない転車台や給水設備が残っていたこと、ダイヤに余裕があったこと、津和野という観光地を抱え山陽新幹線に接続していたことなどが理由でした。
〔SLやまぐち号〕は、牽引機として復活したC57形1号機の美しさもあって大人気となり、やがて全国各地でのSL復活運転につながって行きました。
2013年7月の豪雨では、地福駅〜徳佐駅間の橋梁が流失、船平山駅〜津和野駅間の白井トンネルで土石流が発生するなど甚大な被害を受け、宮野駅〜益田駅間が不通となりましたが、約1年後の2014年8月23日で全線復旧。現在に至っています。

山口線の車両

前面展望を楽しむなら〔スーパーおき〕がおすすめ


津和野駅~船平山駅間を走行する〔スーパーおき〕(2017年11月撮影)

山口線には、特急〔スーパーおき〕と普通列車、そして観光列車の〔SLやまぐち号〕が運行されています。
1日3往復が運転されている特急〔スーパーおき〕は、鳥取・米子駅と新山口駅を結ぶ陰陽連絡特急です。カーブで車体を傾けて高速で走行する振子式気動車のキハ187系が使用されていますが、最高速度が95km/hに留(とど)まる山口線内では振子機能を停止しています。普通車のみ2両という短い編成の特急ですが、鳥取・米子方車両(2号車/自由席)の15番A席と新山口方車両(1号車/指定席)の1番D席からは前面展望を楽しめます。なお運転席側の前席には前面窓がないので注意が必要です。


長門峡駅~渡川駅間を走行するキハ40形(2017年11月撮影)

普通列車は、2026年3月現在全ての列車が国鉄世代のキハ40系(キハ40形及びキハ47形)を使用しています。「首都圏色」と呼ばれた朱色に塗装され、1〜4両編成で運転されています。車内は4人掛けのボックスシートを基本に、車端部の一部がロングシートとなったセミクロスシート。窓は二段式で、上段のみ開けることができます。全列車ワンマン運転で、客室と運転席がやや離れているため、前面展望を楽しむことはできません。

レトロ車両を新製し半世紀近く走り続ける〔SLやまぐち号〕


津和野駅~船平山駅間を走行する〔SLやまぐち号〕(2017年11月撮影)

山口線の主役とも言える〔SLやまぐち号〕は、毎年3月から11月にかけての週末および夏休みや大型連休などに1日1往復運転されており、新山口駅〜津和野駅間の62.9kmを片道約2時間かけて走ります。この期間でも、2026年9月のように運休する期間もあるので、詳しくは最新のJR時刻表を確認してください。
牽引する蒸気機関車は2機体制。バランスの取れた優美な姿から「貴婦人」の愛称で知られるC57形1号機は、1979年の〔SLやまぐち号〕デビュー以来、山口線の顔として走り続けてきた機関車です。3つの大きな動輪で高速運転可能な旅客用機関車で、現在は故障のため修繕中ですが、2026年10月からの復活運転を目指して整備が進められています。
もう1機が、「デゴイチ」ことD51形200号機。全1115両と、日本で最も多く製造された貨物用大型蒸気機関車で、4つの動輪が線路をしっかり掴んで、たくさんの貨車を牽引することができました。2026年9月までは全便この機関車での運転を予定しています。
この他、ディーゼル機関車のDD51形1043号機も在籍しています。こちらも今では貴重な機関車で、蒸気機関車に代わって〔DLやまぐち号〕として運行されることもあります。
客車は、2017年に新製された35系客車の5両編成。大正・昭和期の豪華客車を再現するべく、最新のバリアフリーにも対応して設計されたレトロモダンの客車で、1号車のグリーン車には展望デッキを備えています。3号車には蒸気機関車の仕組みや歴史を紹介する展示スペースがあり、実際に使われた備品や模型を展示するなど、ちょっとしたミュージアムにもなっています。


