奈良は穴場も奈良らしい 奈良県桜井市・橿原市・明日香村
日本の穴場スポットに行ってみたい。しかも安く楽しみたい。
そんな欲望のままに東へ西へ、一人でぶらりと旅立った。
今回は10,000円の予算で、奈良駅から桜井市・橿原市・明日香村へ。
遠い昔からそこにある神社や石造物に、奈良の歴史をひしひしと感じる。
ひとり眺める夕日も違って見える穴場旅。
最後の収支報告まで、お見逃しなく!
古代遺跡が次々と現れる山の辺の道へ
奈良でひと味違った穴場スポット、といえばどこか?
まずは奈良駅でJR桜井線に乗り換えて、最初の目的地の最寄り駅である巻向(まきむく)駅で下車。
巻向駅を降りたあとはひたすら東へ東へと山のほうへ向かって歩く。のどかな田園風景。振り向けば遠く奈良盆地が見渡せる。
到着したのは、相撲発祥の地とされる相撲神社である。
『日本書紀』によれば第11代垂仁天皇の時代に、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)が天皇の前で相撲をとったのが、相撲の始まり。その場所が現在の相撲神社であると伝えられている。
さすが国技というだけあって、起源は遠く神話の時代までさかのぼるわけだ。しかしながら、境内には小さな社(やしろ)があるだけで閑散としており、相撲の決まり手でいえば、肩すかしを食らった感じ。
相撲神社をあとにして穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社に立ち寄り、その後は南へ南へと歩を進めた。
私が歩いている道は、奈良盆地を取り囲む山々の山裾を縫うように南北に走っている。奈良から三輪へと通じる「山の辺の道」と呼ばれる古道である。古代の面影をよく残していて、次々と古代天皇の宮跡、古墳、古社寺、史跡、石碑などに行き当たる。
その道すがら、次に立ち寄ったのは檜原(ひばら)神社。
この神社は本殿も拝殿もない。明神型の鳥居3つを一つに組み合わせ「古来一社の神秘なり」と伝えられる三ツ鳥居が立つのみである。
しかし境内はよく整備されており、玉垣に囲まれた三ツ鳥居の存在を潔く引き立てている。とても神秘的で身が引き締まるような空間となっていた。
大和川を遡上して仏教が上陸した地
檜原神社から先は、車は通ることができない道となっていた。
岩や木の根が張り出していたり、石畳や砂利道となっていたり……とバラエティーに富んだ、これぞ山の辺の道。歩いていてとても楽しい。
その後も狭井(さい)神社、磐座(いわくら)神社、大和国一之宮である大神(おおみわ)神社などを経由。日本に初めて仏教が伝えられた地という、仏教伝来之地碑に着いたのは、ちょうど大和川に夕日が沈む時間帯だった。
遠く飛鳥時代・奈良時代の人たちも今と変わらぬこの夕暮れを目にしていたのだろうか。
この付近は、難波津(なにわのつ)から大和川を遡上してきた舟運の終着地。大和朝廷と交渉をもつ国々の使節が発着する都の外港として、重要な役割を果たしていたという。
河原に目をやれば野球をする二人組の男の子や、初々しい学生服を着た男の子と女の子がいた。
ようやく三輪駅に辿り着いたときは、駅はとっぷりと闇夜に包まれていた。ここから橿原市に移動し、宿を求めた。
眺めるほどにますます不思議な石造物たち
翌日は、橿原市の郊外にある益田岩船を訪ねた。
近鉄の岡寺駅で下車して、住宅街を抜け、案内の看板に従って小高い山に入っていく。これまでとは打って変わって、急傾斜のけもの道のようなところをちょっとしたサバイバル感覚で進む。
5分くらい上り、竹林を抜けた岩船山の頂上付近で、突如として大きな岩が出現した。
これが益田岩船と呼ばれる花崗岩で、長さ東西11m、南北8m、高さ4・7mの石造物。度肝を抜かれる圧倒的な大きさである。
そして穴が穿(うが)たれ、溝が刻まれているなど、何らかの目的があって人の手が加えられている。さらに興味深いのは、なぜか制作途中で打ち捨てられたものであることが素人目にも明らかなことだ。
石造物の用途についてはさまざまな説があるものの、現在も謎に包まれているそうである。
続いて向かったのは、明日香村の猿石。年代や制作理由も不明の高さ1mほどの4体の石造は、もともとは欽明天皇陵南の田から掘り出されたもので、現在は吉備姫王(きびのひめのみこ)の檜隅墓(ひのくまのはか)の棚内にある。
その特徴から僧、男性、女性、山王権現といわれているそうであるが、それぞれとてもユーモラスで思わず親近感を抱いてしまう顔立ちをしている。
その後、明日香村ののどかな田園風景を眺めながらのんびりと歩を進め、鬼の雪隠(せっちん)、鬼の俎(まないた)と呼ばれるこれまた不思議な石造物を訪ねた。
この周辺は霧ケ峰と呼ばれていて、鬼が住み、付近を通る旅人に霧を降らせ迷ったところを捕らえて俎の上で料理して、雪隠で用を足したという伝説があるそうだ。
鬼の雪隠は、その伝説と相まって私には鬼の顎のように見えた。
現地の看板によればこの鬼の雪隠、鬼の俎は墳丘土を失った飛鳥時代の古墳の石室の一部であるという。
墳丘土を失った古墳といえば、同じ明日香村にはあの有名な石舞台古墳がある。
なぜ、古墳の墳丘土が失われて石室がむき出しとなってしまったのだろうか? その真実はわからない。
飛鳥地方にはほかにも数多くの特異で不思議な石造物が残されているが、歩いてすべて訪ねるとなるとちょっと厳しい。
今日はここまでと後ろ髪を引かれる思いで飛鳥駅へと戻った。
だが乗り換えのため橿原神宮前駅で下車したところ、奈良名物の柿の葉寿司が構内の売店で半額となっているではないか。
それで今日はこれでよし、としたのである。
さて今回使ったお金は?
残金70円!
著者紹介
- ※写真/佐竹 敦
- ※本連載は、月刊誌『旅の手帖』2022年10月号からの転載です