SLやまぐち号の車両についてはこちらもチェック

SLやまぐち号―SL全盛期の旧型客車を復刻! 号車ごとに設備を徹底解説(THE列車)

1960年代まで全国各地で活躍していたSL(蒸気機関車)は、当時の国鉄(日本国有鉄道)の近代化によって急速にその姿を消すことになり、全国各地でSLのお別れ運転が行なわれました。その後、消えゆくSLの復活運転を望む声が高まり、1979年8月1日、C57形1号機が12系客車を牽引するSL「やまぐち」号が誕生しました。
≫≫詳しくはこちら

山口線の見どころ

25‰の急勾配を力強く登るSL列車は迫力満点

新山口駅から山口線の旅に出かけましょう。車窓風景は左右どちらの席からでも楽しめます。強いて言えば左側、〔スーパーおき〕ならD席、〔SLやまぐち号〕なら偶数席(グリーン車は1列のD席)が左側です。
かつて小郡駅と呼ばれた新山口駅を出発し、山口線はすぐに山陽本線と分岐します。山陽本線と山口線に挟まれた場所には車両基地があり、蒸気機関車も使用する転車台を取り巻くように、首都圏色のキハ40系が並んでいます。この風景は山陽新幹線からよく見えるので、新幹線から眺めるのもおすすめです。
椹野川(ふしのがわ)に沿って市街地を走り、山口市の中心部に入ると湯田温泉駅。800年の歴史を誇る町中の温泉地で、ケガをした白狐が傷を癒やしたという伝説が伝わります。駅前には高さ8mの巨大な白狐像「ゆう太」があり、無料の足湯もあります。
山口駅で、大部分の列車は乗り換えとなります。新山口駅〜益田駅間を走破する普通列車は下り2本、上り1本だけ。2つ先の宮野駅を出発すると、25‰(1,000m水平に進むごとに25mの高低差)の急勾配となり、市街地を出て山越えが始まります。列車は森の中に入り、車窓展望はあまり開けませんが、〔SLやまぐち号〕の下り列車はここ宮野駅〜篠目駅間が最初のハイライト。「シュッシュッ」と迫力あるドラフト音を響かせ、黒煙を盛大に吐きながらゆっくりと山を登っていきます。機関車の状態にもよりますが、25‰という急勾配をディーゼル機関車の補助なしに登っていくSL列車は迫力満点です。

谷あいの田園風景で四季の自然美を楽しむ


秋の長門峡

仁保駅〜篠目駅間の田代トンネル(1,897m)は、山口線最長のトンネル。〔SLやまぐち号〕下り列車は22.7‰の勾配を登り続けるので、窓を閉めるのを忘れないようにしましょう。田代トンネルを抜けると下り勾配に変わり、谷が開けて篠目駅。名勝・長門峡の玄関である長門峡駅を過ぎると、阿武川に沿った谷あいの開けた盆地に出ます。この辺りは春は桜、夏は水田と新緑、秋は紅葉、冬は雪景色と、季節ごとに異なる表情を見せる田園風景で、車窓右手に阿武川の流れが見えます。
地福駅では、〔SLやまぐち号〕の下り列車が12分ほど停車。機関車を正面から見て写真を撮ったり、運転室を観察したりできます。黒く光り、シューッと水蒸気を吐き出す蒸気機関車は、まるで生きているかのよう。ホームには右書きのレトロな駅名標があるほか、開業当時からの姿を残すとも言われる木造駅舎にも注目です。
田園風景が続くのは徳佐駅の先まで。この辺りは西日本有数のりんごの産地で、8月下旬から11月にかけて、沿線に果樹園の風景が広がります。
長門峡駅から緩やかに登ってきた山口線は、船平山駅で大きく左にカーブして1,555mの白井トンネルに入ります。このトンネルの入口付近が、山口線で最も標高の高い地点。ここから津和野駅までは16.7‰の下り勾配となり、10.1kmで約154m標高を下げます。この区間は、鉄道建設時の苦労が偲(しの)ばれるルートです。江戸時代からの萩街道および国道9号線は、鉄道よりも東の野坂峠を経由し、津和野まで最短距離で結んでいます。しかしこのルートは峠を越えた先の地形が険し過ぎ、鉄道のルートとしては適しませんでした。野坂峠を経由していれば、スイッチバックかループ線が必要になったことでしょう。そこで、もっと手前の船平山からひとつ隣の谷に移り、谷筋を丁寧にたどって津和野の町に降りていくルートが選択されました。
白井トンネルを抜けた列車は狭い谷を蛇行しながら走り、5つ目のトンネルを抜けると左手の眼下に津和野盆地が広がります。赤い石州瓦の屋根が連なる津和野の町並み、反対側の山腹に堂々とした朱塗りの鳥居と拝殿を連ねる太皷谷稲成神社……。このパノラマが、山口線、特に〔SLやまぐち号〕の旅のクライマックスと言えるでしょう。

小京都・津和野で転車台を見学し日本海へ下る


津和野の殿町通り

「山陰の小京都」と称される津和野は、城下町の風情が色濃く残り、白壁の土蔵や鯉が泳ぐ堀割が続く情緒豊かな町です。〔SLやまぐち号〕の運転日なら、駅の北側にある転車台は見逃せません。13時過ぎに到着した機関車は、10分程度停車した後、転車台に移動して13時20分頃に方向転換を行ないます。駅からは徒歩5分ほどなので、〔SLやまぐち号〕で到着した人は早めに移動するとよいでしょう。
津和野駅から先は、またのどかなローカル線の旅が待っています。列車は津和野川を渡って836mの小川トンネルへ。次の青野山駅から津和野川に沿って谷あいの田園風景を走ります。幅は200mほどの狭い谷に水田が連なり、徳佐駅付近の田園風景とはまた違った趣があります。
津和野川は日原駅付近で吉賀川と合流して高津川となります。川幅も広くなり、日本海に向かって緩やかに山を下っていきます。このあたりの車窓は、益田駅に向かって左側がよいでしょう。
石見横田駅まで来ると、高津川は匹見川と合流し、平野も広くなって山が遠ざかります。山口線は、ここから最後の小さな峠を越えて、無人駅の本俣賀駅へ。やがて市街地に入り、紡績工場の横から山陰本線のレールが現れると、終着・益田駅に到着します。
山口線は、全線を乗り通すと2時間30分ほど。山陽新幹線に直結するなど交通の便もよく、国鉄時代の鉄道旅を手軽に味わえる路線です。〔SLやまぐち号〕に乗り、湯田温泉や津和野といった観光地とともに、じっくり楽しんでください。


山口線(JR西日本)データ

起点   : 新山口駅
終点   : 益田駅
駅数   : 28駅
路線距離 : 93.9km
開業   : 1913(大正2)年2月20日(小郡〜山口間)
全通   : 1923(大正12)年4月1日
使用車両 : キハ187系、C57形1号機・D51形200号機+35系客車(SLやまぐち号)、キハ40系


著者紹介

栗原 景(くりはら かげり)

1971年、東京生まれ。鉄道と旅、韓国を主なテーマとするジャーナリスト。出版社勤務を経て2001年からフリー。
小学3年生の頃から各地の鉄道を一人で乗り歩き、国鉄時代を直接知る最後の世代。
東海道新幹線の車窓を中心に、新幹線の観察と研究を10年以上続けている。

主な著書に「廃線跡巡りのすすめ」、「アニメと鉄道ビジネス」(ともに交通新聞社新書)、「鉄道へぇ~事典」(交通新聞社)、「国鉄時代の貨物列車を知ろう」(実業之日本社)ほか。

  • 写真/栗原景,交通新聞クリエイト,山口県観光連盟,島根県観光写真ギャラリー
  • 掲載されているデータは2026年3月現在のものです。変更となる場合がありますので、お出かけの際には事前にご確認ください。
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